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40歳にして初めてホール落語会に初めて行ってきた感想→落語はライブが一番面白い!

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は割と多趣味なんですが、40年間も生きているとその種類も色々と増えてきます。このブログにも少しだけエントリを上げたのですが、例えば音楽鑑賞ではヘヴィメタルとクラシック。また、美術館などの展示会回り。読書。ワイン。ランニングと陸上長距離鑑賞、家庭菜園、etc・・・。年々増え行く趣味に、やりたいことはたくさんあるのに、時間とカネは有限で非常に最近悩ましい状況です。

そんな悩ましい状況下、2015年の冬から僕にもう一つ加わったのが「落語」でした。ブログを開設して以来、面白くて度々覗かせてもらっている憂き憂きマンドリルのリクさん(id:r1ckey)のサイトやリクさんが留年した暇つぶしにツイキャスなどで落語の面白さを教えてもらってから、はや5か月経過。

その間、同じくリクさんのお薦めの

このあたりを夕飯のしたくや後片付けをしながら(夕飯づくり担当なので。)全部聞いたり、初心者らしく図書館で笑点系の落語家、桂歌丸や先代三遊亭円楽らのCDから、昭和の名人三遊亭圓生、三遊亭金馬、古今亭志ん朝らまだ薄く広く借りて聴いていたりしました。

聴いていてすぐ分かったのですが、落語って特に冒頭の「マクラ」と呼ばれる、場を温めるためのブリートーク部分を始め、演題に入ってからもたびたび挟まれるアドリブ部分が非常に大きいんですよね。その場の観客との呼吸や一体感の中で噺家と観客が即時的作っていく即興的作品としての性格もあるので、一度近場のライブに足を運ばなければ!と思い立ちました。

早速ライブに行ってきました

善は急げ、ということで、速攻でコンビニに走って適当にチケットぴあの端末をたたいて購入したのが、昨日のホール落語会です。余談ですが、僕は近い将来に地方への移住かニ拠点居住を目指していますが、こういう時、本当に東京に住んでいて良かったなって思いますね。文化系・芸術系のイベントはほぼ365日東京ならどこかしらでやっていますから。思い立ったらその日にでもいけちゃうという便利さ。

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(引用:日本橋が大人の遊び場に大変身 「コレド室町2、3」 |フード|NIKKEI STYLE

で、行ってきたのが、COREDO室町1号館の4F「日本橋三井文化ホール」で実施されている、いわゆる寄席ではないホール落語会「COREDO落語会」。

実は僕の家から歩いて10分のところに両国演芸場という三遊亭円楽一門が使っている寄席があったりして、そこが一番近いのですが、いきなり寄席にいくのはやっぱりちょっと敷居が高いな(知らない噺家ばっかりでしょうし・・・)と思い、落語会ライブデビューはホール落語にしてみました。

ということで、今日は落語会にデビューして感じた感想をつらつら書いてみたいと思います。

落語会の内容

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COREDO落語会は、今回で6回目だそうで、料理評論家の山本益博氏の趣味が高じて心血注いでプロデュースするホール落語会です。構成は、毎回ベテラン/人気噺家が4名集まり、一人1席ずつ披露する流れで、昨日の終演は21時20分でした。

価格が安いか高いかはよくわかりませんが、場所代や落語家のギャラ等を考えるとこんなものなんじゃないかなーと思いました。

落語会の感想

1.客層はやっぱりかなり年配の人が多い

いわゆる若手芸人のお笑いライブとは全然違いますね。どちらかと言うと古典芸能に近いので、客層も40代以上が中心でメインは50代、60代のお客さんが多かったと思います。若い人は残念ながら皆無。客層の平均年齢が高いのは、がよく行くクラシック音楽のコンサートと似たような雰囲気。あるいは、昔良く出入りしたFacebookのオフ会とかかな。日本橋三越前という都心中の都心で、時間帯も19時からのライブだったのですが、案外仕事帰り風の人は少なくて、自宅からわざわざ出てきた人が多そうでした。

2.おしゃれな老人が多い

老人が多いとは言え、身なりも綺麗で、割と裕福そうな人が多かったです。特におしゃれな老婦人が多かったかな。身なりだけじゃなくて、ウィッグをしてたり着物で来てたり、髪がオレンジや紫など、普段行っているクラシックのコンサートや美術館などで見る老婦人よりもだいぶ派手だったような?!これってたまたま昨日場所柄そうだったのか?

男性は、結構気難しそうな評論家風のオジサンや、なんかのタニマチをやっていそうな、富裕層的オーラを出しているおじいさんが多かったです。終わった後、楽屋かなんかにそっとおひねりとか渡してたりするんだろうか。

3.しかしよく寝ている

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(引用:浜 矩子|教員紹介|同志社大学大学院 ビジネス研究科

僕の隣の髪の毛が紫色の浜 矩子楓のおばあさんは、ほとんど全編寝ていました。その隣のおばあさんも半分くらいは寝ていました。クラシックのコンサート(推定平均就寝率30%)ほどじゃないですが、高い金払ってきてるのにもったいない話であります。

ただし、これはなんとなくわかる気もします。僕もクラシックコンサートなどで、仲入りでワインを飲んだあとつまらない演目だった場合、つい眠くなってしまうので。貧乏性なので、根性で目はなんとか開いてますけどね。特に落語ファン歴が長い耳の肥えた客は、メジャーな古典落語の演目ならば、つまらない噺家のものだと寝てしまうだろうな。

4.思った通り落語はライブが一番面白い!

別にCDやYoutubeでもいいんですけど、やっぱりCDなどだと落語家の表現される作品のうち、「声」の部分しか伝わらないんですよね。言葉に現れないメタ・コミュニケーション的なもの、つまり「顔つき」「身振り手振り」などで表現される感情表現や、観客と噺家のその場だけの相互作用で生み出される空気なども伝わりません。

じゃあDVDみたいに映像が見えていれば良いのかっていうと、多少はCDよりはマシかなっていうレベルですが、五十歩百歩です。録画映像だと不思議とやっぱり大幅に言外のメッセージが減衰して伝わりづらくなるんだろうなってすぐに気付きました。

美術展やクラシックのコンサートでも同様の現象が起きるので、落語の特性を考えると、このあたりはやっぱり落語はライブに行ってなんぼなんだろうと思っていました。

で、実際にライブに行ってみた感想としては、落語こそライブで見るべきなんだろうな、と。特に、上手な落語家ほど、言葉以外の表現やアドリブを駆使したコミュニケーション力が高いため、よりライブで見たほうが満足度が高くなるだろうなと感じました。

昨日見た中だと、4人の噺家のうち、春風亭小朝と三遊亭円楽はそれぞれの持ち味を生かし切った見事な高座でした。数十分に及ぶセリフを全部叩き込んだ上、臨場感たっぷりに、かつ機動的に笑いも取り入れて観客との一体感を切らさずに演じきる。芸歴40年以上のベテランの圧倒的な技芸とライブでの存在感に素直に感嘆しました。彼らの独特の間合いや話し方の1/10でも仕事に行かせれば、すごい成績あがりそう・・・。

まとめ

どんな分野でもそうですが、一流の芸術や技芸に触れると、その一瞬だけかもしれませんが心を空っぽにしてそれに集中でき、作品と一体になれる感覚があります。自分の場合はそれが一種の「癒やし」「気分転換」となって、精神的な活力を再充填出来るんですよね。

この落語も、お値段は決して安くはないですが、上手な噺家の演目をライブでそれだけに集中して取り組むことによって、CDやDVDでは見えない良さが感じられたのは良い収穫でした。恐らく、中途半端に何度も行った後に書くよりも初回の感想をどこかで書き起こしておいたほうがいいだろうな、と思ってエントリを書いてみました。

5月以降、毎月2~3回ライブのチケットを既に抑えているので、またいくつか行って気づいたことができたら色々書いてみたいと思います。次回は26日の喬太郎に行ってまいります。

それではまた。
かるび

 


戦火をくぐり抜けた秘宝が大集結!黄金のアフガニスタン展(国立東京博物館)に行ってきた!

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かるび(@karub_imalive)です。

皆さんは、アフガニスタン、って言うとまずどんなイメージを思い浮かべますか?僕は、「戦争」「内戦」「テロ」といったようなネガティブなイメージと、荒廃して乾いた砂の大地しか思い浮かばないです。実際、今でもほぼ準戦時状態のようなものですよね。首都カブールを中心に米軍が10,000人以上駐留する中、この2月にもタリバンによるとされる自爆テロが起こるなど、政情不安が続いている状況のようです。

そんな中、先日黒田清輝展を国立東京博物館で見た際に、「黄金のアフガニスタン展」まもなく開催、と言う看板が出ていたのを見かけました。よくこんな危ない中、企画展ができたものだな、と思い、気軽な気持ちで覗いてきたら、そこには予想外に壮絶なストーリーと、そして文字通り黄金だらけの秘宝が待っていました。

今日は、その展示会、「黄金のアフガニスタン展」の感想を少し書いてみたいと思います。

混雑状況と所要時間について

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土曜日の夕方に行ってきたのですが、人の姿はまばらでした。まだ始まったばかりということもあり、快適に見て回ることができます。展示品は、全246点と展示点数はそれなりですが、細かいものが多いのでそれほど出展量が多いイメージはありません。さらさらっと見て回ると1時間ちょっと、音声ガイドもつけてまじめに見ると1時間30分位といったところでしょうか。

音声ガイドは鈴木亮平

僕は、可能な限りどの展示会に行っても音声ガイドをつけながら見て回るようにしていますが、今回は、若手俳優の鈴木亮平。

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つーか、ドラマあんまり見ないから、若手俳優といってもあまりピンと来ないのですが、人気あるんですよね?(汗)まぁ頑張って語ってくれていたとは思います・・・。

なぜ、今、アフガニスタン展を日本でやっているのか

実はここが少し気になっていたのですが、その理由は、展示会の冒頭のパートでビデオ映像やフリップなどで、詳細に説明されていました。

アフガニスタンの歴史

まず、入り口手前にあるフリップと、入場直後の映像資料の2点は必見です!各遺跡の発掘品を見る前に、是非アフガニスタンの簡単な歴史と、地政学的背景、それと展示に至るまでのストーリーを少しでも頭に入れておくことで、今回の展示会をより興味深く見ることができます。

アフガニスタンは、西はイラン、東はパキスタンと接する内陸国で、西側のヨーロッパ世界、東側の中国、南側のインドの結節点となるシルクロードの要衝にあたる位置にあります。よって、古来から、アレクサンドロス大王の東征があったり、インド系王朝がやってきたり、あるいは遠く東からモンゴル帝国が長駆して攻めこんで来たりと、まぁ騒がしい国なんですね。アフガニスタンの歴史は、異民族の度重なる侵入の繰り返しによって形作られてきているのです。そのため、多様な文明や人種が流入し、そして融合する中で、その魅力的な独特の文化遺産や遺跡が各地に残されてきました。

その、歴史的な工芸品や文化財30,000点あまりをコレクションし、収蔵展示してきたのが、アフガニスタン国立博物館でした。

アフガニスタン国立博物館が1922年に開設される

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20世紀初頭に入り、弱体化したイギリスの支配下から独立すると、国王、アマーヌッラー・ハーン国王は、首都カブールにアフガニスタン国立博物館を開館させます。1920年代、旧宗主国のイギリスに代わり、フランスと組んで国家建設と国力増強を進めていきますが、そのフランスとの共同作業を中心として、以来50年、ソ連によるアフガニスタン侵攻が始まるまで、遺跡の発掘作業は順調に進みました。

ソ連のアフガニスタン侵攻~タリバンによる破壊まで

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しかし、1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻により戦争が始まると、それ以来発掘作業は完全にストップします。やがてソ連が撤退した後は、その空白を埋めるかのように国内有力部族同士で今度は内戦が始まり、博物館も戦火に見舞われることになります。

また、90年代後半に入り、イスラム原理主義過激派グループ、タリバンが国内のイスラム教以外の偶像や美術品をかたっぱしから破壊して回り、博物館は壊滅的なダメージを受けました。最大で100,000点程あった文化財のうち、実に7割以上が戦火で失われたといわれます。

ニュースにもなりましたが、バーミヤンの大仏が爆破されたのもこの時期のタリバンの所業であります。(リンク貼らないけど、Youtubeに爆破動画も上がっています)

しかし、被害を見越して秘宝は隠されていた

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相次ぐ内戦やタリバンによる破壊活動・略奪により、その大半の展示物が失われたり壊されたりしたのですが、いくつかの展示物は、戦火や略奪を免れていたのです。1989年、戦火を避けるため当時のナジブラ政権が博物館を閉館した際に、収蔵品のうち約30%の特に大切なものだけが選定され、心ある博物館スタッフの手によって密かに中央銀行の金庫と情報文化省に持ち込まれて隠されていたのです。

タリバンも資金源確保のため必死で文化財の行方を探しました。その過程で博物館員もその中で厳しい尋問・拷問等が展開されましたが、彼らはプライドをかけて秘匿先について口を割らなかったといいます。

タリバン政権崩壊後、約15年ぶりのご開帳となる

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やがて、アメリカ軍が駐留を開始し、タリバンが政権を追われると、ようやく内戦が終結して、国内政情も小康状態を迎えます。そこで、2004年、15年ぶりに中央銀行の金庫が開けられ、激烈な内戦や戦火をくぐり抜けた秘宝が陽の目を見ることになりました。

アフガニスタンの文化遺産の復興支援のため企画される

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これら秘宝の再公開をきっかけに、アフガニスタンの文化財・名宝を国際的にアピールし、その保全への啓蒙等を目的として、アフガニスタン政府は世界各国で巡回展を開催することを決めました。巡回展は2006年のフランス・ギメ国立東洋美術館での開催を皮切りに、名だたる美術館・博物館で展示され、世界中ですでに10カ国以上、延べ170万人が本展示会に足を運んだと言います。そしてこの2016年、ようやく日本にも回ってきて、九州国立博物館、東京国立博物館と順に展示されることとなりました。

展示会で記憶に残ったもの

今回の展示会では、様々な古代の遺跡のうち、特に有名な4つの遺跡「テペ・フロール」「アイ・ハヌム」「ティリヤ・テペ」「べグラム」から出土した美術品・工芸品の 展示と、戦乱時に非合法に日本に持ち込まれた流出文化財をあわせ、5つのセクションに分けて展示されています。

個人的に特に印象的だったのは、そのうち「ティリヤ・テペ」という、1世紀頃に栄えた遊牧民の王の墓から出土された様々な黄金の装飾品・工芸品です。

「牡羊像」
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「冠」
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「襟飾」
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(3枚とも引用:特集:アフガニスタン 輝ける至宝 2008年6月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

「アフロディーテ」
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(引用:九州国立博物館 | 特別展『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

そして、どの時代の出土品も異国文化の融合する「文明の十字路」と言われる地だけあり、無節操なほどに(笑)、各種東西文化が融合、折衷された出土品が非常に興味深かったです。あからさまにアレクサンドロス大王が東征時に持ち込んだギリシャ・ヘレニズム文化から影響を受けたものもあれば、同じ遺跡から南方インドの仏教文化から伝来したインドっぽい装飾版が出土されたりです。 

「青年上半身メダイヨン」f:id:hisatsugu79:20160419072010p:plain

「エロスとプシュケーのメダイヨン」f:id:hisatsugu79:20160419071950p:plain

(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

「マカラの上に立つ女性像」
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(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

盗掘、流出との戦い

2002年にタリバン政権が去った後も、内乱で国力が疲弊したままであり、首都カブールの街中には貧しい失業者が溢れています。彼らを日雇いで報酬を払い、遺跡で発掘させて盗掘品を買い上げる外国人や、そういった盗掘品を白昼堂々と販売する土産物屋など、日々アフガニスタンの文化財は国外へと流出されていると言います。東京にも、パキスタン~ドバイの闇マーケットを経てかなりの点数がコレクターへと流れている様子です。このあたりの状況は、この展示会を機に復刊されたこの本に詳しく描かれています。

日本では、シルクロードを中心としたオリエンタルな情景を描いた日本画家の故・平山郁夫が、ユネスコと連携して、「流出文化財保護日本委員会」を立ち上げ、日本におけるアフガニスタンの流出文化財を保護する運動を行っていました。今回の展示会では、日本で保護され、「黄金のアフガニスタン展」を機にアフガニスタンに返還される102点の流出文化財のうち、15点が最終セクションで展示されています。

「カーシャパ兄弟の仏礼拝」f:id:hisatsugu79:20160419080512p:plain
(引用:九州国立博物館 | 『黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝』

しかし考えてみると、日本でも諸外国に遅れて平成14年にようやく発効した「文化財等不法輸出入等禁止条約」により、不法持ち込みは禁じられているものの、アフガニスタンのケースでは、こうして流出したことによってタリバンに破壊されることを免れた点は不幸中の幸いというか歴史上の皮肉としか思えません・・・。

ちなみに、流出保護された文化財102点中、残りの87点は、同時期に東京芸術大学美術館陳列館にて、「素心 バーミヤン大仏天井壁画 ~流出文化財とともに~」と題して、特別展示されています。

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また、山梨県の八ヶ岳山麓ですが、平山郁夫シルクロード美術館でも、「アフガニスタンと平山郁夫」と題して、流出文化財の返還と連動した特別展を実施しています。ちょうど夏前に涼しい時に八ヶ岳方面に旅行に行く人は、是非覗いてみるといいですね。

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まとめ

アフガニスタンは、歴史的に大国になった時期がなく、どの時代でも中国やイラン、インドといった大国に挟まれた周縁国として、文化や歴史を独特な形で積み重ねてきました。おかげで、各文化圏からもたらされた様々な複数のカルチャーがどんどん時代を重ねるに連れて上塗りされていき、多様で多元的な歴史・文化遺産を国内各地に残してきました。

そして、近代を終えて現代になってもずっと戦乱が続くため、その保護や発見は大幅に遅れています。相当量の文化財が非正規ルートで世界中に流出していった一方で、まだまだ沢山の文化財が地下に眠っているところでもあると思うんです。前回タリバンに爆破された東西のバーミヤンの大仏の間に、超巨大な大仏がもう1体未発掘で残っているという話など、夢がある話も沢山あります。

美術品や文化財は、単に見て楽しむだけじゃなくて、人類共通の歴史遺産として、後世に残していくための努力もしていかなきゃいけないんだなぁとしみじみ感じた、そんな考えさせられる展示会でした。

それではまた。
かるび

会社退職10日前を迎えた心境について

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かるび(@karub_imalive)です。

このブログでも何度か書いてきましたが、僕はこの春に13年間勤務してきた会社を退職することになりました。40歳という一つの区切りとなったため、人生の充電期間として、1年間自主的に休みを取るためです。

最終出社日は4月28日。いよいよ今の会社もあと5営業日で退職となります。(その後有給休暇を消化しての退職なので、最終的な退職日は6月中旬)

人生のうち、そうそう10年以上勤め上げた会社を退職する、という経験もないと思うので、少々露悪趣味だとは思うけど、今の心境をブログに書き残しておこうと思います。

ほっとする気持ちと不安な気持ちと

僕は、23歳で社会人になってから、以来17年間サラリーマンとして働いてきました。基本的には切れ目なく、ストレートに17年間です。以前から、漠然と40歳頃になった時に、1年間自分へのご褒美として、長期休暇を取得したいな、と思っていました。欧米のビジネスマンで良くある「サバティカル休暇」的な感じですね。

ちょうど今の会社の業務にも飽きてきたし、いろいろあって会社への帰属意識もなくなってきたので、このままダラダラ働くのもあれかな、と思って、思い切って一旦辞めることにしました。

本当は「休職」みたいな形が良かったのですが、残念ながら、今の会社、、、というより、日本企業の企業カルチャーとして、1年間も勝手きままな理由で休職させてくれるような余裕のある会社なんてありません。従って、一旦退職するのはやむなしというところです。

来月から、17年ぶりに大学時代のようなモラトリアム的生活に突入するのですが、やっぱりあんまりあれこれ先行きのことを考えなくてよかった大学時代とは、心持ちはだいぶ違いますね。

まず第一に、ホッとした、という安心感と、来月から空いた時間で何しようかな~というワクワクする気持ちはそれなりにあります。割とがむしゃらに働いてきたので、結構プライベートでやりたいことは溜まっています。

だけど、その一方でやっぱり不安な気持ちもあるんですよね。たとえば、世間体的に肩身が狭いこと。中年になってからのモラトリアム的長期休暇って、日本ではまだ一般的ではないので、世間体的にはしんどそうだな、と。

実際、去年試しに保育園のパパともで集まって飲んだ時、ちらっと「来年春に子供が小学校に上がったら、今の会社やめるんですよね~。えっ?仕事?当分しませんよ。」みたいな話を馬鹿正直にしたら、みんなに「えっ・・・」みたいな感じでかなり引かれてしまいましたから。親戚にも、カミングアウトしたら確実に烈火の如く怒りそうな人頭の固い人も何人かいますし。世間の目は思ったより厳しい。

ということで、これからは親戚の前や、あまり親しくない知り合いなどと会う時は、当面「在宅でネット関係の仕事とかしてます」ってことにしよう(笑)

また、1年間休んだ後、仮に就職活動して、またサラリーマンとして社会復帰するとして、40代で1年ブランクが空いている無職の中年をいい感じの給料で採用する会社なんてあるんだろうか?って思ってしまいます。

もちろん、辞める前に散々資格なども取得したし、自分なりにキャリアが断絶しないための準備はしてきたつもりではあります。多分、今ならITエンジニアとしても、営業としても、人事としても、あと経理もできるかな。どれも中途半端ではありますが。また、今は空前の売り手市場。40代でも転職フェアや人材紹介でどんどんマッチングに成功している例が増えてきてはいます。

それでも、なんとなくやっぱり不安な気持ちはあるんですよね。このまま復帰できなかったらどうしよう・・・的な。まだ子供も小学生だし、嫁にばっかり負担をかけるわけにはいかないし。復帰できなかったらいっそプロブロガーにでもなるか大学生の時は、同じモラトリアム的期間であっても、先行きの心配はあんまりなかったので、年を取ると色々くよくよすることも増えるものだな、というのが感想であります。

辞める直前まで普通に使われる

一方、会社では、もうすぐ退職だというのに(だからこそなのかもしれないですが)最後までなんか忙しいです。そろそろいい加減後任への引き継ぎ等に入って仕事のペースを優雅に減速してきたいというのに、仕事が一向に減りません。

直属の上職にあたる役員からは「辞めるからって、最近手を抜いてるんじゃないか」みたいな嫌味混じりの牽制を何度もされるし、退職前なのを分かってて、絶対退職日までに終わらない仕事も平気で振ってくるし、なんだかなーと。

今日なんて、仕事柄、採用担当だから、ということもあるんですが、もうすぐ退職するっていうのに僕よりちょっと前に最終出勤日を迎えた退職者の退職手続きのお世話をしたり、普通に中途採用で採用面接とかしてたり。「当社のどのような点に惹かれて志望されましたか?」なんて聞いてる貴方の目の前に座ってる面接官は、数日後にはもういないんだよ・・・。

なんていうか、イメージと違うんですよね。退職する前って、腫れ物に触るかのように取り扱われ、仕事がサーッっと潮が引くように振られなくなって、所在ない窓際社員のような心持ちでちょっとずつ机の整理とかして余生を過ごすのかと思っていたんです。でも、そんなに甘くはないのね。通常業務が普通にあって、後任への引き継ぎ資料作成工数分が乗っかってくる分、単に忙しくなるだけだった(笑)まぁ、それだけ皆余裕もないし、辞めるってわかってる奴でも普通にガンガン使えるだけ使ってやろうってことなのかなと。

ということで、せっかくブログやってるんだから、会社を退職する直前の今の心境について、少し書き出してみました。会社辞めた後は、あんまりこういった会社ネタはブログには書かなくなるんだろうなぁ。不安な気持ち半分、ホッとしている気持ち半分ってところですね。

それではまた。
かるび

【ご報告】中小企業採用担当者向け記事を人事タックル様に寄稿しました

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かるび(@karub_imalive)です。

3月に引き続いて、4月も人事タックル様に寄稿させていただきました。

中小企業にとって、ここ数年の新卒採用は厳しい、、、を通り越して苦行のような感じになってきています。何やっても説明会に人来ないけど、どうすりゃいいの?!みたいな。いくらお金をかけて就職ナビサイトに力を入れても、知名度がない中小企業にとっては、底なし沼のコンプガチャのような感じでお金だけカモられる現状。

ネットでの情報収集が当たり前の時代だからこそ、新聞や本を読もう、と言われるのと同じように、デジタル就活が全盛の今だからこそ、アナログ的な手法で学生と向き合っていかなければいけないんじゃないの?って、切にそう思います。

今回寄稿した記事では、そのあたりの分析と、個人的な体験談に基づく実践的なアプローチについて書いてみました。もし良ければ、リンク先の記事を読んでみてくださいね~。

それではまた。

かるび

 

PS ちなみに、第一弾の寄稿記事はこちらです。結構読まれてて嬉しい(^^)

若冲展は素晴らしかった!混雑必至だけど、最強の大回顧展でした!

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かるび(@karub_imalive)です。

個人的に上半期の日本画美術展で最大の注目といえば、今回紹介する「生誕300年記念 若冲展」。このところ展示会をやるたびに記録的な動員数を叩き出している、近年最も熱い日本画家ですが、その伊藤若冲の生誕300年記念を期して開かれている展示会です。

若冲展は、他の美術展に比べてマスコミの注目度が半端無くて、会期の1か月前くらいから、テレビや雑誌、それからムック本などの特集本なども沢山刊行されています。にも関わらず、展示会の会期は4月22日~5月24日までのわずか33日間、これは混雑必至だろう!と覚悟していましたが、思った通りハマりました(笑)

しかし、そんな混雑を我慢しても、必ず行くべき展示会だと思いました。以降、簡単に展示会の感想を書いてみたいと思います。

1、混雑度(多分土日は絶望的なレベルになる)

東京都美術館に到着したのは4月24日(日)11時30分。会期が始まって初の休日となった日曜日でした。いつもの通り東京都美術館の入り口に到達したら、普段は設置していない場外チケット売り場ができていて、チケット売り場が軽く渋滞中。係員がそのそばで、「ただいま20分待ちです~」とアナウンスしています。

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それを見て、うーん、今日は帰ろうか。と気持ちが萎えかけましたが、会期の短さから、これは別の日に行っても後になればなるほど大渋滞するだろ、、、と、気合を入れ直して列の最後尾につきました。

恐らく、今後も金曜日の夕方や土日などは、基本的には入場制限がかかり、数十分程度は並ばされそうです。また、展示も大作の周りには人だかりとなり、結構見づらい雰囲気でした。せめて、時間をずらすか、有休でも取得して平日の午前中に行くのが良いと思います。

2、音声ガイドは中谷美紀

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そしてぴったり20分待って、入り口でいつものように音声ガイドをゲット。また歌舞伎役者か古典芸能関係の人かなと思ったら、ガイドは中谷美紀でした。

中谷美紀も、もう気がつけば40代。すっかりハイカルチャーな文化人的女優へと進化したのですね。非常に聴きやすく、落ち着いたガイドは見事でした。

途中、アメリカ人若冲コレクターのプライスさんの記念ショートインタビューも入っています。「This is JYAKUCHU !」とプライスさんが興奮気味に話していたのが印象的でした。是非借りてみてください!

3、伊藤若冲ってところで誰なの

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伊藤若冲(1716-1800)は、主に上方/京都で活躍した江戸時代中期を代表する日本画家です。ほぼ同時期には円山応挙や与謝蕪村がいて、彼らと絵師としての人気を分け合ったと言います。キャリア初期こそ狩野派や宋~明代の中国絵画の影響を受けていましたが、40歳前には動植物を丹念に描きこむ独自のオリジナルな作風を確立します。

若冲の本名は、伊藤文左衛門。京都の錦大路で「桝屋」という青物問屋を代々手掛ける裕福な商店の長男でした。ただし、仕事や人付き合いは苦手で、もっぱらお店や家の切り盛りは家族任せでずーっと引きこもって絵を描いていたようです。

奥さんにも早々と先立たれ、飲む打つ買うは全くやらず、仏教に帰依してひたすら絵画に邁進した人生でした。これ、売れるまでは家族は大変だったろうな~。と思っていたら、澤田瞳子氏の小説「若冲」でも、隠居するまでの前半生では、親族内では変わり者・厄介者として描かれていました(笑)若冲の生涯を描いたこの小説、理解も進むし面白いのでおすすめです。

4、なぜ伊藤若冲が今ブレイクしているのか

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「釈迦三尊像」/若冲展パンフレットより引用)

伊藤若冲は、ゴッホやカラヴァッジョのように、一旦美術界から忘れ去られてから、時間を置いて再評価されてブレイクした画家でした。昭和に入って、その再評価の最初のきっかけとなったのが、日本画評論家の大御所、辻惟雄が1969年に出版した「奇想の系譜 又兵衛-国芳」で若冲研究をスタートしたことでした。ただし、この時はあくまで変わり者、日本美術界での風変わりな「傍流」としての扱いです。

この前後にいくつか散発的に若冲研究が進み、徐々に認知・再評価が進んでいきました。そして、2000年に京都国立博物館で開催された回顧展が、想定の3倍近くの9万人の動員に成功します。ネットの口コミ等で、じわじわ人気が広がり、予想外の人気を博した結果でした。ようやく「見つかった」のですね。「えっ、日本にこんな画家いたの?!」と騒然となりました。

そして、2006年、アメリカの収集家プライスさんの若冲コレクションを里帰りさせて日本中を回った「プライスコレクション展」でその人気がさらに高まります。以来、「若冲」の名を冠する美術展やその作品が紹介される展示会は、どれも好調な動員数を稼いでいます。

若冲没後、約200年ぶりにその人気が再燃した理由は、いくつか挙げられていますが、有力な説としては、桝目描き技法に代表されるデジタルと親和性の高い描画技術と、パソコン上でも拡大鑑賞に耐えうる超緻密な画風が、現在のパソコン文化にフィットしたからではないか?と言われているようです。

5、伊藤若冲の作風って?

日本画の歴史を振り返ってみた時に、若冲の作風は、いわゆる主流派である狩野派とは明らかに違う、当時では前衛的、突然変異的な異端画家だったと言えます。前述の辻惟雄には「奇想の画家」とされ、その意外性とオリジナリティを、こんな感じで表現されています。(多分これ褒め言葉でしょう・・・)

「シュルレアリスムの作品を連想させるような、この驚くべきイメージ」
「ユーモアとグロテスクのカクテルされた、何とも不思議な表情」

5-1、詳細まで描きこまれた緻密な作品たち

大混雑しているのでなかなか近くまで寄って細部までじっくりチェックするチャンスがないかもしれませんが、各作品に近づけば近づくほど、徹底的に描きこまれた超絶技巧とその緻密さに圧倒されます。

中国画等からの模写で作品を完成させることを安易に良しとせず、事物の写生を第一として丁寧に動植物を観察し、微細な所まで手を抜かずに描き切りました。そのマニアックなまでの徹底した几帳面な姿勢は、僕のような絵画の素人からみても一目瞭然。どの作品からも超越したプロ意識と超一流の匠の技を見て取ることができます。すごい、の一言。

5-2、だけど完全に写生に徹したわけではない

その一方で、100%写実に徹しているわけではないんですね。ユニークな動物の表情や、デフォルメまたは強調された動物の姿形からは、完全に事物の外形を正確に再現するというよりは、明らかに絵画としての制作意図が反映されているように感じ取れます。

単なる写生で終わることなく、心の中の内的ビジョンを目の前の動植物の表情や姿形に映し出すことを重んじたことは、ちょうど19世紀終わり頃のフランス印象派や象徴派と共通する感性があるように感じました。

そこには、若冲の、オタク的な強い探究心とユーモア精神が混ざり合った感性のフィルターを通して、きらびやかだけどマニアックで、でもどことなくホッとするような不思議な作風が醸しだされているように思えました。(うーん、このあたりは勉強不足でうまく伝えるための語彙や知識が不足してるんだけど、まぁ絵を見てもらえればわかるって^^;)

6、今回の展示会の見どころ

今回の展示作品は、約80点。多分混雑しているので、全部の作品を落ち着いて見て回ることは難しいと思います。特に、10m以上ある絵巻物などは、後ろからだと何も見えなかった・・・。まぁその辺りは図録で補うかするとしても、絶対に見ておいて欲しい展示があります。

それは、階段を上がった1F(スタートはB1から始まる)の大スペースに円環型に展示された、30編の「動植綵絵」と3編の「釈迦三尊像」。

この動画の52秒位のところから、「動植綵絵」の展示スペースの様子がわかります。展示スペースを上から見ると、こんな感じです。ワンフロア全部使って、部屋全体をぐるっと囲って絵が配置されているわけですね。

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(引用:出品作品リストより)

この合計33編の絵画こそが、現存する若冲の作品群の中では、間違いなくマスターピースとなる作品群だと言えると思います。若冲は、この33編の絵画をなんと10年もかけて完成させています。家業の青物問屋の家督を弟に譲ってしばらく経過した43歳頃から描き始め、51歳になった時に、全て揃って相国寺への寄進が完了しました。ほぼ40代の頃は全てこの「動植綵絵」シリーズに没頭していたということですね。

本当にどの絵も素晴らしいんだけど、僕が気に入ったのはこのあたり。

「紅葉小禽図」
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(引用:日本画を見る〜伊藤若冲〜

もみじの1枚1枚の彩色の濃淡、グラデーションや描き込みが非常に美しく、展示会で目を引きました。画面に事物を詰め込む若冲にしてはスペースがしっかり取られたあっさり風味。

「雪中錦鶏図」
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(引用:伊藤若冲《雪中錦鶏図》 - 学芸員のちょっと?した日記

雪の中のあざやかな「緑色」が見事なコントラストです。当時緑色を表現するには高価な「緑青」が使われましたが、この絵では非常に贅沢に使われています。

「紫陽花双鶏図」
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(引用:日本画を見る〜伊藤若冲〜

色とりどりの羽を持つ、派手な外国産の観賞用鶏2羽があじさいの木の下で弄れる構図。よく見るとあじさいの花は1つ1つ色が塗り分けられていますし、花びら1枚1枚少しずつ形も違い、丁寧な仕事ぶりに感心しました。

ぶっちゃけ、全部良かったのですが、ここでは紹介しきれないので、こちらのまとめを紹介しておきますね。「動植綵絵」全30幅の画像をまとめてくれています。

それから、「動植綵絵」以外だと、プライス氏のコレクションから、こちらの「桝目描き」技法を駆使して制作された「樹花鳥獣図屏風」も圧巻でした。

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ブログに貼り付けるとわからなくなっちゃいますが、この屏風は、全部で約4万個の「1cm✕1cm」四方の桝目から構成されていて、その桝目を一つ一つ彩色していくことで、タイル状というか、一種のモザイク画のような味わいが醸しだされています。最近の研究によると、この技法は、当時の西陣織のデザインの一技法を応用されたものではないかとされています。

7、まとめ

今回「生誕300年記念若冲展」は、まさに現代において伊藤若冲の名声・人気を不動のものにする最後のダメ押しとなる大展示会になりそうです。上記で紹介した「動植綵絵」以外にも、新印象派のお株を奪うような点描で描かれた石灯籠図屏風や、画面上に沢山の犬が戯れている百犬図(※5月8日までの展示)など、見所満載です。

結論としては、多少混んでも、是非我慢して並んでみてください!ビッグサンダーマウンテンよりは並ばないはずですから・・・。展示室に入って作品と相対した時、その苦労はきっと報われると思います!

それではまた。
かるび

 

池上彰って過小評価されてない?教養を身につけるなら外せないと思う。

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(引用:http://honvieew.com/business/1613

かるび(@karub_imalive)です。

ここのところ、「読書」に力を入れています。

人生80年として考えると、今ちょうど自分は40歳。そこで、自分の後半生の血肉になって世界を広げてくれるような知識や教養を一杯身につけたい。そのために、いろんなジャンルを読んでいきたいなと思っています。

元々読書は大好きで、小学校の時などは暇さえあれば図書室へ通っていたくらい本の虫でした。でも社会人になってから可処分時間が減ってからは、がくっと読書量が減りました。20代後半~30代前半にかけては、自己啓発書や仕事の実用書は結構読みましたが、それは厳密な意味で「読書」と言えるものではなく、今振り返ってみると、そこからはあまり本質的な学びは得られなかった。読書、という観点だけで見ると、自分のここまでの社会人生活は「失われた17年間」だったな・・・と(笑)

そこで、今年の3月頃から、1日1冊を目標に、知識・教養を補強するため、あらゆるジャンルの本をとりあえず乱読・多読することに決めました。小説やエッセイからノンフィクション、人文・社会科学系から自然科学系まで、古典・新刊を問わず、目についたものを片っ端から試しています。

特に、高校時代で選択必修の際に選ばなかった「世界史」やそれに続く「現代史・時事ニュース」については、非常に知識が弱く、このあたりは入門書から入っています。

で、どのあたりから入ろうかなーと思っていた所、見つけたのが「池上彰」の一連の書籍。図書館に行っても、古本屋の100円コーナーにも大量に転がっています。

その膨大な流通量の割には、HONZなどの書評サイトでは、あまりレビューされてなくて、きっと適当な本を粗製濫造してるんだろうな、と思って、最初はスルーしていました。というか、最初見た時アナウンサー上がりの芸能人だと思ってた(笑)

でも、世の中に大量に出回っているということは、必ず売れている理由があるということです。きっと何かしら良い点があるのだろう、食わず嫌いはよくないな、と思って、思い直して古本屋で何冊か軽い気持ちで買ってみたのですが、これが意外によかったのです。

それ以来、本屋や図書館での試し読み・立ち読みを含め、20冊ほど固め読みしてみましたが、読めば読むほど硬派でしっかりしたジャーナリストなのだということが分かりました。何が芸能人だ・・・

ということで、前置きが長くなりましたが、今日はこのエントリで、池上彰の何が凄いのか?書いてみたいと思います。

どんなジャンルの本を書いているのか

池上彰は、元NHKの政治記者で、2005年にNHKを退職して独立。現在はフリージャーナリストとしてテレビ・講演活動・大学教授・著作家とマルチな活躍をしています。池上彰氏の著作をAmazonで調べると、5月1日現在、共著も含めると364冊も出てくるほど、大量の著作を残しています。

主なジャンルは、「近現代史」「時事ニュース」「国際情勢」から「教養論」「コミュニケーション論」「自己啓発」「マスコミ論」など。人文/社会科学系の主要論点であれば、ほぼ百貨店的に全領域で網羅されています。中でも一番得意なのは、ジャーナリストとして長年積み上げてきた膨大な知見が売りである「時事問題」「国際ニュース」「近現代史」といったところでしょう。

逆に、「サブカル系」「科学系」「IT系」「芸術・文化系」にはそれほど明るくない印象です。未だにTwitterアカウントや公式ブログを持たない所や、新聞のクリッピングを日課にするなど、デジタル系サービス・機器には疎いところが垣間見えます。仕方ない。歳だよね。(参考文献:『学び続ける力』

池上彰の本がすごい3つの理由

ここ2週間ほどで、20数冊一気読みしてみて自分が感じた池上彰の凄さは、一言で言うと「自分の知らない分野に入門する際の、信頼感」です。ジャーナリスト・評論家として、新たな分野を学び始める時、この著者の言っていることは信用できるのか?と考えた時に、池上彰の本からは、内側から滲み出る安心感みたいなものが常に醸しだされている。そう感じます。

その安心感はどこから来ているのだろうか?と考えたのですが、その理由は主に以下の3つに集約されると思います。

1、わかりやすく伝える力を極めている

池上彰が評価される一番の理由は、これだと思います。元々、テレビでの時事ニュース解説等で、「わかりやすさ」は評判でしたが、その自身の知見を新書にまとめて書き下ろした2007年の『伝える力』 はベストセラーになりました。

彼の著作の凄いところは、単に情報量を削って物事を安易に単純化しているわけじゃないところです。わかりやすさを優先しながらも、全く未知な状態からその分野へ入門する際の、必要十分なレベルの分析と情報量が確保されている。

本質をつかむまで、徹底的に自身で掘り下げて勉強した上で、長年培ったコミュニケーション技術を応用して、わかりやすい文章へと噛み砕いていく、いわゆる和文和訳的な作業を、極限まで突き詰めています。

一見、簡単そうですが、やってみるとこれが非常に難しいのです。いわゆる、「NAVERまとめ」的な無料媒体の表面的なキュレーション記事なら我々素人ブロガーでもできますが、そういった無料ブログレベルとは、一線を画すクオリティです。

2、徹底した現場主義

1950年生まれの池上氏は、もう66歳。サラリーマンならとっくに定年です。かなりのご老体なのに、今でも必ず年に数回は世界中のニュース現場に出かけていきます。

特に、イラクやリビア、ヨルダン、パレスチナといった中東の紛争地域にも危険を顧みずガツガツ出向いて行き、取材して一次情報を取りに行く姿勢は素晴らしい。実際に、宿泊したリビアのホテルは、その後まもなく、内乱で爆撃されて跡形もなくなったそうです・・・。

現場に行かないと決してわからないであろう、池上彰自身の五感で感じた現場での肌感覚を、著作の中で凝縮して反映することで、わかりやすさにリアル感や凄みが加わり、著作中での言説に説得力を与えているのだと感じます。

安易にネット上などの二次情報でよしとするのではなく、一次情報の取得に余念がない貪欲な姿勢は、場末のブロガーとしても見習わないとなと思っています(笑)

3、ジャーナリストとしてのプロ意識と日本人的感性

どんなジャンルでも、一流のプロは奢ることなく技芸や知識を貪欲に追求するものですが、業界を代表するジャーナリストとして活躍する彼も、著作「伝える力」で

知ったつもりになっても、実は知らないことは、誰しも山ほどあります。謙虚になれば、それが見えてきます。逆にいうと、謙虚にならないと何も見えてこないし、成長も上達もしません。[・・・]三十数年間におよぶジャーナリスト生活を振り返って、一つ明らかにいえるのは、よけいなプライドを持っている人は、「そこまで」だということです。意味のないプライドが邪魔をして、成長できるせっかくのチャンスを自らみすみす逃してしまうのです。

このように書いています。キャリアを積み重ねても、まだまだわからないことは沢山ある、という謙虚な姿勢が非常に共感を呼ぶのです。超多忙な毎日の中、日々の取材の他に毎朝全国紙5紙に目を通し、年間300冊読書するアグレッシブな姿勢はプロそのものですね。

また、取材する際は、良い意味での日本人としての美徳や、大衆としての目線をベースとして、権力に対して物怖じせずズバッと切り込んでいく、いわばジャーナリストとしての美徳・プライドも著作からはビシビシと感じられ、読んでいて一種の爽快感ももたらしてくれます。

特におすすめの著作を幾つか紹介します

1、「知らないと恥をかく世界の大問題」シリーズ

2009年以来、1年に1冊ずつ上梓されている、定番のベストセラーシリーズです。最新刊は5月10日に「7」が出版されます。世界のリアルタイムでの国際時事ニュースを、極限までわかりやすく解説した本です。教科書的に事実が単に羅列されているわけではなく、近現代史や文化史や経済学的な観点から掘り下げて、ストーリー仕立てでビジュアルも交えた説明もあり、理解を促進する仕掛けが満載。アメリカやアジアだけでなく、ロシア、イスラム圏、アフリカなど、全世界での時事トピックをまんべんなく網羅していますので、これはおすすめ。

ぼくは、図書館で全部借りて、それぞれ1度ずつ読み返しましたが、このシリーズが一番役に立ちました。最新の「7」は早速キンドルでポチりました。早く読みたい!

2、「伝える力」シリーズ

いわゆる「自己啓発系」ジャンルでは一番良く出来た本だと思います。ベストセラーとなり、フォロワーとなる類似書もたくさん出版されました。2007年に出版された「伝える力」では、仕事や生活におけるコミュニケーションのあり方や姿勢について、2011年の「伝える力2」ではそれを踏まえたより詳細なコミュニケーション技術について、池上氏の長年のジャーナリストとしての経験からノウハウが語られています。ここでも、やはりキーワードは、「わかりやすさ」でしょう。如何に「わかりやすく」物事を伝えることが大切か、非常に平易な語り口で書かれています。

3、池上彰の「経済学」講義 歴史編

現在、東工大でも講義を受け持つ池上氏ですが、少し前に愛知学院大学でも教壇に立っていました。その愛知学院大学での「経済学」講義15回分を収録・編集した実況中継的な本です。20世紀の終戦直後あたりから日本・世界の現代史を踏まえながら、経済に焦点を当てて解説されています。現代史と経済について二つを一気に学べる、濃い内容の本でした。東工大の講義本よりこちらの方が内容は濃いかなと思います。

さすがに濃い内容なので、かなりの学生が単位を落としたらしい(笑)授業はわかりやすくて、テストも持ち込みオール可なのですが、池上先生の授業は採点は厳しかったそうですね。

まとめ

そういえば、もうすぐ日本でも秋には衆参同時選挙が見込まれていますね。またテレ東系列では,選挙速報での「池上無双」が見れるのではないでしょうか。前回の衆議院選挙速報で見せた、時には政治家を怒らせるくらいズバッと歯切れよく切り込む姿勢は、日本中の視聴者に感嘆の嵐を巻き起こしました。

池上彰の本は、書評サイトや、知識人系の書いた「読書推奨本リスト」にはほとんど挙げられることがなく、やや過小評価されているきらいがあります。恐らく、そんな入門書レベルなんて簡単すぎていまさら読まなくても・・・と思われているんでしょう。

そんな風に思っている人ほど、一度図書館などでいいので、是非手にとってみてほしいです。読み進めると、自分が如何に理解があやふやだったか再認識させてくれる良書が多いですから。

物事を難しく語るのは誰でもできますが、誰でもわかるよう簡単に説明するのは、一見易しそうに見えて、実は奥が深く修養を必要とするのです。そんなわかりやすく伝えるプロである池上氏の本は、実務的にも、教養を広げるための第一歩としても、幅広く使えるんじゃないかなと思います。

それではまた。
かるび

会社では決して教えてくれない、うつにならない一番の秘訣について

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かるび(@karub_imalive)です。

GWの真っ最中だというのに、うつ病に関する記事がいくつか上がっていたので、少し自分なりに発見した「うつにならないための秘策」を書いてみたいと思います。

鬱病は病気。 - アニイズム
鬱は病気っていうけどさ

僕も、中小Sierのエンジニアとして、自分自身うつになりかけた経験もありますし、*1さらに人事・営業部門といった間接部門に移ってからは、沢山のうつ状態の人を送り出したり、休職から復帰する手助けをしてきました。

上記エントリの内容やブックマークコメントを読むと、健康管理は自己責任というけれど、それができてりゃうつにはならないわ!的な意見が多かったです。

それはすごく分かります。

会社は社員を働かすための仕組みだから自衛が難しい

だって、会社は基本的には社員を働かすための仕組みですから。社員を働かすために、色々な管理や仕掛けは作り出しても、「君、体調やばそうだし、うつになりそうだから、予防措置として休んでいいよ?」とは正面切って言いませんからね。

特に、労働集約的産業なら、人が稼働してナンボですから、気遣うフリをするだけして、会社側の本音は、「できるだけしっかり稼働しろ」ですから(笑)

労務管理が行き届いた会社でも、基本的には自己責任論をベースとしたセルフチェックシート等のセルフケアを推奨したり、勤怠システムで残業規制を形式的に入れるくらいまでしかやらないでしょう。

そんな弱い対策では、多忙な職場・作業現場からの作業継続圧力にはまず勝てません。そして、劣悪な人間関係や長時間労働、納得感のない作業が続くと、人はあっという間にうつ状態へと落ち込んでしまうんですよね。もう、採用担当としてそんなケースはいやというほど見てきました・・・。

うつになる人とならない人を分けるものは何か

採用担当として、約10年間、労務系の仕事を担当して、数百人の社員の入退社に関わる中で、気づいたことがあります。それは、どんなに劣悪な環境下であっても、きちんと成果を残しつつ、しかも不思議な事にうつにならない人が一定数存在するということです。

その一方で、業務での精神的・肉体的負荷により、うつ状態へと落ち込んでしまい、休職・退職を余儀なくされた人も、沢山見てきましたし、お世話してきました。その話は、このあたりに書いてあります。

まず、うつになりやすい人の特徴としては、

  • とにかく、辛くても真面目に業務に取り組む
  • 決められたことはキッチリやりきる完璧主義
  • ゆえに仕事が集中するか、滞留しやすい
  • 人が良く、仕事を振られても断れない

こんなところだと思います。

真面目で几帳面。そして、任された仕事は懇切丁寧に100%全力でいつもやろうとします。基本的に優秀なんですよね。それ故、山のような仕事の前に圧倒され、処理しきれず破綻してしまう。結果として、心身に変調を来たしてしまい、うつ状態になってしまった。そんな事例が多かったように思います。

一方で、同じような状況に陥っても、決してうつにならない人がいます。彼らは、きつくなってくると、確かにつらそうな顔をして苦しみます。決して楽勝じゃないわけです。それでも、決してダウンはせず、最後には成果を出して案件をクローズできる。

うつになる人と、ならない人の一番の違いってなんなんだろう?と思ってここ最近考えていた中、達した結論としては、うつにならない人は、「うまく、適度に仕事をサボっている」。

大事なのでもう一回書きます。

「うまく、適度に仕事をサボっている。」

そうなんです。プロジェクトや作業は押しているので、あるいは立場的にも会社や仲間の目がある以上、有休等で大手を振って休暇を取得することは許されない。でも、会社商慣習的に、やむなしとして、会社や同僚、上司などが納得できる言い訳を作っちゃえば、休めるわけです。

ちょっと具体例で説明すると、例えば・・・。

1.火消し専門のAさんの場合

Aさんの自衛手段は、「会議ぶっち」。どうでもいい定例会議とか、形だけやっているつまらない会議ってありますよね。Aさんは、そういった会議をそれなりの確率で「カゼ」や「顧客訪問」「他の打ち合わせとのバッティング」などの名目で、よくわざと欠席してました。

その時間、何やってたの?って聞いたら「あまりにもバカらしいので、近くの喫茶店とか家で寝てた」そうです。納得。そうやって、ストレスを抜いていたんですね。

2.優秀なプロジェクトマネージャBさんの場合

Bさんは、朝一、それなりの確率で会社に来ません。(※僕の会社は勤怠が結構厳しく、フレックスではなかった)でも、無断欠勤ではなく、必ず朝に会社に連絡を入れ、やむを得ない事情を報告します。曰く、「今日は熱があります」「病院に行ってから会社行きます」「朝顧客訪問が入ってます」と、他の同僚やプロジェクトメンバーから文句を言われづらい理由を入れて、堂々と昼からゆったりと会社に来ます。

カゼなら仕方ないよね、ってことで、さらっと許されて、しっかり残業が厳しい時でもきっちりと埋め合わせの休みを入れるたくましさ、素晴らしいです。

3.最近管理職に若手として抜擢されたCさんの場合

Cさんは、「客先へ直行」「客先から直帰」を上手く取り入れて、サボる時間を捻出しています。いや、どうみてもすぐ商談終わるだろうから、会社戻れるでしょ?っていうツッコミは意外と入れづらいし、そもそも他人には自分のスケジュールはそこまでチェックされないもの。あるいは、顧客訪問時間を1時間長く入れておき、外でコーヒーを飲んで休憩するなど。うまくそこで手を抜いてます。

4.技術営業のエース格Dさんの場合

技術営業のエース格Dさんは、生来の持病として、軽い喘息を持っています。気圧の大きな谷間には、発作が起きる時もある。疲れが溜まってきたら、思い切って「今日は喘息の症状がキツくて熱があるんで休みます」と会社に報告を入れて、1日休みを取ることが割とあるのです。

で、あとで聞いてみたら、「まぁ本当にキツいときもあるし、そこまででないときもあるっすよ。でも成果出してるから良いでしょ?」だそうで。はい。全く問題ありません。

5.内勤の採用担当だったKさんの場合

子供が保育園に通っていたか◯びさんの必殺技は、「子供が熱を出したので、病院に連れて行きます」です。外回りで直行直帰等の技が使えない内勤者でタバコも吸わないので、営業さんのような調整が難しい。そういう場合は、子供の世話を全面に押し出して調整します。これで半日は自分の時間が確保できる。大抵は、本当にそうなんですよ?!でもね、そうでない時も・・・(以下自粛 ま、たまには活用させてもらってるってことで。それを盾に会社に報告すれば、「あぁ仕方ないか」と現場も諦めてくれます。

小さく、確実に細かく休みを取ってストレスを解放する

つまり、うつに上手く対抗するためには、持続するストレスを一旦どこかで断ち切って、心を解放する「休み」が有効だってことだと思うんです。それは、「1日」単位じゃなくても「数時間」とか「半日」でも有効です。

そういった細切れの休みなら、取得しづらい有給休暇や、査定が下がるリスクの高い無断欠勤という形じゃなくても取れるわけです。とにかく、まず、1)会社側が一応納得できそうな理由をつけ、2)しっかり会社に報告した上で、3)小さい単位で会社に理解されやすい「合法的な」理由で休暇を取得する。

激務でも決してうつにならない社員達は、こうして定期的にサボることで、心身を上手に調整していたということです。

まとめ

うつにならない一番の対策は、やばいな、と思ったら、会社を退職したり休んだりすることだと思います。でも、そこはなかなかスパッと割り切れない。で、あれば、上手く自分で自衛のために調整するしかないですよね。

このあたりのノウハウは、会社に入っても、新入社員研修やメンタルヘルス研修などでは教えてくれません。また、先輩社員も積極的には語ってはくれない「暗黙知」であります。いわば、会社で生き抜くための「必要悪」な知識だと思うんです。

本エントリは、決してホメられた話ではありません。会社で全員が全員毎日こんなことやってたら、経営は多分持たないでしょう。

でも、業務多忙により、たった今、あなたがうつで倒れてしまい、仕事に大穴を開けるくらいなら、自衛の為の非公式な息抜きを取りつつ、うまくこなしたほうが、会社にも、自分にとってもよっぽど良いと思いません?

後口上が長くなりましたが、要するに、うつにならない自衛策として、こういったサボりに近いノウハウは意外に大事なんじゃないか、という話でした。

真面目で頑張ってる人には報われて欲しいので、少し書いてみました。

それではまた。
かるび

*1:それはまた後日機会があったらアップしたいと思います。

【書評】あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして

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かるび(@karub_imalive)です。

5月8日に発売された、はてなの人気ブログ「リンゴ日和。」の今泉ひーたむさんの処女作「あのね、わたしがねちゃってても、あとででいいからだっこして」が出版されました。今日は、個人的にいちファンとして、書評を書いてみたいと思います。

ひーたむさんのブログ、「リンゴ日和。」は自分としてすごく思い入れのあるブログです。ひーたむさんが「書籍化されます!」とブログでアナウンスされた瞬間に、これは外せん!ということで、秒速でAmazonでポチっておきました。

昨日、発売日に無事届きましたので、「鉄は熱いうちに!」ということで、読んだ感想を早速書いてみたいと思います。

1.表紙はこんな感じ!

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表紙は、ブログのイメージそのままですね。

ひーたむさんのブログが一気に認知され、人気ブログへと駆け上がっていったターニングポイントとなったエントリのタイトルがそのまま題名、表紙になりました。

僕は、その記事が書かれるちょっと前から「リンゴ日和。」をチェックするようになっていたのですが、この記事を見た時、完全にファンになってしまいました。

見た時、ほろっとなって、その場で妻に「ちょっとこれこれ、このブログやばいよ!」とスマホを持って行って読ませたことをありありと思い出します。

2.この本のコンセプト

はてなブロガーやブックマーカーの人ならご存知かとは思いますが、一応知らない人のために説明しておきますね。この「あのね、わたしがねちゃってても、あとでいいからだっこして」は今泉ひーたむさんのブログ「リンゴ日和。」で、2015年秋頃~今年の春にかけてブログに連載された絵日記を忠実に再現して、書籍化したものです。

絵日記では、ひーたむさんが子供二人との日常のふれあいの中で印象的だった出来事を1コマ~2コマの水彩画風のイラスト付きで短く綴られています。ブログでは、2016年5月8日時点で、約150エントリほどアップされていますが、そこから半分程度のエピソードを抜粋して本にまとめられました。

これにプラスして、子育てについての描き下ろしのエッセイやマンガも入ってますし、絵も描き直したものも多いとのことですよ。

3.登場人物の紹介

※イラストは全部こちらのページから引用させて頂きました
はじめまして - リンゴ日和。

この本で出てくる登場人物は、ブログ同様、ひーたむさん一家4人です。

もちろん、主役はこの二人。イラスト左側の長女・ゆー(5才)と、右側の次女・ふー(2才)です。
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ゆーちゃんはちょっとおませなしっかりタイプのお姉さんです。お父さんに対するツンデレぶりが見どころ。書籍では、「泣き虫で負けず嫌い。イチゴが大好き。」と紹介されていますね。

そして、次女のふーちゃんは甘えん坊で天真爛漫な元気一杯なタイプです。食いしん坊でアクティブな妹タイプの性格で、音楽とダンスと白米を、こよなく愛している。」

そして、「私」ことひーたむさん。書籍では「インドア派」と書かれていますが、確かに絵日記の題材は、家の中での出来事がほぼ中心ですね。平日は仕事で忙しいパパの分まで、日々子供の育児に向き合う心優しいママです。

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そして、「リンゴ日和。」の大切なスパイス・・・というか、陰の主役?として、よくオチに使われるお父さん。二人の子供にメロメロで、親バカで、家では特に長女・ゆーちゃんに翻弄されっぱなし。でも、自称「都会的な空気感」をアピールするだけあり、メガネを取ったらイケメンのやさしいパパなんですよね。

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4.この本の一番の魅力とは?

ひーたむさんが日々の育児で子どもと向き合う中、印象的だった日常の一コマをオムニバス型式で綴っているのですが、その何気ない日常の切り取り方のセンス・感性が抜群に鋭く、面白いのです。書籍をめくっていくと、「あー、そうそう、子育てしてると、こういうことってあるよね~」と共感できることばかり。

育児・仕事の両立で多忙な中、子供と交わした何気ない一言にハッとさせられたり、泣かされたり、癒やされたり、っていう経験は、小さい子を持つ親なら、日常的にいろいろ感じているはずなんです。

ただし、それは意識的に自分の中で思い出として記憶・整理しておかないと、日々の慌ただしさの中、あっという間に流れていって、過去のものになってしまいがち。

ひーたむさんの本は、そんな日常の忙しさの中で無意識に流れて、見逃してしまっていた、子どもとの交流の中で感じていた感情や記憶をいつでもリアルに思い起こさせて追体験させてくれます。そこが自分にとっては一番の魅力です。

「あー、そんなことあったよね。わかるわかる。」
「そうそう、子供ってバカだけどハッとさせられるんだよな~。」

とか、いつも相槌を打ちっぱなしです。

5.同じ世代の子供を持ち、同時期に始めたブロガーとして

僕の子供も、長女・ゆーちゃんとほぼ同い年の6才になります。男の子なので、細かいところは違う部分もありますが、でも、ほっぺたにちゅーしてきたり、幼稚園での劇の出番が少ないことにシュンとしたり、離れ離れになったら心細くて泣いてしまったりっていうところなど、とにかく驚くほど共通項が多く、深く共感できるんですよね。まるで自分の子供の絵日記を見ているようです。

加えて、ひーたむさんと自分はほぼ同時期にブログを始めたいわゆる「同期ブロガー」的な存在です。僕が2015年9月末に、ひーたむさんは、10月中旬に、とここまで半年ちょっと更新を続けてきた戦友みたいなものです。(と少なくとも僕は勝手に考えている)

「リンゴ日和。」はすでにその後100万アクセスを達成するなど、僕は遠く置いて行かれましたが(笑)、こうした同期ブロガーが頑張って本まで出版したっていう事実は、非常に勇気づけられるし、素直にすごい!と思ってしまいます。

6.まとめ

本のオビに、こう書かれていました。

癒やされたり、泣かされたり。子どもたちの、小さいけれどせいいっぱいな言葉たち。

そうですね。僕も、この春に会社を退職して、しばらく家にいる機会が増えました。残念ながら僕にはひーたむさんみたいな鋭いセンスや感受性はありませんが、これからは時間が出来た分、出来る限りもっと子供と向き合いたい。そして、少しでも印象深い思い出を心に残して行きたいな、と思いました。

本当に、おすすめの本です。

それではまた。

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ルノワール展@国立新美術館は幸せで楽しい絵画がいっぱいでした。おすすめ!

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かるび(@karub_imalive)です。

若冲展でしばらくお腹いっぱいだったのですが、GW明けたらまた美術展に行きたくなってきました。天気も良かったし、今日は兼ねてから「これは行く!」と決めていたルノワール展@新国立美術館に行ってきました。本エントリでは、その感想を書いてみたいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安について

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入場したのは、5月12日(木)の11時台。画像だけ見ると、それほど混雑していないように見えますが、平日なのに展示会場内はかなりの人出でした。ツアー等の集団客や修学旅行中と思しき中高生もいましたね。

会場が広々としているのでそれほど気にならなかったですが、会期の後期にかけてTV等で特集が組まれた後などの土日休日は、ひょっとしたら入場制限がかかるかもしれませんね。

展示数は、映像資料、彫刻、デッサン、絵画など全部合わせると100点を越えます。全部しっかり見て回るのであれば、最低1時間30分程度は見ておいたほうがいいでしょう。僕は音声ガイドを聞き、メモなども取りながらだったので、2時間15分かかりました。

2.音声ガイド

あれば必ず借りている音声ガイド。今回のガイド機貸出料は、よくある520円ではなく、550円。いつもよりちょっと高めです。

メインガイドは、元宝塚宙組の大空祐飛さんでした。

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また、本展示会の監修者であるシルヴィ・パトリさんの特別解説が数編、ドビュッシーの室内楽も聞くことができます。(ブランス人の印象派系展示会といえば大体ドビュッシーなのはワンパターンだが・・・)

3.画家ルノワールについて

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ルノワール(1841-1919)の本名は、ピエール・オーギュスト・ルノワールと言います。フランス中西部のリモージュで生まれ、幼い時にパリに移り住みました。父の勧めもあって、若干13歳で磁器絵付け職人を目指して修行を開始しましたが、産業革命の波により失職。

絵付け修行中に、同僚から「小ルーベンス」とあだ名されるほど抜きん出た才能があったため、20歳頃から画家を目指すようになります。スイス人画家シャルル・グレールの主催する画塾で学ぶうちに、その塾にて、後の印象派の主要プレーヤーとなるモネやシスレーと出会い、以降長い長い画家生活へと入りました。

印象派の大家ではありますが、生涯を通じて細かく画風を変化させています。1860年代、70年代、80年代、90年代以降では、それぞれ微妙に画風が違っていますが、今回の展示会ではそのあたりもたっぷり見比べられますよ。

自分としては、最晩年に南仏カーニュの自宅にて裸婦の戯れる理想郷的な絵画を描いていた時代が一番好きです。去年のモネ展や、今年の安田靫彦展もそうでしたが、画家の最晩年の作品って、細かい技法は捨象され、抽象的で、辿り着いた自己表現の極みみたいな凄みがあると思うんですよね。

4.展示会のコンセプトって?

今回の展示会では、オルセー美術館と、その姉妹館であるオランジュリー美術館から、ルノワールと、その作品に関連する画家たちの作品群が来日しています。

オルセー美術館f:id:hisatsugu79:20160512162004j:plain

オルセー美術館は、パリに旅行に行ったらまずルーブル同様に外せない定番観光コースでもあります。元々オルレアン鉄道の駅舎兼ホテルで、老朽化に伴い取り壊されるところを、美術館へと改修して1986年に開業しました。主に19世紀中盤~後半に活躍した美術家の作品群を収集しており、今年で開館30周年になります。

そのオルセー美術館と、セーヌ川を挟んだ対岸に位置するのが、オランジュリー美術館です。

オランジュリー美術館f:id:hisatsugu79:20160512162406j:plain

 こちらには、モネの壁面一面を覆い尽くす「睡蓮」の大装飾画や、印象派、そしてマティスやピカソなど近現代西洋絵画を展示されています。

今回のルノワール展では、この2つの美術館から、ルノワールを中心としてコロー、ベルト・モリゾ、ゴッホ、ピカソ、マティス等、合計100点を超える絵画が集められました。(でも安心してください。大半はルノワールの作品で、その他画家たちはあくまで脇役ですから/笑)

 5.目玉は名画「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

今回の展示会の目玉は、酒場での野外の舞踏会の楽しい様子を描いたルノワール中期の名作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。ポスター等チラシには、「日本初上陸!」と謳われていますね。

ただし、厳密な意味では日本初来日ではなく、実はこの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、1988年に「東海の暴れん坊」と謳われた大昭和製紙のオーナー、齊藤了英氏が約119億円で落札し*1に来ていたのです。

バブル時代の日本企業って、ロックフェラービルは買うわ、ハリウッドの映画会社は買収するわ、ゴッホのひまわりは買うわ(これは新宿の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で常設展示中!)、どんだけやりたい放題だったんだよ、って感じですね。

これにはちょっと面白い恥ずかしいエピソードがあって、この齊藤了英氏、アダ名の通り破天荒な性格で、「ワシが死んだら、これを棺桶に入れてくれ」と放言し、世界中の美術関係者を呆れさせたとか。危うくこの世界遺産級の名画は焼かれて灰になるところだったのでした(笑)

今回の展示会では、そのあたりの恥ずかしいエピソードはなかったことにされており、晴れて「美術展」という形では確かに日本初来日、というわけなのです。では、早速見てみましょう。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1877年、第3回印象派展出展作)f:id:hisatsugu79:20160512164136j:plain

中期までのルノワールの印象派絵画の集大成的な作品と言われ、1870年代当時の社交生活や都市風景の日常を捉え、正確に描き出したという点で、当時を推し量る歴史資料的な観点からも価値の高い作品と言われています。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というのは、パリ郊外、モンマルトルで1855年にオープンした、実在した酒場兼ダンスホール場の愛称です。2台の風車(ムーラン)を広告塔とし、酒場で供された小麦と牛乳の焼き菓子(ギャレット)が評判となったことから、そう呼ばれるようになりました。

ルノワールも、この絵画を描くために1876年にはこの近くのコルト通りにアトリエを借りて、連日入り浸って遊び狂っていました一連の絵を熱心に描いていました。

絵を見ると、カンヴァス上に空や太陽が描かれていないのに、光と陰を「色」で表すことによって、確かに晴れた屋外にいることがわかります。当時、このような表現方法は他にない類を見ないもので、非常に画期的な技法だと言われています。

また、この絵には様々な階級と思しき人達が入り混じって楽しそうに踊っていますね。労働者階級、ブルジョア階級、そしてルノワールの友人達である画家仲間など。当時、確かに労働者階級の暮らしぶりは決して豊かなものではなかったはずですが、ルノワールは、労働者階級の苦境をリアルに描き出すよりは、敢えて人々が幸せそうに喜びに満ちて交流する様子を好んで描き出しました。

今回の展示会では、当然目玉扱いで、大広間で一番目立つ位置に展示されています。関連展示も充実しており、次男で映画監督を務めたジャン・ルノワールの映像作品や、ゴッホ等が描いたモンマルトル近郊の酒場の様子や当時のパリの社交生活を描いた様々な絵画も併せて特集されています。このセクションだけでも、かなりの見応えでした。

6.その他特に個人的に良かった絵画を紹介

6-1.草原の坂道

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ルノワールは、印象派の画家らしく、1870年代には風景画に力を入れました。この頃には、簡単に持ち運びできるように、チューブ絵の具が発明されるとともに、鉄道網が発達したため、郊外で気軽に写生できるようになっていたんですね。特にフランスだと「バルビゾン派」が生まれるきっかけとなったパリ近郊のバルビゾン村やフォンテーヌブローの森、ヴェトゥイユの森など、街を飛び出して気軽にピクニック的なノリで絵を描きに外に出ます。

ルノワールは、特にモネと仲がよく、たびたび全く同じ場所・モチーフで作品を作っています。お互い「印象派」の重鎮だけあって、屋内とは桁違いに「光」の色彩がたっぷり感じられる戸外での作品にこだわりを見せました。

この「草原の坂道」は、今回数点出展されていた風景画の中で、一番印象に残った作品です。お土産売り場でもクリアファイルやハガキのデザインに採用されていましたね。

6-2.ピアノを弾く少女たち

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今でこそ超大御所印象派の巨匠として評価が確立しているルノワールも、現役時代は1890年代に入るまでは、いわゆる前衛派画家的な扱いをされており、政府やアカデミズム主流派からは認められていませんでした。

資料や手がけている作品を見ると、印象派展でアピールするだけでなく、ブルジョア層にパトロンを探したり、有力画商と懇意にしたりと、個人的に営業活動もかなり頑張っていたようです。

その甲斐もあって、ルノワールがいよいよメジャーデビューできたのは、1890年代に入ってからでした。この「ピアノを弾く少女たち」は、6枚の連作で描かれたうちの1枚で、当時「裕福さ」と「教養」のシンボル的な存在である「ピアノ」を題材にした、アカデミズムやブルジョア層にアピールできる勝負作でした。

ルノワールの狙い通り、政府に4000フラン(今の400万円程度)で正式に買い上げられ、当時の現代美術館的位置づけとなる「リュクサンブール美術館」に収蔵されることになりました。これが、ルノワールが、オフィシャルにフランス絵画界でメインストリームに踊り出た瞬間でした。*2

これもルノワールらしい丸みのある柔らかい子供の質感がよくでていて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットと同様、何度か見返しに絵の前に戻りました。これは良かった。

6-3.浴女たち(1918-1919)

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ルノワールは、晩年に持病のリューマチが悪化していきます。その療養も兼ねて南仏へ移住してからは、1860年代以来、しばらく封印していた裸婦像を再び積極的に手掛けることになりました。

この「浴女たち」は、亡くなる3か月前に描き上げた、最後の大作です。南仏の未開で温暖な地が醸しだす、野性的かつ牧歌的な雰囲気の草原に横たわる裸婦たちの絵画は、ルノワールの求める理想の「地上の楽園」を表していたとも言います。

ルノワールの裸婦像は、どれもこれも通常サイズよりもかなりふくよかに描かれていますが、イギリスの著名な美術評論家ケネス・クラークによると、

彼女たちは古典的なモデルよりも太めだが、アルカディア(田園的理想郷)的な健全さを湛えている。ルーベンスの裸体画とは違って、彼女たちの肌は通常の体のくびれや皺はないが、動物の毛皮のごとく身体の形に沿っている。彼女たちが裸であることを自然に認識していることから、ルノワールの裸体画はルネサンス以降の裸体画よりも古代ギリシア的であることは間違いなく、古代に求められた真実と理想の間の平静に近いものを感じる。

あるいは、リューマチでやせ細り、体全身や指先が衰えるに従って、それに反比例するように、絵画内での一種の「健康さ」「健全さ」の象徴として描かれる裸婦のボディサイズが太くなっていったのだ、という説もありますね。

7.まとめ

ルノワールは、よく「幸福の画家」と言われます。生涯を通して、その柔らかい筆使いで人間の生きる歓びや楽しみを好んで描いてきました。展示会では、どれも「ホッ」と一息つける優しい雰囲気の絵画が多く、ある意味安心して見て回れます。コンテンツ量も多く、質・量ともに非常に充実した展示でした。非常におすすめです。

それではまた。
かるび

おまけ:参考文献

今回の記事作成にあたり、参考にした書籍を貼っておきますね。

賀川恭子「ルノワール」
ルノワールの生涯を、時代時代に描かれた絵画とともに丁寧に解説した文庫本。安くてポケットにも入るので、予習・復習にぴったりかと思います。

ルノワールへの招待
2016年4月発行。今回のルノワール展と連動した作りになっており、ルノワール展で紹介された絵画を一段掘り下げて解説・分析しています。これも良かった。

*1:日本齋藤家の床の間に飾られたらしい。

*2:ただし、ルノワール自身は、6枚描いた絵画の内、個人的には一番デキが悪いものを買い取られたと不満だったらしい。

日本企業のインターンシップでは、なぜ実務を学べないのか

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かるび(@karub_imalive)です。

つい少し前に、MTRL社というベンチャー企業でのインターンシップの顛末を巡っての記事がはてなブックマークで注目を集め、話題になっていましたね。

インターンを雇って失敗した話。
インターンとして失敗例になってしまった話

それぞれブコメでは「搾取するな」とか「5時間も会議で拘束するなんて」など、やや感情的な意見が優勢でした。一連のエントリを興味深く熟読しましたが、元採用担当でいろいろな業界・会社のインターンシップを見てきた限りで言うと、MTRL社の社長さんは、それなりに頑張ってインターンシップに取り組んでいたと思われます。

本文を読むと、本格的なインターンシップとして、「実習」レベルを超え、実質上「労働」として、実務に深く参画させています。これに対して、きちんと労働の対価として給与を出しているため、法律的にはほぼ問題なし。(5時間も会議をやるのはアレですが)また、社員でもないのに3ヶ月間我慢して、スペック外の人材育成にも取り組んでいる。

そして、学生さんの満足度もそんなに低くないのですよね。中にいるインターン生側からの擁護エントリもあるし。(ひょっとしたらこのエントリ作成自体、インターンシップの課題であり、会社の半強制かもしれませんけどね?)

もちろん、この会社にも、1)社長さんのインターン生に対する要求水準が高すぎる、2)出来ない学生を3ヶ月間我慢して使うのはお互いに非効率だった、3)受け入れた学生を公の場で批判するのはイメージ戦略上損である

といった問題点はありました。

ただ、インターンシップにおける本来の社会的意義である「学生が社会人になる前に実務を経験する機会を提供する」という点では、しっかりとできていました。ベンチャーなので色々そのマネジメントにはアラはあったでしょうけど、それも含め、あけすけに学生と交流し、共に濃い時間を共有して実務に当たった姿勢は、間違っていなかったと思います。マッチングのプロセスや管理手法、契約期間を整理・改善すれば、次年度からはもっと良いプログラムになりそう。

では、他の大手企業や中小企業は、このMTRL社より、もっと高付加価値で意義あるインターンシップが運営できているのでしょうか?

結論からいうと、日本企業のインターンシップでは、「学生に実務経験を積ませる機会を提供する」ことがほとんどできていません。

では、なぜ学生は日本企業のインターンシップで実務を効果的・効率的に学べないのか、今日はそのあたりを少し考えてみたいと思います。

日本企業ではなぜインターンシップで実務をやらせないのか

その理由は、主に以下の4点が考えられます。

理由①:目的が「採用青田買い」へと変質してしまったから

数年前までは、「インターンシップ」は、企業側の社会貢献の一貫として学生や大学に対して無償で提供される社会活動であり、その副産物として学生とのマッチングがあるよね、という構造が、すくなくとも建前としてはしっかり根付いていました。

しかし、ここ数年、新卒採用市場がバブル期(1988年~1991年頃)を超える異常な「学生側売り手市場」へと傾いたことと、それを好機と見た「就職情報産業」各社による「インターンシップ市場でのマッチング」の商品化が加速していきました。倫理憲章強化により、学生の就活時期が後ろ倒しにズレた分、ビジネスチャンスを失った「就職情報企業」が考えだした、この苦肉の策は、超売手市場に苦しむ採用企業側のニーズにぴったり合致。結果として、ここ2,3年で大学3年生以下を対象とした「インターンシップ」ビジネスが立ち上がりました。

これにより、完全にインターンシップは「倫理憲章に抵触しない、合法的に学生へ早期接触ができる青田買いの機会」と変質してしまったのです。

例えば、経団連で取り決めた2016年度の'17新卒採用は、「2016年6月1日」採用解禁ですから、通常は、4年生の夏まではコンタクトできないわけです。それが、「インターンシップ」として接触するのであれば、その1年前から自由にコンタクトができますから、その間にツバをつけておけばいい。

実際、インターンシップを実施した4社に3社(73.7%の企業)は、インターンシップ生に声がけをして、積極的に内定出しをしている最新統計データもあります

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学情レポート【COMPASS】2015.11『企業・大学アンケート結果に見る 2017年卒採用の展望・2016年卒学生の状況』

したがって、日本企業は各社とも、インターンシップ自体はかつてない規模で熱心に取り組むようになったものの、あくまで第一義には「採用目的である」ため、「実務」にはそれほど取り組ませないのです。

理由②:泥臭い実務を見せると学生に引かれてしまうから

社会人になるとわかりますが、一部のベンチャー企業を除いて、若手社員の実際の仕事の現場っていうのは全く華やかなものではないですよね。一日中集金活動したり、ひたすら電話のアポ取りをしたり、Excelで集計作業をしてたり。

特に、大企業の場合は、華やかな仕事やプロジェクトは、予算規模も大きく、職種横断的な総合的なスキルが必要とされます。また、社内外の多数の利害関係者が複雑に絡み合う中、人脈や高度なコミュニケーションも要求される。そんな高度な業務が、未経験者にできるわけがありません。

したがって、インターンシップでも、まったく未経験の学生に回せる仕事といったら、地味な集計業務や電話とり、議事録作成といった初歩的なものしかなくなってしまいます。

しかし、若手が地味な下積み業務についているところを学生に見せてしまうと、「あぁ、この会社やばいよね?」と短絡的に勘違いされてしまうこともあるわけです。

実際、ある企業では、あえて泥臭い実務に学生を携わらせ、その企業の本質的な仕事を見せたら、失望の声がネット上や口コミで噂が広まり、翌年の応募者が減少してしまったケースも実例としてあるんです。

だから、泥臭い現場はできるだけ見せずに、無難に「擬似プロジェクト運営」だったり、「マネジメントゲーム」をやらせたり、本当に汚い裏側はみせないスマートな「工場見学」に終止したりするわけです。

理由③:コンプライアンス上見せられない業務が多すぎる

日本は、世界一情報セキュリティに過敏で、コンプライアンスにうるさい企業風土になってしまいました。

指紋認証やフラッパーゲート等での多重入退室管理に始まり、各種情報源・情報資産へのアクセス制限、GPSでの位置情報把握は当たり前。厳しい金融系企業に至っては、PCのキーストローク1つに至るまでログを取り、そのログを分析・監視する部署まで別にある始末ですから。

また、それら内部統制を規定する就業規則や、ISO9001、ISO27001といった企業資格により、しつこい内部監査と、そのチェック成績に連動する査定ポイントもあわせて導入されていたりするはずです。

そんながんじがらめの状況下、見ず知らずの学生に、顧客の重要情報や個人情報を取り扱う仕事には入らせるわけにはいきません。万が一インターンシップに来た学生がコンプライアンス違反を故意/過失にかかわらず起こしてしまった時、誰も責任を取れないからです。(誓約書等で学生側に責任を負担させるのは不可能ではないが、道義的には得策ではない)

ではそれら、機密情報を触らないような周辺業務の中に、単純作業の範疇を超える実務って何か残ってるでしょうか?・・・あまり、残ってなさそうですね。

理由④:新卒として入ってきてから教えたほうが合理的

学生側は、意識の上では「インターンシップはインターンシップ」「就活は就活」と割り切って考えています。基本的にはインターンシップ先へ入社するために実習を受けに来るわけではありません。企業側はその前提があるからこそ、あまり深く学生側への教育にコミットするメリットがないのです。

したがって、インターンシップは「入社前教育」ではなく、「社会貢献」や「学生との早期コンタクト」という位置づけにならざるを得ないのが現状です。

逆に、4月に新入社員として大量入社してくる新卒社員は、インターンシップで実務経験済みの欧米の学生と違い、全く実務をやっていないまっさらな状態で入ってくるため、全力で育成しなければ使える状態になりません。したがって、この段階で入社後の教育に一気にカネ・時間を投下することは必須となりますし、タイミング的にも一番合理的な選択肢となるわけです。

このような状況なので、インターンシップ中は会社説明・仕事説明に毛が生えた程度でお茶をにごしつつ、「この先はうちの会社を是非受けてね。続きは入社してご縁があったら教えてあげるね?」といったような感じになっちゃうわけですね。

実務を学ぶならベンチャー企業や中小企業がおすすめ

では、学生側が在学中に、純粋に「業務を学び、実務経験を積む」にはどのような会社をインターンシップ先として選べばいいのでしょうか?

僕の考えでは、本当に実務を学ぶなら、以下のどちらかがいいと思います。

おすすめ1:設立したばっかりの「ベンチャー企業」

ベンチャー企業の場合は、純粋に猫の手でも借りたい多忙な状況だったり、コンプライアンスに厳しくない会社が多く、社員も学生も一緒になってインターンシップ期間中は一緒に仕事をやる。本来のインターンシップに非常に近いわけです。

ただし、ベンチャー企業の場合は社長さんの労働法に対する理解が今ひとつだったり、無給にも関わらず成果物責任を押し付けてきたりする実質「ブラックバイト」状態な会社もあるようなので、そのあたりの見極めは絶対必要ですが。

したがって、事前に情報サイトや学校のキャリアセンター、先輩の体験談など、口コミで情報収集は絶対欠かさないようにしてください。

おすすめ2:地元密着中小企業

昔からインターンシップをやっている地元の中小企業には、良い実習先が多いです。こういった会社の場合、社長さんの善意で長年「地域社会貢献」の一環として細々と取り組んでおり、大学のキャリアセンターとパイプがガッチリ出来上がっているケースが多いです。あるいは、社長さんがその大学出身で、「大学への恩返し」という意味合いで継続しているケースもあります。

こういう会社でも、実務をたっぷりと学べるケースが多いですし、何年も学生を受け入れており、扱いにも慣れているので地味におすすめなのです。また、地味な故に、学生側の人気もなく、応募したらすんなり通ることも多いです。

問題点は、「枯れた」業種業態が多く、最先端の職業分野ではないことが多いことです。昔から、細々と地場で中小企業でやっており、新規性・発展性はあまりなさそうです。そのため、とにかく華やかな業態で働きたい!という人には、あまり向かないかもしれません。

まとめ

日本のインターンシップは、良くも悪くも長年の日本型「新卒一括採用」慣行に大きく影響を受けており、実務よりも型式先行で普及しました。そのため、近年は本来の目的である「学生への実務を通した職場体験」の提供という意義を見失いつつあります。

ただし、今後は東京大学でスタートした「秋季卒業」生が出てきたり、新卒枠が既卒5年以内まで拡大する動きが出たりと、ますます新卒一括採用以外に採用チャネルが多様化してくる流れにはなってくると予想されます。

そんな中、欧米型のインターンシップのように、3か月みっちり実務をこなした後、そのままその会社に入社する、といった形態もぼちぼち出てきてもいいんじゃないのか?と思います。

日本の各企業も、インターンシップをいつまでも青田買いとしてでなく、実務をきちんと見極めて相思相愛で入社させる、そんな中身のある取り組みに近づけていってほしいものですね。

それではまた。
かるび

落語家のレジェンド、桂歌丸 芸歴65周年記念落語会に行ってきた!

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かるび(@karub_imalive)です。

5月に会社を辞めてから、週1ペースでいろんな落語会に通っているのですが、昨日は、桂歌丸の芸歴65周年記念落語会に行ってきました。その感想を書いてみたいと思います。 

桂歌丸と言えば、つい最近、笑点の司会を5月22日付けで勇退すると発表してから、何かと話題になっていますよね。このチケットは、その報道がされるかなり前、3月上旬の時点で購入してあったのですが、報道後に全席ソールドアウトになったようで、当日券の販売はありませんでした。

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それにしても芸歴65周年って半端ない

落語家は、職業生活に定年はありません。でも芸歴65周年とは半端ない。65歳じゃないんですよ。「芸歴」が65年なんです。笑点でもいじられている通り、もうすっかり骨と皮だけになっちゃって、今年80歳になる歌丸ですが、その経歴は結構異色です。

15歳の時に、いてもたってもいられなくなって、高校も行かずに最初の師匠古今亭今輔に弟子入りしたのが落語家としてのキャリアのスタートです。そこから、実に65年間落語一筋で、笑点も初回から50年出続け、その間落語界の人気噺家の地位を築いてきた。月並な感想ですが、本当にすごいことだと思います。

ちょうど自伝が出ていたので、読んでみましたが面白かったです。

落語会はこんな感じでした

落語会は、定刻通り18時30分にスタート。以下のような構成で、終演は20時35分頃。もう少し演るのかなと思ったのですが、やはり体力面でギリギリなのか、歌丸自身の高座は一席のみでした。

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開口一番(前座):春風亭昇羊『初天神』

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(引用:円丈らくご塾 : 春風亭昇羊(しゅんぷうてい・しょうよう)

開口一番(幕が開いた最初の前座)は、春風亭昇太のお弟子さんで、前座の春風亭昇羊でした。お題は前座噺では定番の『初天神』

年が明けて天神様へ初詣に子供に行く道中、子供が団子やたこを買ってとせがむ、父親は嫌がる、そのやり取りを描いた前座噺です。今年から落語にハマりはじめた僕でも、ライブでも映像でももう何回も見ているくらい、有名な噺です。

定番の噺だからこそ、その話芸の出来が厳しくファンからチェックされちゃうわけですが、マクラも含めてまずまず面白かった。奔放なスタイルで新作落語を得意とする師匠と全くしゃべり方や雰囲気が違うのですが、どうやって修行してるんだろうか。

特別ゲスト:春風亭昇太『ストレスの海』

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続いて、前半のハイライトである春風亭昇太。マクラの冒頭で「弟子の落語を近くで聴くと指摘したい箇所が一杯あってもやもやっとする」と言ってましたが、すぐに笑点の裏話へ。

笑点メンバーのマクラは、やっぱり必ず笑点メンバーの楽屋話になるんですかね。今回はホール落語でも客層がライトユーザーが多かったようで、自虐的な笑点の裏話で盛り上がります。曰く、おっさんとおじいさんがただ座って大喜利やってるだけで、圧倒的にドラマなどの他番組に比べて手間隙かかってないにも関わらず、いつもいつも高視聴率で不思議だと。

あとは、安定の「結婚できない」小話。歩いていたら道端の浮浪者から「早く結婚しろよ」と言われたり、新幹線のホームで5人組のおばちゃんに絡まれてからかわれた話など、笑点で確立した「結婚できない」キャラを活かしたマクラがバカ受けでした。

演題は、長年の持ちネタである新作落語「ストレスの海」。展開が早く奇想天外なバカ話なんですが、マクラで温まったところで、昇太特有の若々しく妙に素人風味なハイテンションで押し切り、最後まで笑いが切れません。さすが人気落語家です。本当に50代後半なんでしょうか、この人は。

仲入り前に桂歌丸よりご挨拶「まだまだ引退しません!」

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昇太が終わると、一旦幕が下りて、アレ?これで休憩かな?ちょっと早いよな?と考えていたのですが、館内アナウンスがなく、どうしたものかと。2,3分待っていたのですが、なかなか幕が開かないので、トイレに立つ人もちらほら。

すると、しばらくして幕が空き、すでに桂歌丸が高座上で、黒装束で座布団に正座して待機していました。

ここで軽く一席か?と思ったら、そうではなく「芸歴65周年の口上」とのことで、10分程度の軽い漫談とご挨拶。「本当は昇太さんと二人で演る予定だったのですが、あの人が次に仕事をいれちゃったので、今日は一人でやります」と(笑)

そして、やっぱり話題は笑点の司会引退の話になりました。報道されている通り、体力的な限界により、笑点50周年という節目で、司会は引退させてもらうことにしたとのこと。

現在、週に4回医者に通っているそうです。ほぼ毎日ですね。特に2015年に腸閉塞で入院した際にベッドに寝たきりになって、足の筋肉が一気に落ちてしまったため、今もまだ数メートル歩くだけでも非常にキツいそうです。

5月22日の最終生放送で、司会の交代と笑点の新メンバーを紹介するので、「相撲なんてほっといて」笑点を見てねとのことでした。うん、そうするよ。

また、司会を交代しても、落語は死ぬまで続けていきたいとの話でした。夏には国立演芸場で、ライフワークとしている三遊亭圓朝の怪談ものも国立演芸場でネタおろししなきゃと張り切ってました。

三味線漫談:林家あずみ

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(引用:本人Twitterプロフィールより)

仲入り休憩後は、三味線漫談。いわゆる落語会での色物では、漫才や紙切り、コントは何回か見ましたが、「三味線漫談」というジャンルは初めてです。AKB48の柏木由紀がいい感じに年を取ったような美人さんで、京都出身とのことでした。笑点で有名な林家たい平の一番弟子とのことで、4年間の前座を経て、今は寄席や落語会を中心に高座に上がっているそうです。

三味線の歌が4曲と、その合間に漫談を入れていくスタイルですが、やはり男性中心の落語界だと、立ち位置的にはアイドル的な存在なんでしょうね。それなりに面白かったのですが、ネタのキレやキャラの押し出しがもう一歩で、上品にまとまりすぎすぎかな?とは思いました。芸人として売っていくならもっとエグい方がいいかな。

このジャンル、まだ女流三味線漫談では数名しかいないそうなので、パイオニア的な存在として頑張って欲しいです。また聴いてみたい。

トリは本人が一席:桂歌丸『紺屋高尾』

林家あずみが退席後、一旦幕が降りて、しばらくして開いたら、すでに高座には桂歌丸がスタンバイ。足を崩さないと座れないとのことで、よく上方落語で使う「膝隠し」の机を置いての高座です。

膝隠し(イメージ図)
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演題は、本人のCDも出ている「紺屋高尾」でした。もちろんこれは予習済み。

神田紺屋町*1の染め物職人久蔵が、吉原の超人気おいらん、高尾太夫に一目惚れ。一夜過ごすために、3年間必死に働いて10両ためて高尾太夫のいる吉原に会いに行きます。その一途ぶりに高尾太夫が惚れ込み、二人は身分の違いを超えて結婚する、という江戸時代版格差婚をテーマにした人情噺で、これも非常に有名ですね。

どの芸能でも共通しているのですが、巨匠になって年をとると何かと良い意味でスローテンポになりますね。漫才も講談もそうだし、畑違いですが、クラシック音楽などでも、巨匠指揮者が降ると演奏がどっしりと遅くなりますし。

この「紺屋高尾」も、若手なら20分ちょっとで終わる中ネタ程度の噺ですが、噛みしめるようにゆっくりゆっくり丁寧に噺が進行し、マクラ入れてで45分程度の長丁場となりました。

最近の笑点を見ていると、滑舌が今ひとつで病気の影響などもあるのかな?と思っていましたが、さすがに高座では全く問題なし。スピードは遅いですが、言い淀むところもなく、聴きやすかった。体で覚えているのでしょう。

まとめ:巨匠の講演は一期一会。見逃したくない。

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今回の船橋市民文化ホールは、1500名位の中型ホールですが、時期柄もあるとは言え、ホールを満席大入りにする知名度はさすが。このホールサイズで落語を見たのは初めてだったのですが、特に春風亭昇太と桂歌丸のベテラン達の話芸のレベルの高さもあり、会場の一体感は損なわれていませんでした。

ジャンルは変わりますが、少し前、2009年にクラシックの名指揮者、フランス・ブリュッヘンが晩年に新日本フィルの演奏会で来日したことがありました。彼はすでに75歳を超えて足を悪くしており、昨日の歌丸同様、指揮台では椅子に座っての指揮となりました。「あ、これはもうここで聴き逃したら次はないな」と思って、仕事を無理やり空けて演奏会へ馳せ参じたことがありました。

その演奏会では、巨匠ブリュッヘンが限界まで新日本フィルの潜在能力を引き出し、非常に良い音が鳴っていました。まさにベテラン指揮者とオーケストラの奇跡のコラボ。感動しました。で、その後はもう来日することはなく、2014年に80歳でブリュッヘンは亡くなります。本当に無理して見ておいてよかった。

巨匠は、見れる時に見ておかないと、次がないんです。そして、巨匠の作品・舞台はそのクオリティに関わらず、ただ巨匠がそこで何かをやっているだけで、感動を生みだします。

落語でもクラシックでも、絵画でもなんでもいいのですが、高齢となった超ベテラン・巨匠がなおも第一線で活動を続けている時、そのモチベーションは、お金や名誉といったものではなく、純粋に「これが作りたい」という創作意欲や求道精神を源泉としているのですよね。自分に残された寿命を強く意識しつつ、人生の集大成として、気力を振り絞って最後の作品を作り上げている姿勢が、共感を呼ぶ。

モネは、白内障で目が見えなくても、絵を描き続けました。ルノワールも、リューマチで手が動かない中、やはり死ぬまで絵を描き続きました。ベートーヴェンは完全に耳が聞こえない中、「第九」を完成させました。そして、歌丸も満身創痍になっても、なおも第一線で落語に取り組んでいる。

その、一心に芸に打ち込む姿が、見ている観客を魅了するのだな、と。65年間の集大成として、今があり、そして今日の高座があったわけです。

芸歴65周年を迎えても、まだ鬼のようにスケジュールを入れて、新ネタにも意欲的に取り組んでいる。その原動力は、もう純粋に「落語を極めたい」というものでしょう。

不謹慎な話かもしれませんが、本人も、昨日の高座で「もうあと10年は持たない」と自ら言及していたとおり、今の健康状態を考えたら、プロの一線級としての高座のレベルを維持できるのは長くてあと数年でしょう。

本当に、今回65周年という節目で、船橋まで遠征して見ておいてよかった。今後少しでも長生きして、生きるレジェンドとして、落語道に取り組んでいって欲しいと思います。

22日の笑点は、拡大版生放送だそうですが、その引退口上を楽しみにしています。

それではまた。
かるび

 

 

*1:どうでもいい話だけど、神田紺屋町はまだ実在する地名で、僕が以前勤めていた会社の前の事務所が神田紺屋町にありました。今は残念ながら雑居ビルしかない(笑)

ガラガラで穴場?!でも見応えたっぷりの「ポンペイの壁画展」に行ってきました。

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かるび(@karub_imalive)です。

僕が頻繁に美術展回りをしだしたのは、35歳を過ぎてからなんですが、数をこなしているうちに、好きなジャンルが固まってきます。僕の場合は、西洋絵画と日本絵画が好きなのですが、もう一つ好きなのが、「遺跡系」や「仏像系」の展示会。

遺跡系展示会(と勝手に自分が命名している)の良い所は、陳列された出土品を「美術展」としてだけでなく、「歴史資料」としても味わえるところです。遥か昔に生きた人達の生活や精神文化に触れつつ、歴史を学ぶと、純粋に知的好奇心が満たされるだけでなく、現実逃避ができるのです。(僕の地元近くに平城京跡があるのですが、一日中ぼーっとできる遺跡であります)

今日取り上げる「ポンペイの壁画展」は、そんなローマ時代の世界遺産をテーマとした展示会です。「ポンペイ」の展示会は、特にヨーロッパを中心として、世界的に動員数を伸ばしている今一番熱いコンテンツで、2013年に行われた大英博物館でのポンペイ展では、同博物館の動員数記録を塗り替えたんだとか。

ということで、早速まとめていきたいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安

僕が行ってきたのは、平日午後15時頃でした。いつものように、六本木ヒルズの1F入り口で待ち時間をチェックすると、5分待ちの表示。f:id:hisatsugu79:20160524163427j:plain

おぉ、意外と混んでいるんだなと思って52Fに上がってみると・・・

混んでいたのは、おとなりの「セーラームーン展」に併せて期間限定でオープンしていた「ちびうさカフェ」でした。こっちの喫茶店の待ち時間は180分だそうです。えげつない話や~。

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そして、お目当ての「ポンペイの壁画展」自体は、ガラガラでした。ここ最近行った展示会の中では一番空いていたかも・・・。ひと部屋貸し切り状態でゆっくり見れる瞬間も結構ありました。

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裏で実施している若冲展とルノワール展にお客を取られているんでしょうか?あるいは、後援が東京新聞だから広告宣伝が弱すぎて認知されていないのでしょうか?(毎日のように東京新聞の文化面に記事が出てはいるのですが・・・)

いずれにしても、休日に行ってもそれほど並ぶことはないと思います。

展示点数も、なにせ扱っている展示物が「壁画」そのものなので、約60点ほどと、少なめになっており、所要時間は1時間~1時間30分もあれば見て回れそう。実測した所、僕の場合は2時間15分でした。

なお、1箇所だけ写真撮影が可能な場所があります。下記の写真パネルがある場所なのですが、ここで記念撮影などをして、SNS等で拡散してくれ!ってことなんでしょうね。できればこういうのじゃなくて、フラッシュ無しでいいので壁画を撮らせて欲しかったのですが・・・。

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2.音声ガイドは声優の三木眞一郎さんと畠山美和子さん

アニメファンじゃないのでよく知らなくてすみません(汗)、二人共実績のある声優さんだそうです。こちらで、メインガイドの三木さんからの今回の展示会についてのコメントも聞くことができますよ。正直、今回の展示会で予習をしたかったのですが、あまり予習できる資料が手元に入らなかったので、音声ガイドを調達出来てよかった。非常に重宝しました。

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(引用:http://www.tokyo-np.co.jp/pompei/guide.html

今回の展示会では、ただ壁画を見るだけじゃ絶対もったいないので、音声ガイドのレンタルを強くおすすめします。

もしくは、こちらで内覧会時の本展監修者、芳賀京子氏の解説動画を予習して臨むのもいいと思います。見どころについて非常に丁寧にわかりやすく解説されています。(約13分程度)


世界遺産 ポンペイの壁画展 報道内覧会

おせっかいかもしれませんが、この展示会は背景知識なしで手ぶらで行くより、予習をしておいたほうが数倍楽しめると思います!

3.ポンペイの壁画展について

3-1.ポンペイって?

ポンペイは、現在のイタリア、ナポリのあたりに実在したローマの古代都市でした。ローマ帝国全盛時代に、ローマのほぼお膝元として数百年間にわたり、栄えました。そんな中、紀元79年8月24日~25日にかけてヴェスヴィオ火山の突然の大爆発により、一瞬で高熱の火砕流に街全体が飲み込まれ、街ごと全て、瞬時に消滅します。

イメージとしては、2014年の映画「ポンペイ」の予告編がいい感じに映像としてまとまっていますので、こちらのリンクを貼っておきますね。


ポンペイ - 映画予告編

その後、古代~中世を過ぎ、18世紀中ごろまで、完全に火山灰の下に埋もれ、忘れ去られた存在となっていましたが、1709年、偶然に地元の住民がツボを発掘したところから、遺跡の存在が明らかになります。そして、1748年にとうとう当時のナポリ王国の国王のイニシアチブの下、大規模な発掘作業が始まりました。

発掘は今でも続いていますが、家屋や壁画、調度品や生活用品、遺体跡まで、街全体のありとあらゆるモノが2000年前の当時のまま、火山灰の下からいわばタイムカプセルのような手付かずの状態で出てきたといいます。

様々な推計がありますが、ポンペイの人口はおおよそ1万2千人程度で、広さは約66ヘクタールと当時で見ても割と小規模~中規模程度の都市だったと言われています。(ちなみにローマは100万人を超えていたと推定されている)

その文化水準は非常に高く、上水道完備の大邸宅、公共浴場、劇場、円形の闘技場、運動場、宗教施設(集会所)など、社会インフラはヨーロッパの産業革命前とほぼ同レベルの高い水準を誇っていたそうです。

3-2.ポンペイの壁画はどうやって造られたの?

今回は、60数点のほぼ全部の展示がポンペイの「壁画」だけをフィーチャーした展示会なのですが、当時の壁画は、公共系の建築物だけでなく、少し裕福な一般家庭の住宅内も、まるで宮殿のように壁一面を彩っていたそうです。(正直な所、家の中までこんなに仰々しい壁画に囲まれていたら、ちょっと落ち着かないだろうなぁと思ったのですが、当時のハイセンスな家庭では普通だったのでしょうね)

3-3.壁画展の見どころ

今回は、ナマの壁画の表面を削りとって、そのまま日本に持って来ちゃったのですが、恐らくこれだけの規模でポンペイの壁画を一望できる展示会は、今後もないはず。壁画をたっぷり堪能してみてください。

壁画と言っても、ポンペイの遺跡から出土した壁画だけでも、紀元前2世紀から街が火山に飲み込まれて消滅した紀元79年までの約300年間で、大きく分けると「第1様式」~「第4様式」まで、4つの様式が確認されています。展示会では、時代ごとに細かくその壁画の描かれ方が変わっていくところも、わかりやすく前半部分の展示で説明されています。

壁画は、ギリシャ文化の影響を強く受けた、ヘレニズム世界での古代神話の様々な場面をモチーフに描かれています。中でも、今回の展示会では「お酒の神様」であるデュオニソスの出番が多かったのは、いかにもワイン作りが盛んだったイタリアらしい一面を感じました。

現在、国立東京博物館で開催中の「アフガニスタン展」でも色濃くギリシャ文化の影響を受けた出土品が多数出展されていることから、併せて観ると、古代ギリシャのアレクサンドロス大王の古代世界に与えたインパクトの大きさを改めて実感できます。

4.一番の目玉は「赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス」

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この「赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス」は、1739年11月25日にエルコラーノのアウグステウムで発見されました。これがヨーロッパを出るのは初めてで、もちろん日本初上陸です。そして、展示会後半部分のハイライトとして圧倒的な存在感を持って展示されています。素人目で見ても、他の壁画とは完成度のレベルが違うことはすぐにわかりました。

それもそのはず。「アウグステウム」とは、当時のローマ皇帝アウグストゥスを礼賛するため、街の郊外に置かれた一種の集会所的な特別施設なのです。再現イメージとしては、こんな感じ。

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(引用:http://vast-lab.org/3dicons/page.php?obj=1770

街で一番大切な施設の一番大事な壁面に飾られていたので、腕の良い絵師を使って予算をかけて製作されたものだと思われます。

5.その他気になった展示

5-1.赤い建築を描いた壁面装飾

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入口入って次の部屋の右側一面に展示されています。紀元前1世紀後半頃の「第2様式」と呼ばれるスタイルで描かれており、その特徴は、飛び出す絵本的な効果を持つ遠近法の使い方をしていることです。2000年も前に、一種の『だまし絵』的な立体感を持たせる技法が既に完成していたんだな、と非常に感心しました。

しかしよく見ると、神社の鳥居のように真っ赤な神殿に、大仰な空想上の動物や女神像を配置するなど、現実離れした豪華さですよね。部屋の中壁面いっぱいに空想上のゴージャスな建造物を描くなど、ローマ帝国全盛期らしい派手な絵が印象的でした。 

5-2.コブラとアオサギ

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これはどちらかと言うとつなぎ的な意味合いで飾られていた小品なのですが、どうも若冲展を見てきたばかりなので、こういう動物を素朴に描いた絵画に目が釘付けになってしまいました。

特にコブラは日本には生息しないため、日本画ではお目にかかれない動物ですが、ローマ時代のイタリアでは、建築物を彩るフレスコ画で頻繁に登場しています。若冲だったらどう描くんだろうなぁと考えながら見てました。

5-3.アレクサンドロス大王とスタテイラ

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これは、アレクサンドロス大王と、大王が東征にて滅ぼしたアケメネス朝ペルシャの王女スタテイラ、もしくはバクトリアの豪族ロクサネのツーショットを描いたものです。

壁画展後半では、神話や歴史の一場面を描いた歴史画がほとんどなのですが、気付かされるのは、ローマ人のギリシャ文化への傾倒です。

この頃になったら、一応ローマにもそれなりの文化・歴史があったはずですが、描かれるのはギリシャ神話ばかり。共和制末期以降のローマ人富裕層にとって、ギリシャ神話、ギリシャ文化は抑えておくべき必須の教養・文化だったことがよくわかります。

6.まとめ

紀元79年といえば、日本で言えば、まだ弥生時代に入ったばかり。狩猟採集生活から、ようやく稲作を始めたころの話ですから、こうして、壁画一つ見ていても、当時のポンペイの文明レベルの高さには驚かされます。

今回の展示会、若冲展が終わったらどうなるかわかりませんが、とにかく来場者が少なくてガラガラのようです。展示自体は全然悪くないのです。「壁画」というテーマに絞り込んだ展示会としては見応えたっぷりでした。若冲で並び疲れたら、六本木にぶらっと行ってみるのもいいと思います。

それではまた。
かるび

おまけ:今回の展示会の予習/復習で役に立ったもの

とり・みき/ヤマザキマリ「プリニウス」

買ってみましたが、プリニウスが1巻の中盤で、ちょうど噴火したばかりのポンペイに遭遇するシーンがありました。今回の展示会と併せて読んでみると、当時のローマ文化や歴史について、学びになりますね。スペシャルコラボグッズも出ていましたよ。

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混乱と狂騒の若冲展を振り返る(前編)~なぜ若冲展は大ブームとなったのか~ 

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かるび(@karub_imalive)です。

伊藤若冲の生誕300年を記念して東京都美術館で開催された「若冲展」ですが、惜しまれつつも5月24日に閉幕しましたね。

もともと、今年大注目の美術展として前評判も高かったのですが、終わってみれば会期わずか1か月余りの間に、来場者44万6千人の超大入り。1日あたり15,000人弱と驚異的な入場者数に、最高待ち時間は320分を記録するなど、首都圏を中心に大ブームを巻き起こしました。

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(引用:若冲展に長蛇の列、4時間待ち「なんで...」給水スポットも出現(動画)

僕は、会期スタート3日後の4月26日に行ってきたのですが、本当に楽しかった。日本美術の最高傑作をこの目で間近に見れて、感激しました。 

僕が上記エントリをアップした時の待ち時間は、わずか20分。「あぁ、やっぱり注目の美術展は混雑するんだな」位にしか思っていませんでしたが、4日目の4月27日から、徐々に列が伸びていき、最後にはブームのような騒ぎになっていきましたね。

今回と次回と、2回に分けて総括的なエントリを書いていきます。その前半となる本エントリでは、「なぜ社会現象となるほど混雑したのか」若冲展について振り返ってみたいと思います。

1.混雑状況を分析する

今回の展示会は、その激烈な混雑ぶりが話題になりましたが、公式Twitterアカウントでリアルタイムで「現在の待ち時間」について細かくアナウンスされていました。これ自体は非常に素晴らしいと思いましたが、つぶやかれていた待ち時間の数値が絶望的なのでした。

せっかくなので、公式Twitterから数値を拾い出して、下記で開催日別の混雑状況として、一覧表にまとめてみました。

★ 開催日別混雑状況
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すごいですね。会期後半は4時間、5時間待ちは当たり前といった状況でした。午前中から張り切って行った人が多く、混雑のピークは午前中です。しかも休日、平日お構い無く混んでいました。

驚いたのは、会期初日から3日程度のマイルドな混雑を経て、GWが開けてからが、混雑の本番だったということ。GW中、一気に行列が2時間待ちに伸びたので、「まぁGWが明けたら空いてくるので、そこを狙い撃ちしてもう一度動植綵絵を見に行こう」なんて甘く考えていたのですが、大間違いでした。

見ての通り、展示替えの休館日を挟んだ5月10日(火)以降は地獄の混雑ぶりで、特に65歳以上を対象に入場無料となる5月18日には、とうとう待ち時間は5時間以上となります。終わってみれば、GW中に行った人はまだマシだったという・・・。

では、どうしてこんなことになってしまったのか、少し考えてみたいと思います。

2.「動植綵絵」「プライス・コレクション」が並べられると大混雑となる若冲展

若冲展といっても、全ての展示会で大混雑するわけではありません。特に去年あたりから生誕300周年を記念して、いくつか中規模程度までの若冲展は開催されていましたが、人気を博したものの、それほど混雑していません。

伊藤若冲生誕300年記念 ゆかいな若冲・めでたい大観 ―HAPPYな日本美術―  山種美術館(2016年1月-3月)
生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村 サントリー美術館(2015年3月-5月、動員15万人)

本格的に混雑が激しくなるのは、「動植綵絵」「鳥獣花木図屏風」を初めとするプライス・コレクション一式のどちらかが出展された時です。このいずれかが出展されると、以下の通り物凄い人出になってくるわけです。

★混雑した若冲関連の過去美術展一覧f:id:hisatsugu79:20160527115532p:plain

若冲ブームの始まりは、2000年の京都国立博物館で開催された「没後200年 若冲展」。それまでは、若冲は忘れ去られた江戸中期の異端の絵師に過ぎませんでしたが、動植綵絵を始めとした140点程が揃ったこの大回顧展で、熱心な美術ファンやマニアに発見されていきます。*1

とは言え、この時は、動植綵絵も30幅完全には揃っておらず、動員は会期1か月でたった9万人。1日平均だと3,000人ちょっとの入場者数。今から思うとかわいいものです。

以降は、見ての通り。約3年に1回ほど、動植綵絵かプライスコレクションが交互に来日し、日本画家としては驚異的な動員数を重ねていきます。

2012年には、動植綵絵が初めて海外へと渡りました。アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーで「Colorful Realm」というタイトルで、お花見の季節にちなんで公開された時です。

海外では無名であり、かつそれほど熱心にプロモーションがかからなかったにも関わらず、口コミと評判で大量に人が押し寄せました。ワシントンでも、見つかってしまうのです。この展示会での1日あたりの動員数は、同美術館歴代3位であり、かつ2012年の美術展世界ランキング第2位となるほどの熱狂ぶりでした。

そして今回。今回は、「動植綵絵」「プライス・コレクション」が同時に揃い、若冲のほぼ全作品が一同に会する史上最大の回顧展となりました。

動員数こそ、過去の若冲展や、かつ2008年に94万人を記録した「阿修羅展」にはかなわないものの、1日あたりの動員数では15,000人弱と、途轍もない大記録を樹立しました。図録も5月11日には早々に売り切れ、15日に再度売り切れ、そして最終日にも売り切れ、10万部を超える発行数となったようです。

3.主な混雑の原因はなんだったのか

いくつか考えられますが、概ね以下のとおりかと思います。

3-1:何度もテレビで特集が組まれ、新聞、雑誌でも取り上げられた

会期中、特にゴールデンウィーク直前にNHKを中心として、異例なほど何度も集中的に特集が組まれました。主な番組でも、これだけ特集が組まれています。これ以外に、朝のニュースやワイドショー等でスポット的に特集が組まれたのもあったと思います。

★4月以降の若冲特集テレビ番組f:id:hisatsugu79:20160527130220p:plain

しかも、NHKの場合は、こういった文化系の番組は、一度放送したら近日中に必ず再放送がかかりますので、視聴者は、実際にはもっと若冲の特集番組を目にする可能性はあったと思います。

特にゴールデンウィーク中に集中的に放送された結果、行楽から戻ってきた人達が一気に5月10日以降の展示会に押し寄せたのでしょう。

また、2016年に入ってから、若冲展を当て込んで出版された雑誌や書籍も数十点ありました。書店でも特集コーナーや平積みになっていたのをよく見かけましたから。ちょっとAmazonで検索しても、この通りです。

2016年3月以降に発売された若冲本や雑誌だけで、数十点!!

3-2:東京開催だった

首都圏での開催だったことが、やはり一番大きかったかと思います。もちろん、こういった大回顧展で1回きりのものは、東京か京都でしか近年は行われないのですが、例えば、Art Annual onlineにてまとめられている昨年度の美術展入場者数ランキングを見ても、ベスト20のうち、12展は東京で開催されており、中でもベスト5のうち4つは東京開催のもので占められています。

3-3:希少性の高さをみんな理解していた

上記にもまとめましtが、「動植綵絵」全幅と「プライスコレクション」が同時に揃ったのは、すくなくとも2000年以降では初めてなのではないでしょうか?プライスさんもだいぶ高齢のようですし(笑)、今後近日中にこれほどの大規模回顧展が行われる可能性は低いわけで、これは見に行くしかないですよね。

3-4:会期が短かった

そして、最後にこれ。希少性が高く、みんなが注目していた展示会であったにもかかわらず、展示会の会期はわずか1ヶ月間。実質31日間の展示と、大規模展示会の割には、異例に短い会期でした。

これだけ人出が予想される大規模な展示会であれば、商業的にも最低でも2か月、通常なら3か月は開催期間が置かれることが多いです。にもかかわらず、約1ヶ月間と異例の短期間開催となった背景としては、法律的な制約があったのでした。 

4.大混雑必至なのに、なぜ短期間しか展示することができなかったのか

これは下記でうまくまとめられているので、時間がある人は是非チェックしてみて欲しいですが、一言で言うと、文化財保護の観点から、「重要文化財・国宝は一度に延べ1か月以上展示してはならない」という法律があるからです。

数ある出展物のうち、この「動植綵絵」といくつかの作品がこれに該当したため、会期をこれ以上伸ばせなかったのでしょう。

厳密に言うと、「動植綵絵」は重要文化財でも国宝でもないのですが、国宝同様の取り扱いを受けているのです。

19世紀後半に相国寺から天皇家に寄進され、一旦は重要文化財・国宝を上回るステータスである、皇室「御物」とされていた時期がありました。その後、宮内庁の「三の丸尚蔵館」に国有財産として移管されていますが、その価値は、間違いなく超「国宝級」なのです。

さすがに制作後約250年が経過して、傷みが目立つようになってきていたため、2006年までには修復作業が行われましたし、貸出期間に厳しい制限があるのは、末永く国民の共有財産として管理していく以上は、致し方無い措置かと思います。

5.今後の若冲展で混雑を避けて快適に見るためには?

全ての若冲展で同じように混雑するわけではないでしょう。恐らく、若冲展で今後も混雑するとしたら、以下の条件が満たされた時だと思います。

  • 東京か京都(あるいは関西圏)で開催される
  • 出展期間に縛りがある「動植綵絵」が出展されている

今回の若冲展の傾向を踏まえ、打てる対策としては、以下の戦略が良いと思います。

会期中、極力早めに見に行く(会期当初3日以内目標)
今回の展示会も、最初の会期中最初の3日間は明らかに混雑がマシでした。並びはしたけれど、食事時に人気レストランに入るのを待つくらいの常識的なレベルでした。

午前中を避け、閉館直前1時間前に入る
データでは、待ち行列のピークは朝一開館時~11時頃に固まっています。昼を過ぎると、15時くらいまではずっと混雑していますが、閉館1時間前くらいには、一気に行列がハケていきます。ここを狙うのが良さそう。

最終日は結構空いていた
みんな諦めてしまったのか、今回はGW後では、会期終了日の5月24日が一番行列が空いていました。僕の知り合いも、最終日の閉館1時間前に覚悟を決めて行ったら、40分待ちで済んだ、と喜んでいました。残り物には福、ということでしょうか。

6.まとめ

いずれにしても、今回の若冲展は1日平均来場者数が15,000人弱と、恐らく過去の統計から見ていても、2016年度では、世界一混雑した美術展になるのは間違いなさそうです。

過去の記録から見ても、今回は、想定外・規格外の来場者でした。その割には東京都美術館の人も、給水所の設置やこまめなアナウンス、深夜までの入館延長、図録発送無料など、やれるだけのことはやってくれたのではないでしょうか。

また、今回、社会現象となった若冲展ですが、これをきっかけに日本美術に目を向ける人も多かったのではないかなと思います。テレビやマスコミでは、早速「次に見るべき若冲展」などの紹介もされていましたが、これは次のエントリで少し僕も書いてみたいと思います。

長くなりましたので、いったん今日はこのあたりで。それではまた。
かるび

*1:この時の図録は、現在ヤフオクで高値でやり取りされています。

サイレントお祈りはなぜ横行するのか?~企業がお祈りメールすら出さない理由とその対策~

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かるび@元中小Sier採用担当です。

今日、Yahooのトップページを見ていたら、こんな記事がありました。

記事によると、毎年の新卒採用において、40%近くの大企業は、採用面接終了後に学生を落とす際、メールや電話等の通知すらよこさないといいます。

通常、採用選考に落ちた際は、その企業から「◯◯さんの益々のご活躍をお祈り申し上げます」で締めくくられた通称「お祈りメール」が来るわけですが、これすら来ないので、「サイレントお祈り」と数年前から言われるようになりました。

まぁ、ぶっちゃけ就活での毎年の風物詩なのであります。

去年の今頃もネットで似たようなニュースを見かけましたし、僕が17年前に就職活動をした1998~1999年は、もっとひどかった。まだ就活にインターネットや電子メールが活用されない「電話」中心の時代ですから、「◯◯日以内に電話がなければ、ご縁がなかったものと考えてください」と言われ、落ちた際に電話が鳴ったケースはほぼ皆無でした。

ただし、一人ひとり電話で通知しなければならなかった昔とは違い、今や採用管理システム上などから、メール1本送るだけの手間なので、各企業には、せめて落ちた時の通知くらいはしっかりやってもらいたものですよね。

では、なぜお祈りメールすら来ない「サイレントお祈り」がいまだに幅をきかせているのでしょうか。

上記の東洋経済のエントリでは、大企業が無作法とわかっていながら、不合格通知すら出さない理由をこのように分析しています。

企業側は最初に合格通知を出す層に辞退者が多い場合のために、ボーダーライン上にいる層を第2次の合格通知者候補として残しておかなければならない。内定辞退者が予想よりかなり多い可能性を考えると、第3次、第4次に通知をする層も残しておかなければならない。最初のほうに出した内定者がすぐに辞退を決めれば次の層に拡大してすぐ通知できるが、内定者の多くが迷って時間がかかるかもしれないので、次の層に通知をするタイミングが事前にはっきりしない。そのために、時期を曖昧にしつつ連絡がなければ不合格といった結果通知の方法を取るのである。

つまり、合否ボーダーライン上の補欠合格者をいつでもキープできるように、あえてあいまいな状態にしたほうが企業側はやりやすいのだ、という意味なのですが、だったら、確定してからでもいいので合否をハッキリさせてほしいものですよね。

実は、これ以外にも、企業側がお祈りメールすら出さない理由や、連絡が遅延してしまうケースがあります。いや、理由になっていないのも結構あるのですが、とりあえずピックアップしてみますね。

「サイレントお祈り」が発生する、補欠調整以外の理由

理由1:忙しくて手が回らない

これが一番大きい理由かもしれません。

ここ数年、新卒採用・中途採用は空前の売り手市場が続いています。そのため、明らかに各企業における採用担当者の業務量は増えているのです。

例えば、新卒採用では、安倍政権が昨年度から就活解禁日を8月に繰り下げたため、通年採用をせざるを得なくなった企業が相当数ありました。また、学生の早期囲い込みのために、インターンシップも採用担当の通常タスクになってきています。これが重たいんですよね~。プラス、サービス業や好況業種などでは、業容拡大のために、各事業部門の要望を聞いて、中途採用も随時行わなければならない。

一昔前までは、採用職という仕事は、経理職同様、どこか季節労働者みたいなところがありました。1年の業務のピークが新卒採用が盛り上がる3月~6月頃で、あとは平常運転でOKでした。これが、今や年中業務のピーク、みたいな感じになっているのです。

にも関わらず、採用担当という仕事は、基本的に景気が良かろうが悪かろうが、一般的には経営陣から「コスト部門」と見られがちなため、業務量が増えても、ギリギリの人員で回そうとする。

こんな中で仕事をしているため、つい忙しくなってしまうと、まず「合格者」「選考中」の人材の対応を最優先で行うことで一杯一杯となってしまいます。「落ちた人」への配慮は後回しになり、お祈りメールを出し忘れていた、ということが頻繁に起こっていると思われます。

理由2:面倒だからやらない

これは駆け出しのベンチャーや、中小企業に多いのですが、つい最近、今年から採用担当になったばかりで、業務を理解していない、とか、何かの仕事と兼任しており、片手間でやっていたりと、業務理解や業務への意識が低い場合です。

面接の場では、「また連絡します」と伝えるのが単なる社交辞令となっているケースもありますね。得てして、こういう会社は中に入ってからもろくに労働法令を順守していないのでしょうから、結果的に連絡が来なくてよかったね、ということですね。

理由3:落とした人からのクレームが怖い

新卒採用の場合はあまりないのですが、中途採用だと、しばしばモンスター・クレーマーみたいな選考希望者が来ます。多くの場合は、そういった人材は面接中にすぐその異常性に気づいて、落とすことになるわけですが、正直な所、そういったクレーマー体質の人に対して、ネガティブな内容の連絡をするのは腰が引けるものです。

僕が現役の採用担当をやっていた時も、何度かはメールや電話にて「僕の何がいけないんですかね?!」的な感情的な反論を頂いたこともありますから。こちら側は手続き通り進めてはいるものの、労働関連法令は、労働者側に有利です。かなりあせりました。

実際は、弁護士や社労士に確認してもらった法的な問題をクリアしたテンプレートを使って機械的にメールか文書で通知すればいいだけなのですが、及び腰になり、ついつい、「まぁいいや」ということで、お祈りメールすら出さずじまいでうやむやに・・・ということも結構あるわけです。あ、言っておくと、現役時代、僕はそんなことしたことないですよ?

理由4:手続き上の遅延(社内承認待ちなど)

特に最終面接前の調整などでよく起こることです。選考プロセスが進んでいくと、業務多忙な上位役職者や役員との面接を設定しますが、なかなか面接の日程調整が決まらなかったり、あるいは、次の面接に進めていいかどうか上司の承認待ちのまま、選考対象者への連絡期限になってしまうことがあります。

この場合は、少し待てば、企業側から数日後に合否連絡が来ることもありえます。

理由5:部内での事務作業分担ミス

よくあるのが、業務のお見合いです。面接時に採用担当Aさんと採用担当Bさん両名で担当しましたが、その後のフォローアップについて、お互いが相手がやるものだと思っている場合。AさんはBさんに、BさんはAさんに任せたつもりでいるのですが、実際はメールが出せていませんでした。と言うケースです。

その他、連絡をしたつもりでしていなかったり、メールが不調で届いていなかったりという事務ミスもそれなりに発生します。

理由6:風邪で休んでいたり、休暇を取得している

冬場など、普通に風邪等で寝込んでしまい、期日までに求職者への連絡が遅延するケースは結構あります。上述したとおり、担当者の数が少なく、中には一人で回している会社もあるわけですから、こういったことは割と頻繁にあります。

また、外資系企業の場合は、連絡が来ないので、こちらから問い合わせたら「海外旅行に行ってます」みたいなのんびりしたところもあります。なんという個人優先(笑)。外資系でも、日本法人の場合はまだマシで、海外法人に応募した場合は、こんなことは日常茶飯事であります。

理由7:求職者側の聞き間違いや認識違い

意外に多いのですが、採用担当が、求職者側から「返事を受け取ってない!」と連絡をもらい、慌てて確認したところ、求職者側の単純な認識ミスだった場合です。

求職者が、履歴書に記載されたメールアドレスとは別のメールアドレスをチェックしている。あるいは、郵送で「お祈りレター」を送ると言ったのに、メールをずっとチェックしているとか。

実は海外でもサイレントお祈りは横行している

この「サイレントお祈り」、日本だけの現象ではなく、海外でも共通する求職者の悩みなんですよね。例えば、アメリカで2012年に約4,000人の求職者を対象に実施された企業調査では、アメリカでも、約75%の求職者は、求職活動中に「サイレントお祈り」を経験しているとのこと。つらいですね・・・。

Seventy-Five Percent of Workers Who Applied to Jobs Through Various Venues in the Last Year Didn’t Hear Back From Employers, CareerBuilder Survey Finds - CareerBuilder

サイレントお祈りへの一番の対策は問い合わせを入れること

さて、サイレントお祈りとなった場合、上記で書いたとおり、「敢えてわざと連絡しない」のではなく、様々な事情や行き違いがあって、連絡が遅れているケースがあるわけです。

もちろん、きちんと遅れるなら遅れるで連絡を入れてこない企業側に責任はありますが、事態を打開するなら、やはり求職者側から問い合わせを入れることが一番です。「◯◯までに合否連絡をします」と言われた期限から、3営業日程度待っても返事がなかった場合は、こちらから、連絡をしましょう。

サイレントお祈り防止の最強の対策は、面接後のお礼ハガキ

サイレントお祈りになってしまうのは、やはり何百人、何千人と選考を受ける中、採用担当者に強い印象を残せていないことが大きいです。面接の出来/不出来に関わらず、確実に採用担当者に覚えてもらうには、面接後にお礼ハガキを出すことをおすすめします。(メールでもいいけど、効果は半減)

ハガキであなたからの好意を受け取った採用担当者は、これで選考の出来/不出来に関わらず、「返報性の法則」により、あなたのことを無碍には扱えなくなるんです。その他凡百の求職者から一歩抜け出し、差別化ができるため、合格の可能性も高まるし、落ちていたとしても、少なくともしっかりと連絡はあなたのもとに届くはずです。

ほとんどの求職者がやらないけれど、非常に効果の高いワザです。サイレントお祈りの防止以上の働きをしてくれますので、ここ一番!の本命企業には、是非ハガキを出してみましょう。

まとめ

求職活動を開始したら、中途/新卒に関わらず、多数の会社の選考を受けるうち、必ずと言っていいほど、企業からのレスポンスを期限通りもらえない悩みにぶちあたります。そういった時、大半のケースでは残念ながら「落ちている」ことが多いです。 それは、以前以下の記事に書きました。

ただし、そこで諦めて泣き寝入りするのではなく、まずはダメもとでいいので、問い合わせを入れてみることは非常に大事です。

企業の採用担当側のモラルやマネジメントに問題があることは明らかなのではありますが、それを嘆いていても始まりませんからね。どうしても入りたい企業であれば、企業側の無作法は笑って流し、能動的に求職者側から動いてみる事をおすすめします。

それではまた。
かるび

「幸せの国」ブータンがまるごとわかる?!ブータン展@上野の森美術館に行ってきました

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かるび(@karub_imalive)です。

5月に退職してから、すっかり落語会と美術展とクラシックのコンサートに出かける日々が続いています。さて、6月に入って最初に行った展示会は「ブータン展」でした。結構良かったので、以下内容を紹介したいと思います。

1.混雑状況と所要時間目安

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平日の昼間から入ったので、貸切状態かな?と思ったらそうでもなく、それなりに人が入っていました。結構どうみてもこれは仕事中だろうとおぼしきサラリーマン風の人が多かったです。ブータン展に癒やしを求めているんだろうか。

展示会はコンパクトにまとまっており、速い人なら1時間以内に見終わると思います。僕も、1時間45分と、2時間以内に見終わりました。

2.音声ガイドは鶴田真由

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上野の森美術館といえば、展示規模はそれほど大きくないので音声ガイドとかあるのかな?と思って行ってみたら、ちゃんとありました。ガイドには女優の鶴田真由を起用。

鶴田真由といえば、数年前からNHKBSのドキュメンタリーで、キューバやミャンマー、あるいはミクロネシアの小国など、世界中の開発途上国などマイナーな外国に行きまくっていますが、ブータンには2008年と今年、2回行き、国王にも謁見しています。

今回は、そのあたりの実績を買われて起用されたのでしょう。

鶴田真由って、音声が割と癒し系でいいなと思いました。もう40代後半なのですが、年齢の割に声が若い。いい年の取り方をしていると思います。

3.ブータンってどんな国なの?

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ブータンは、この図の通り、インド、中国(とバングラデシュ)に囲まれた山岳地帯の小国です。人口はわずか75万人程度と、国家というよりどこかの地方都市レベル。

日本とは1986年に国交が樹立され、2011年にはブータンの現イケメン第五代ワンチュク国王と王妃が来日し、国会で演説を行ないました。来日中は、皇室との交流や震災被害地の視察もされていましたね。

イケメン5代目 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王

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来日時の国会演説。展示会出口前で放映されていました。

日本人にとって、ブータンのイメージって言うと、「秘境の山岳国」という漠然としたイメージしか無いと思います。あまりブータンという国が知られていないのは、一つは小国だからということもありますが、もう一つは、歴史的・政治的理由から、21世紀になった現在も半鎖国状態が継続しているからです。

例えば、ブータンへの入国には、全員が旅行計画書を政府に提出し、1日250USドルの供託金を支払って同行ガイドの監視付きで行動しなければなりません。外国人観光客には非常に不便な国です。

しかし、隣国のチベットが中国に占領され、また同じく隣国(だった)山岳国、シッキムがインドに武力を背景に併合された歴史を見てきているため、こういった特殊な少国家が21世紀まで生き残っていく為の戦略としては、致し方ないものがあるかもしれません。

副題に、「しあわせに生きるためのヒント」とあるとおり、ブータンでは、4代目国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが1972年に「経済成長よりも、国民一人ひとりの幸福をめざそうよ」っていうことで、GDP(GNP)に代わる、GNH(国民総幸福量)という指標を掲げました。

このGNHという考え方では、いわゆる物質的な成功だけでなく、精神的な満足、自然との調和といった、貨幣価値として計量が難しい概念も積極的に国民一丸となって追求していく、と謳われています。

後進国として、大国に挟まれながら国家独立を維持し、内政を安定化させるにはこうした特殊な国王を中心とした開発独裁体制を取らざるを得なかったわけですが、ブータンの幸運だったところは、歴代の国王が政治家としてバランス感覚があり、有能だったこと。後発の開発途上国特有の難民問題等、負の遺産は確かに残ってはいるものの、伝統的な仏教的価値観に基づいた、王様による一種の中世的な徳治主義が有効に機能したということなんでしょうね。

4.ブータン展のコンセプトとは

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今回のブータン展は日本・ブータン国交樹立30周年事業の目玉として開催が決まりました。ブータンの人々の古来から大切にしている伝統的な仏教文化に基づいた民族衣装や、仏教行事で使用する仮面などの道具、それから仏像や仏画といった美術品が展示されています。

先述した通り、ブータンは経済的・商業的な国際競争から一線を画し、代わって仏教精神に根ざし、自然と調和して物心両面で本当にゆたかな国になる目標をかかげ、その成功や達成の度合いを、GDP≒経済成長で図ることを放棄しました。

その独自の幸福追求の在り方を直接ガツガツ学ぶのではなく、まずは、素朴にブータンの人達の生活や文化、美術に触れてみようよ、そこからなんか幸せに生きるためのヒントがあるんじゃないの?というのが今回の展示会のコンセプトです。

5.展示会の内容について

今回の展示会は、1Fフロアは写真撮影がOKでした。入り口の1Fでは、まず主にブータン独自で発達した仏教行事の「チャム」で使用する仮面の展示から始まります。ブータンでは、仏教を国民に浸透させるため、難解な仏法や経文の内容を踊りで表現することにより、わかりやすくしました。教えの違いごとに8種類の異なる仮面を付けて踊る、宗教的な仮面舞踊が発達しました。f:id:hisatsugu79:20160604083211j:plainf:id:hisatsugu79:20160604083220j:plain

このあたりの仮面のデザインは、東洋的なものを感じました。日本にそのまま持ってきて、なまはげや獅子舞の中に混ざっていても何の違和感もありません。

これを着て、こんな感じで踊ります。f:id:hisatsugu79:20160604083724p:plain

(引用:ブータン ~しあわせに生きるためのヒント~ <オフィシャルサイト>

いや、これは中の人は暑いだろうな。と思ったら、案の定、展示物から使い込んだ剣道の防具によくある汗臭い匂いがしていました(笑)

仮面のコーナーを抜けると、宗教的な公式行事や儀礼に使う刀剣類、アクセサリー等の展示が続きます。f:id:hisatsugu79:20160604084235j:plainf:id:hisatsugu79:20160604084249j:plain

つづいて、人々が公共の場で着用が義務付けられている男女の民族衣装展示がありました。1989年より、民族としてのアイデンティティを守り、国内繊維業界を保護するため、勅令により、国民は公共の場で男性は「ゴ」、女性は「キラ」という民族衣装の着用が義務付けられました。

衣装は、王族が着るような絹製の最高級なものから、ヤクの毛や綿、イラクサなど様々な原料を用いて作られていますが、そのパターンの豊富さや、デザインの独自性はブータンならではのものがあるそうです。

女性用民族衣装「キラ」f:id:hisatsugu79:20160604085150j:plain

こちらでは、マネキンを使った展示も。f:id:hisatsugu79:20160604085234j:plain

これら民族衣装は、基本的には機織り機を使った手作業での地道な作業により作られているそうです。複雑なデザインの衣装は、1日1センチ程度しか織れないものがあるんだとか。f:id:hisatsugu79:20160604085406j:plain

2Fに上がると、仏像や仏具、そして曼荼羅に似たチベット密教独自の宗教画「タンカ」と言われる仏画などの美術品が展示されていました。18世紀頃から、20世紀初頭までの、ブータン王立国立博物館に展示されている貴重な展示品が並べられています。

残念ながら、2Fの展示からは撮影禁止となります。

グル・ダクボ立像
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おすすめは、仏画「タンカ」です。ちょうどアフガニスタン展で、インド系の仏様を見てきたばかりだったのですが、ブータンの仏様は、どちらかというともう少し東洋系。インドの香りも漂ってきますが、どちらかというと我々が普段京都や奈良などでよく見る仏像に非常によく似ています。

ドルジェ・チャン父母仏タンカ
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様々なタンカが掲示されており、釈迦や菩薩をテーマにしたものから、ブータン建国にかかわった歴史上の重要人物や仏教普及に大きな貢献をした高僧をセンターに据えたものまで、多種多様なものが展示されていました。

面白かったのは、死んだ高僧や建国の偉人達がみんな仏教上の重要人物として崇められる点は、日本の仏教や神道と同じで、そういうところにも日本との類似点を強く感じました。

驚いたのは、非常に細密に描かれた繊細な仏画が、ガラスケースもなく至近距離でガツガツ見れる点。若冲展で遠くガラスと人の壁に阻まれ、ちゃんと細かく見れなかった鬱憤をここで晴らしました(笑)

聞いた所によると、ブータンの王立博物館で陳列されている時は、ちゃんとガラスケースに入って保護されているんだとか。至近距離で見れるのは、ここ日本だけです!

6.まとめ

全体的な感想としては、極力政治色が弱めに打ち出され、代わって生活文化やブータン独自で発展した仏教文化・美術がカジュアルに展示された、地に足がついた良い展示会だと感じました。

この展示会の前に、書店や図書館で予習のための文献を漁ったのですが、旅行ガイドブックはないし、文献は少ないし、あっても古いか、個人的な体験談がメインとなる旅行記ばっかりで、さっぱり予習ができませんでした。

そういう意味でも、今回の展示会は何の予習や事前知識がなくても、見て回るだけでゼロから展示物を理解できるよう、わかりやすく展示されていてよかったです。

アジア最後の秘境となったブータンが少し身近に感じられるようになる、非常に良い展示会でした。おすすめです。

★今後の巡回予定

今回のブータン展は、上野の森美術館を皮切りに全国地方の美術館5館を1年以上かけて回っていく予定が組まれています。東京含め6箇所を巡回する息の長い展示会です。

2016年7月30日(土)~9月19日(月・祝)愛媛県美術館 
2017年1月28日(土)~3月5日(日)岩手県民会館 
2017年3月18日(土)~5月15日(月)山梨県立博物館 
2017年7月1日(土)~9月3日(日)兵庫県立美術館 
2017年11月2日(木)~12月24日(日)広島県立美術館

それではまた。
かるび


映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」試写会行ってきました!

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かるび(@karub_imalive)です。

先週金曜日、美術ブロガーの大御所、ブログ「青い日記帳」のTakさん(@taktwi)に声をかけていただき、今年7月に公開予定のドキュメンタリー映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」試写会に行ってきました。非常に良かったので、感想を書いてみたいと思います。

1.本当は卒業旅行で行くはずだったフィレンツェ

もう18年前の話になります。大学卒業時に、仲の良い友達と卒業旅行に行くじゃないですか。自分も、非常に楽しみにしていて、当時サークルの親友二人(留年組/笑)と企画していたのですが、個人的な金銭的事情から、土壇場で僕だけ行けないことに。

ヨーロッパなんて、そうそう時間も無ければ思い切って旅行に行けないですからね。僕の回りほとんどが、エッフェル塔に行ったり、ストーンヘンジ見たり、システィーナ礼拝堂に行ったりする中で、僕はといえば、卒業間際の2月、3月は奈良ジャスコにて時給750円でレジ打ちバイトをしていました(泣)

それから17年。時は流れ今に至ります。社会人になって、随分と仕事でも海外に行かせてもらい、海外で面白おかしい経験もたくさんできたのですが、唯一心残りなのが、まだヨーロッパに行けていないこと。

妻と美術館に行ったり、テレビで「美の巨人たち」などの美術番組を見るたびに、ローマやフィレンツェ、ヴェネツィア、パリなどの映像が映るわけです。すると、その度に、妻の発する無邪気な(?)「あ、私ここ卒業旅行で行ったよ~」という一言。「ふーん、そうなんだ」と平静を装いつつも、心のなかでは地団駄を踏みつつ、子供もようやく小学生になったので、そろそろ本気で見に行かねば、と旅行計画を練っているところでした。無職になって暇だからね。

そんな折、冒頭のタケさんから、今回の、フィレンツェをテーマにした美術ドキュメンタリー映画の試写会の話をいただき、こりゃちょうど旅行の良い下見になるし、行くしかないな?と、喜び勇んで行くことになったわけです。

2.実は試写会に参加するのは初めて

映画は年に5,6回シネコンなどで洋画を中心に見るのですが、試写会に参加するのは実は初めて。よく、映画が終わった後のステマ的インタビューみたいなカメラを向けられたらどうしよう、その時はダッシュして逃げよう・・・とか自意識過剰に構えていったのですが、まぁそんなのはなかった(笑)

試写会専門の「試写室」っていうのがあるんですね。いや、全然知らなかった。今回試写会が開催されたのは、月島の倉庫みたいな一角を使った「BMS試写室」という所。

大江戸線月島駅から歩いて数分なのですが、これがまた素敵に迷いやすいところなわけです。案の定、入り口にたどり着くまで数分間ロストいたしました。

中はこんな感じです。試写室と言っても、全部で60席くらいの小規模なものでした。f:id:hisatsugu79:20160608010414j:plain

ソファの大きさは明らかに通常の劇場よりも一回り大きく、フカフカしてます。f:id:hisatsugu79:20160608010456j:plain

今回は、3D映画ということで、このようなメガネを掛けての鑑賞となります。f:id:hisatsugu79:20160608010553j:plain

60名ほどの定員の中、定刻になり、半分の30名位が集まって、試写会が始まりました。

3.どんな映画なの?

映画のカテゴリとしては、ドキュメンタリー映画です。というより、超豪華音声ガイド付き4K・3Dヴァーチャル美術館ツアーといったおもむきです。

今回の映画では、メディチ家が一番栄えたルネサンス期を中心に、14世紀~17世紀でフィレンツェで生み出された建造物・壁画・彫刻・工芸品・絵画などを、ウフィツィ美術館を軸として、順番にヴァーチャル・ツアーで回って見ていきます。

予告編が、オフィシャルで公開されていますので、貼っておきますね。


映画『フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館3D・4K』予告編

映画全編を通じて進行役を務めるのは、サイモン・メレルズ扮するメディチ家のロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492)。絶頂期のメディチ家当主をわずか20歳で継ぎ、その圧倒的な財力でフィレンツェの芸術家を庇護し、ルネサンス最盛期の美術・芸術を後世に残しました。治世晩年になり、宣教師サヴォナローラの反動的な宗教改革運動により、晩年にはフィレンツェを追放されてしまいました。まさに激動の時代を生きた人でした。

ロレンツォ・デ・メディチ
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そして、作品の解説役としては、ウフィツィ美術館長アントニオ・ナターリが起用され、たっぷりと各作品を解説してくれます。いいな~。知性あふれる一流文化人オーラがビンビンに出ている人です。こういう年の取り方をしたい。

http://i.res.24o.it/images2010/SoleOnLine5/_Immagini/Cultura/2012/03/Col-vaso-Medici.-258.jpg?uuid=43055288-6deb-11e1-b2e5-2d3508b6898c
(引用:http://i.res.24o.it/images2010/SoleOnLine5/_Immagini/Cultura/2012/03/Col-vaso-Medici.-258.jpg?uuid=43055288-6deb-11e1-b2e5-2d3508b6898c

4.映画のみどころは?

4-1:3D技術・4Kハイビジョンなど最新技術を駆使したリアルな映像

 

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3D、4K、ドローンでの至近距離からの撮影など、最新の撮影技術・手法を駆使して撮影されているので、非常に映像はリアルです。さながら現地に行って作品を見てきたかのような錯覚になりました。

生でその場で作品と対面した際の臨場感には一歩及ばないものの、書籍やネット画像で見るものとは違い、リアルな立体感がしっかり感じられました。特に、肉眼ではきっちり見えないような天井画や壁画の細密に描かれている部分や、空中から見た建築物などの全体像などは、映像ならではの良さが出ています。

4-2:前作「ヴァチカン美術館 天国への入り口」からの改善点

実は、本作に先駆け、2015年春、ローマのシスティーナ礼拝堂などを特集した「ヴァチカン美術館 天国への入り口」という作品が上映されていました。今回と同じ3D、4K技術を駆使して撮影された作品です。

ただ、Yahoo映画のコメントなどを見ていると、それほど満足度は高くなかったようなんですよね。

たとえば、「上映時間60分ちょっとで2,000円弱は高いんじゃないの?」とか、「ナレーターがいまいち」と不満も上がっていました。また、そもそも大阪では3D4Kを表現できる映画館がなく、仕方なく2Dで見た、、、という話もありました。

今作では、それら問題点にもある程度改善されているようです。上映時間は全97分と拡大し、日本語ナレーションでは、「美の巨人たち」ナレーターの小林薫を起用するなど、日本の美術ファンに違和感がないように工夫・改善されています。

4-3:ダヴィンチ未完の傑作「東方三博士の礼拝」修復現場ルポ

f:id:hisatsugu79:20160607204301j:plain(引用:https://cinema.ne.jp/news/uffizi2016053010/florence_sub3/

生涯、寡作で有名だったダ・ヴィンチですが、描きかけで絶筆となった「東方三博士の礼拝」という作品があります。この作品は傷みが進み、2011年からフィレンツェの修復専門工房にて、大規模な修復作業に入っています。

その修復がもうすぐ終了し、今年中には展示再開される見込みなのですが。その修復状況についてのリアルな現場が取材されています。ダ・ヴィンチの作品は、何度もキャンバスの上で本人が上書きを重ねて制作されるなど、後からの修復作業は非常に困難を極めたようですね。

5.映像で紹介された主な作品

今回、映像で紹介される主な作品は、オフィシャルサイトで予め紹介されています。そして、こちらが作品が点在する場所。有名なスポットから、まんべんなく作品が紹介されています。*1f:id:hisatsugu79:20160607201243p:plain

ここから、特に気に入った作品群を少し個人的に紹介したいと思います。(ところでこれってネタバレっていうのかな・・・)

5-1:ミケランジェロ「ダヴィデ像」

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全長4メートルもあるとは知りませんでした。システィーナ礼拝堂の大壁画にしろ、巨大彫刻にしろ、その美しさは当然として、これを一人で作り上げてしまう根性には恐れいりました。様々な角度から、至近距離で撮影されたダヴィデ像を堪能できますよ。

5-2:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

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建設当時、ヨーロッパ最大だった大聖堂。ブルネッレスキが設計した斬新な二重構造のドームに、ドローンを飛ばして、通常なら難しそうな角度から撮影を試みています。見えない角度からみても、手抜き箇所は当然なく、建築物の壮麗さが際立って印象的でした。

5-3:ブランカッチ礼拝堂壁画 マザッチョ「楽園追放」

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(引用:Facciamo una pausa♪

壁画に描かれた初期ルネサンスの代表的な画家、マザッチョの「楽園追放」では、ルネサンス期以前で描かれることがなかった人間のリアルな表情や、よりリアルな立体表現が見どころです。

5-4:ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」

f:id:hisatsugu79:20160608001310j:plain

西洋絵画で、まだ実際に見ていない絵画のうち、個人的に、今一番見てみたい作品です。これ、2008年来日時には見逃してるんですよね。後世の美術家たちの作品を見ていると、これに影響を受けたんだろうなぁという作品がいっぱい。ティツィアーノの代表作にして最高傑作だと思います。

5-5:ベンベヌート・チェッリーニ「メデューサの頭を持つペルセウス」

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(引用:http://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-331.html

こういうのが普通に広場に鎮座してるのが、イタリアの凄い所だと思います。まぁ日本でも上野公園にいけば西郷隆盛像とかあるにはありますが・・・

5-6:その他有名絵画たち

その他、ダ・ヴィンチ「受胎告知」「アンギアーリの戦い」、ボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」、ミケランジェロ「聖家族」、ラファエロ「ひわの聖母」など、フィレンツェの美術館に収蔵されている有名絵画達はしっかりと網羅されています。

それぞれ、リアルな3D画像と、アントニオ美術館長の詳細な解説が入りますので、お楽しみに。これら絵画については、いずれ待っていれば、生きている間に日本に何回か来てくれるでしょう。そのための予習にも最適ですね。

6.感想とまとめ

今回のドキュメンタリー映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」は、最新技術の粋を尽くして極限まで「ライブ感」に迫ろうとしています。そして、全くの美術館初見の視聴者にもわかるように非常にわかりやすい語り口で解説されており、美術ファンとしては非常に満足しました。

わざわざ美術作品を「映画」という形で見なくてもいいじゃないか。という見方もあるかもしれません。所詮、映像で見た印象は、実際にライブでナマの作品と向き合った時の臨場感には勝てませんから。

また、美術展に関しては、日本は恵まれています。待っていれば、いつかは東京か京都に運ばれてきて、展示会で見ることが出来ると思います。実際、今回の映画でも紹介されたボッティチェリの「春」やダ・ヴィンチの「受胎告知」、カラヴァッジョのメデューサの盾など、大物作品であっても、普通にここ10年で東京に来ていますから。

でも、壁画や彫刻、ステンドグラスなどの大型工芸品、そして建築物なんかは、どう見ても日本に持ってこられないわけで、こういった五感に訴えるリアルなヴァーチャル・ツアーは時間・場所を超えてどこでも安価に芸術鑑賞を楽しめるという点で、非常に貴重な機会だといえます。

公開は、7月9日よりシネスイッチ銀座他で始まります。技術的な制約や、作品のメジャー性から、公開される劇場は限られてしまいますが、機会があったら是非足を運んでみてください。良いドキュメンタリー映画でした。そして、Takさん、本当に良い機会をいただきありがとうございました。

それではまた。
かるび

*1:アカデミア美術館からは、そういえば7月13日から国立新美術館「アカデミア美術館展 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」が始まりますね。これも楽しみ。

書見台(ブックスタンド)は読書の友。劇的に読書生活がはかどるよ!

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かるび(@karub_imalive)です。

最近、長いエントリが多くなっていたので、たまには短めの日記スタイルで。(なんか以前もそんな反省をしたような・・・)

さて、最近自主的に会社を退職してから、1年間空いたフリーな時間で「読書」に集中的に取り組んでいます。乱読・多読なんでもありのスタイルなのですが、自分に課した課題として、以下のとおりとしました。

  • 基本は良書を精読する。読書記録をつける。
  • 良書は必ず一度は近いうちに最低1回は読み返す。
  • 2周目は、Evernoteに要点を抜き書きして読書記録をつける

その辺りのマイルールは、以前このエントリに書いたとおりです。

で、現在それを愚直にやっております。また別のエントリでまとめたいと思っていますが、1日1冊~2冊ペースで読み進み、5月はなんとか50冊ちょっと読むことができました。だてに会社に行ってないだけあります。

問題は、その後。

マイルールとして、「良書は要点を抜き書きする」と決めたのですが、この時に、本がきちんと開いていてくれないんです。何かで無理やり押さえていないと、本が閉じてしまい、作業ができない。

それで、空いている手とかその辺にある重しを使って、抜書をしたいページを固定しておくのですが、作業に集中できなくて、イライラとストレスがたまるんですよね。たとえば、こんな感じ。

手で必死に押さえながら作業をするの図f:id:hisatsugu79:20160608122354j:plain

重しで本を固定するの図(パソコン使って固定)f:id:hisatsugu79:20160608122552j:plain

まぁ本を切り裂いたり、強烈に折り目をつければいいんですが、それだと本に致命的なダメージがあるし、そもそも図書館で借りてきたような本にはそれもできないと。

最初は、読書用の鉄製のクリップなどで開きっぱなしにしていたのですが、一つ大きな欠点が。紙や折り目や、クリップを外した跡に細かい傷をつけちゃうんですよね。f:id:hisatsugu79:20160608125222p:plain(引用:BookClip(ブッククリップ)/快読ショップYomupara

それで、色々考えた結果、そうだ、書見台(ブックスタンド)を一度試してみよう、ということで、ネットで探して、amazonで単純に一番上に表示された「ベストセラー」だってことで、購入したのが、これ。

 

使用例としては、本当に簡単・単純でした。こんな感じです。書見台に本を置いて、二つのストップホルダーで本を固定するだけです。f:id:hisatsugu79:20160608123002j:plain

こんな感じで、本を書見台に固定して、Evernoteに抜書きしていくのですが、それまで、手で押さえたり、そのあたりにあった重しを本に置いて固定したりという煩わしい作業から解放され、思考に100%集中できるようになったのは、すごく嬉しかった。精読作業が嘘みたいに捗ります。

しかも、本を固定するストップホルダーの先端が丸くなっていて、紙面を傷つけることもありません。

そして、大きい本から小さい本まで、万能に対応してくれます。一番フィットするのは、中くらいの本。(※大きさ比較のために、スマホを隣に置いています)f:id:hisatsugu79:20160608121312j:plain

中くらいの本が、一番書見台にフィットします。f:id:hisatsugu79:20160608121411j:plain

図書館で借りてきた本でも、傷つけること無くしっかりホールドしてくれます。ちなみに、精読しましたが、僕がマティスさんの芸術を理解するには、まだまだ時間がかかるみたいです。f:id:hisatsugu79:20160608121419j:plain

 つづいて、文庫とか新書みたいな小さな本。今回は、文庫本を使います。f:id:hisatsugu79:20160608121440j:plain

書見台の上におくと、こんな感じ。f:id:hisatsugu79:20160608121456j:plain

ストップホルダーの位置は、中くらいのハードカバーに一番最適化されているので、若干ストップホルダーの位置合わせは気を使いますが、フィットしています。少なくとも手で押さえつけておくよりは100倍マシです。f:id:hisatsugu79:20160608121527j:plain

最後に、大型本。今回は、30センチ以上の本で試しました。これまた、図書館で借りてきた本です。f:id:hisatsugu79:20160608121558j:plain

書見台本体より大きく、本が台からはみ出していますが、不安定な感じでもありません。本の重みで書見台が倒れたりすることもないです。f:id:hisatsugu79:20160608121626j:plain

しっかり固定されています。大きくても大丈夫でした。f:id:hisatsugu79:20160608121705j:plain

・・・と言った感じです。

で、実際はこんな感じで目の前にノートPCを置いて、その横に書見台を置いて、書き物をする感じ。ちょっと背景が見苦しくてすみません・・・f:id:hisatsugu79:20160608121811j:plain

ちなみに、書見台に置くのは、本だけとは限りません。iPadとか新聞なども置いたりできるのです。f:id:hisatsugu79:20160608122001j:plainf:id:hisatsugu79:20160608122018j:plain

うん、まさに万能ツール。応用範囲が広いです。

まとめ

書見台って、ライターさんや、研究者、翻訳家、編集者など、専門職や出版業界の人なら当たり前のツールなんでしょうけど、自分が無知だったのか、40歳になるまでその存在すら知りませんでした。

ネットで調べてみたのですが、専門職の人以外で、読書用に書見台を購入してガンガン使っているところをアップしているブログって、意外に少ないんですよね。なら、これは是非とも自分が書見台を広めなければならん!と一念発起して、ちょっと書いてみることにしました。

僕は、結構文房具なんかでも、新製品が出たら割とマメに試してみたりする方です。でも、大体は「うーん、いまいち」となるようなものが多いんですよね。でも、ごくたまに、ドラスティックに事務効率を高めてくれる自分だけのツールがみつかるんですよね。

そういう意味では、この書見台との出会いは、本当に嬉しかった。読書生活のクオリティを劇的に高めてくれる、こんな有用なツールがあったとは。

ほんと、学生時代にレポートを書く時とか苦労して本を手で押さえつけたりしてて、一体アレは何だったんだ、って感じです。

 みなさんも、是非興味があれば導入してみてはいかがでしょうか?読書生活が、劇的にはかどりますよ!

それではまた。
かるび

40歳で無職になって1か月経過した、その率直な感想

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f:id:hisatsugu79:20160611011557p:plain

かるび(@karub_imalive)です。

タイトルの通り、40歳で無職になって、1ヶ月が経過しました。

最初、退職した直後は、「あー、やっとこれで終わりだ!明日からゆっくりするぞ!」なんて多少は開放感を感じていたものですが、なんかバタバタしている間にあっという間に1か月が経過。

ちょうど良い機会なので、「中年のオッサンが気まぐれに退職したらどうなったのか?」退職後1か月経過した時点での、僕の素直な感想をブログに書き残しておきたいと思います。長文となりますが、ご勘弁を。

1.40歳にして会社を辞めようと考えた理由

元々、前の会社(中堅Sier)を退職した理由は、概ね以下の通りなんです。

  • 40歳くらいで、1年間程度の長期サバティカル休暇を取りたかった。
  • 会社での起用法や立ち位置、自分のやりたいことがよくわからなくなったので、一度リセットしてみたくなった。
  • 会社に対する愛社精神がなくなった。
  • 40歳でアテもなく無職になるというのは珍しいので、やってみたいと思った

こんなところです。

社会人になって17年間、自分で言うのもなんですが、かなり仕事に打ち込んだと思います。特に、28歳から34歳くらいの間は、平均でも月80H以上は残業をしていた時期がかなりありました。毎日自腹でタクシー、、、みたいな。体力もあったし、自分に迷いがなかったからこそこなせたのですよね。

会社やSierという業界への帰属意識がなくなってしまった今、思い返すと、自分としては異例なほどよく頑張ったと思います。たくさん資格も取ったし、社内ではそれなりに早期昇進して、役員手前までに上げてもらいました。

でも、疲れちゃったんですよね。拾ってくれた前職の社長には物凄く感謝していますが、オーナー企業のサラリーマンの正社員なんて、多かれ少なかれ上に上がっていけば行くほど奴隷みたいになります。全然自由じゃなかった。戦国武将の家臣のようでした。権限が多少増えても、それ以上に理不尽なオーダーが増えるわけです。前職最後の数年間は、人のお世話ばっかりで、自分を殺して仕事をせざるを得ない環境でした。

また、無計画に資格やスキルだけつけていっても、会社にいいように使われるだけなんです。弱気で主体性がなかった僕は、知らず知らずに会社で「使いやすいオールマイティ要員」となっていました。とにかく何でも一通りそこそこはこなせるんだけど、何者でもない存在になってました。

いや、会社や回りはどう思っていたのかは知りません。でも、自分の実感としては、常にそんな感じだったんですよね。そんな微妙な感覚のまま7,8年我慢したのですが、もうどう頑張っても毎日が灰色になってしまったので、思い切って病気になる前に休むことにしました。

こういう時、欧米だと、「サバティカル休暇だ」ってことで、たとえば勤続10年以上の中堅社員等をその有資格者などにして、もちろん無給でしょうけど、会社に正社員として籍を置いたまま長期リフレッシュとしての休暇を取得できたりするんですよね。

自分も、できればそうしたかった。でも、まぁ日本の中小企業で、ましてや人手が圧倒的に足りないSierでしたので、状況的にそれは許されなかった。会社にムリを言って同僚などに迷惑をかけるよりは、さっさとやめて自主的に休みを取ったほうが現実的かなぁ、というわけで、4月末に退職し、今に至る、というわけです。

2.周りの反応は結構厳しかった

それで、退職前は、当初、「やめるんだよ」という話を無邪気に色んな所で話していました。今となっては、それはうかつだった。日本という村社会をなめてはいけない。

意外と、一般人の集まりでは引かれてしまうことが多かったんですよね。例えば、保育園のパパ友、ママ友の前で「やめることになったんですよね。え?次?全然考えてないですよハハハ」とか言うと、気まずい空気が流れ、会話がストップしちゃう(笑)

あぁそうかと。そこでやっとわかりました。世間的には「40歳で正社員の職を捨てて無職になる」っていうのは基本的には常識はずれなんだなと。それがなんとなく体感できてからは、自分の嫁の両親にも怖くて退職したことを開示していません。

3.他では言えないので、ブログで本音を書くことにした

でも、逆にいうと、せっかくこういう酔狂なことをやっているんだったら、ブログで定期的に状況報告して、同じようなことをやっている人や後続の人たちに参考になればいいよね?とも思いました。

今後、どうなるかは全く不明です。

再就職するのか、フリーでやるのか、そのまま専業主夫になっちゃうのかは展開次第。場合によっては結構苦しむことになると思うんですが、それはそれで、読者の皆様には人柱、反面教師として役には立つかなと。不快にならない程度で正直に色々ここで書いていきたいなと思っています。

4.退職して1か月、無職中に何をやったのか

退職したらやってみたいことがいくつかあったのですが、せっかくだから自分の後半生につながるヒントを少しでも得られればなぁと。その為には、色々これまでやってこなかったことをやっていこうと思うんですが、今は、主にこの3つをやりたいと思っています。

4-1.読書ざんまい

元々本は大好きだったのですが、ここ数年、知らず知らずに仕事で心を損耗してしまっていたのか、自分の心に滋養をあたえたり、本当に教養をつけるような実のある読書ができていませんでした。(損耗する心への一瞬のカンフル剤として、スピ本や自己啓発本はたっぷり読んでいましたが、今となっては当然何も残っていない)

幅広く教養を身につけるため、様々なジャンルの本の多読・乱読・精読をして自分の見聞と知識を広げたいです。5月は、なんとか50冊程度読むことができました。月100冊は読めるようにしたい。良かった本は積極的にブログで紹介したいな。

また、毎日朝にコンビニで新聞を買い始めました。本物の教養や知識が全然身についていない状況をなんとかしたいからです。大学時代~社会人になってから、ほとんど蓄積がないので、みんなが読まなくなってきた今こそ、新聞が逆張り的に面白いかなと思ってます。

4-2.新しい趣味

元々、多趣味でいろいろ首を突っ込むのですが、去年からはまっている美術鑑賞と落語に集中的にこの1年間でハマってみたいと。5月は、美術展には6回、落語会も5回通うことができました。本当に好きな人は毎日のように寄席や美術館に通う猛者もいっぱいいるみたいですが、無職なのでこれくらいで。

4-3.ブログ

僕は、ネット上での活動は結構長いんです。もともと大学生の頃から、2chや、テキストサイトに入りびたってました。特に、20代後半~30代前半位までは、趣味のヘヴィメタルで、ネット経由で頻繁にオフ会に出たりしてました。社会人になってたので、ロン毛にはしなかったけど。「かるび」というのはその時適当に考えたハンドルネームです。焼き肉がすきだったから、って言うそれだけの理由(笑)また、これは個人的には黒歴史的ですが、30代後半からしばらくは、Facebookでの交流も結構やっていました。

で、そういった交流を通して親しくなった人から、よく「ブログやりなよ」「HP作りなよ」と何度も誘われました。僕の悪い癖ですが、優柔不断なところがあって、ブログについても、やってみようかな、でもめんどくさいな、と逡巡し始めてからが長いんです。やってみたいなと思ってから、15年以上経過していました。40歳になって、「あ、やばい、そろそろやらないと」と急に目が覚めたように立ち上げたのがこのブログです。

幸い、この5月には通算100万アクセスも達成できたし、結構こんな内容でも見に来てくださる方がたくさんいらっしゃいます。ありがたいことです。

せっかく無職になったことだし、もう少し更新頻度を上げて、もっと些細な日記レベルの話だったり、普段の学びや気づきを小さなことからガツガツ書いていこうと思います。ダメな記事もたくさんアップするかもしれませんが、その時にいただく厳しいブコメなども非常に自分のためになるので、いずれにしても学びにはなるんですよね。

5.40すぎの無職生活のメリットとデメリット

良かったこととしては、自由な時間が出来たことです。この時間を使って、色々勉強ができるのは本当にありがたい。そして、何やるにしても混雑しないのも良いところ。美術館は常設展なら空間独り占め状態ですし、落語の寄席にも昼間から入れます。図書館も余裕で席が確保できるし、温泉もガラガラ。電車も座れます。

しかし、社会的にはメリットよりデメリットのほうが大きいですね。まず、対外的に親しくない人達、初対面な人、学校のPTAや義理の両親などに、今どんな仕事をしているのか?という話は当然ぼかさないといけません。言い訳をするのは意外と面倒です。

また、カードは作れないし、多分家も借りられないと思います。近々引っ越しをしたいと思っているのですが、世帯主は収入のある妻にしようと思っています。

もう一つデメリットを挙げるなら、圧倒的に誰かと話をする機会が減りました。在職中は、管理職で、かつ営業兼採用担当だったこともあって、毎日何かしら来客対応や会議等の調整業務が目白押しでした。それが全くゼロになったのです。

退職後、1か月経過して、すでにもう舌が回らなくなってきている・・・。使わないと退化しますね。毎日子どもと妻としか話さないです。このまま、なまってしまったらどうしよう?とか考えて、近い将来趣味の社会人落語サークルでも入ろうかなって思ってます。

6.40で無職になったらだらけてしまうのか?

退職する前、会社でお世話になった上司から念を押されるように言われました。「おまえ、絶対会社辞めたらだらけるぞ。食って寝て飲んで、また食って寝て・・・っていう生活にだけはならないようにしろよ?!」

実のところ、退職前は、自分もだらけない自信が全くなかったです。過去、大学時代はありえないほどだらけた5年間(留年してる)を送った自負があるので、ひょっとしたらだらけちゃうかなぁと思っていたのですが、、、フタを開けてみたら、全く逆でした。

朝は大体6時起きで、起床したらすぐ読書。子供が起きたら子供の朝ごはんの世話をして、学校に送り出す。続いて、洗濯・掃除を妻の代わりにやって、10時頃から時間ができたら図書館に行ったり、美術館に行ったり。午後前に帰宅したら自炊して、また読書。夕飯を作って、子供を風呂に入れて、ブログ書くか、読書して寝る、、、みたいな。だらけるヒマがありません。

元々、サバティカルはMAX1年間限定で、って決めていたからなのか、人間、限られた時間でやりたいことをやっている時は、だらけないものですね。

あるいは、年を取ったからなのかもしれません。これが20代なら、まだ時間は無限にあるように感じられて、無責任にダラダラしちゃってたとは思うのですが、40歳になって強く意識するのは、やっぱり残りの人生の時間数なんですよね。最近、ハダの張りも少し落ちてきたのを感じるし。場合によっては、もうそんなに後がないんです。

だからこそ、この休暇期間中は、自分に投資して、その後の土台を作っておこう、後悔しないようにやりきろう、という気持ちが無意識にあるんだと思います。

さらに、もう一つ挙げるならば、やはり子供がいるということ。この4月から、子供が小学生に上がって、朝7時50分には学校に行くようになりました。なのに、父親が子供よりも遅く起き出してきて、毎日だらけている姿はやっぱり見せられないです。子供って、本当に親のやることをよく見ているんですよね。

7.まとめ

退職したからといって、ユートピアみたいに自由で心が楽になったか?っていうとそうでもなかったです。自分で選択して無職になったとはいえ、その後再就職できるのかな?とか、あるいは、自分でフリーランスでやっていくにも仕事もらえるのかな?とかやっぱり毎日のように考えてしまいます。

今のところ、妻が結構高収入なため、最悪自分がずっと無職でも家族が困ることはないのですが、やはり無意識に「男はやっぱり働いてなんぼ」という刷り込みも強力です。働いていないと、このままでいいのかな?なんていう罪悪感も感じたりします。

よって、会社を辞めたからといって、そんなに心境的に緩めるような感じでもなかったのかな、というのが、会社を辞めて1か月たった素直な印象です。

今後、このブログでは、1か月か2ヶ月に一度程度、「40歳で無職生活となったあと、どうなったか?」みたいな経過報告をしていこうと思います。露悪趣味だ、と言われればその通りですが、自分にさぼらないようプレッシャーを与える、という一種の自戒の意味も込めて、ブログに書いていこうと思います。
ということで、今後も皆様よろしくお願いいたします。

それではまた。
かるび

 

現代アートへの入門として最適?!ポンピドゥー・センター傑作展@東京都美術館に行ってきました

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かるび(@karub_imalive)です。

東京都美術館での狂騒の若冲展が終わって、密かに楽しみにしていた「ポンピドゥー・センター傑作展」が始まりました。早速初日に行ってきましたので、その感想を書いてみたいと思います。

(※6000字近い長文です。忙しい方は、絵と赤い太字部分だけ見て頂ければわかるようにしました)

0.僕の現代アートとの長い戦い(笑)

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去年くらいから、頻繁に美術展に行くようになりました。学びのためにも、そのアウトプットとして、ブログで美術展レポートをアップしています。

僕は美術展についてはわりと雑食系です。西洋美術、日本美術、絵画だけでなく彫刻、陶器、その他美術じゃなくても展示会ならガツガツ行くようにしています。仕事してないし

その中で、一番苦手としている、というか、興味はあるんだけど、自分の中で一番消化不良になっているのが、20世紀以降のいわゆる近代以降のモダン・アートだったり、現代美術だったり。(以下、本稿では『現代アート』と統一)

食わず嫌いじゃないんですよね。食ってもわからない、消化不良のような感じです。

意味不明なまで高度に抽象化された絵画や彫刻だったり、ビデオや映像、音や光など、なんでもありのインスタレーションなどを目の前にしても、まず何がいいたいのかさっぱりわからない。

なんでわからないかっていうと、まぁ一つは感受性が足りないのかなっていうのもあるんですが、一番大きな要因は、それらを味わうための事前知識不足なのかなって思っています。現代アートとは何なのか。なぜ中世までは写実的だった具象絵画が、印象派以降、加速度的に画風が崩れ、なんでもありの混沌とした現代アートへ変わっていってしまったのか。そのあたりの歴史的な背景や知識といったところが足りていませんでした。

今回のポンピドゥー・センター展は、近現代アートの巨匠たちの代表作品が、一同に会するという話なので、「よっしゃ、今回こそ現代アートを理解したる!」という強い意気込みで臨んでまいりました。

と、いうことで、果たして僕の現代アートとの戦いは、どうなったか。それは最後の結論の所に書きますね。

1.混雑状況と所要時間目安

僕が行ったのは、開催初日の6月11日(土)11時頃でした。若冲展はいったいなんだったんだっていうくらい空いています。快適でした。

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やっぱりテーマが近現代アートだと、人出はこんなものなのでしょうかね。

所要時間に関しては、作品数総数が70点ちょっとなので、サラッと見れば1時間ちょっとでいけると思います。特に後半は意味不明なの多いし僕は、結局2時間15分かかりました。

2.ポンピドゥー・センターについて

今回の、「ポンピドゥー・センター傑作展」の、”ポンピドゥー・センター”とは、1977年にパリ郊外に建設された、フランスの国家をかけた現代芸術の総合展示施設です。長らく文化・芸術の中心地だったパリは、第二次世界大戦で国土が荒廃し、フランスの国力が大きく落ちたことをきっかけに、徐々にニューヨークにその座を明け渡していってしまいます。

そんな状況をなんとか打開しようと、現代芸術が大好きだった第19代フランス大統領、ジョルジュ・ポンピドゥーは、自らの提案で、パリに近現代芸術の象徴となるような新たな総合施設を作ろう!と提唱しました。

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うん、なんかいかにも戦後すぐの大物政治家って感じですね。タバコが板についてます。それで、そのポンピドゥー大統領の提案が受け入れられ、1977年に出来上がりました。こちらの写真です。f:id:hisatsugu79:20160615215752j:plain

出来上がった施設には、リスペクトの意味も込めて、ポンピドゥー氏の名前が冠されることとなりました。パッと見て思うんですが、これ、フジテレビ本社ビルの側面にどことなく似てません?

特に、外壁に取り付けられたチューブ状のエスカレーターは、絶対オマージュだと思うのですが。ちなみに、フジテレビの本社ビルを設計したのは、日本が世界に誇る丹下健三です。どうですか?ちょっと似てますかね。

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(引用:http://tokyo-esca.com/esca/2009/09/029.html

3.展示会のコンセプトと秀逸な展示方法

今回の展示は、フランスの近現代アートの象徴的な存在である「ポンピドゥー・センター」内の国立近代美術館に収蔵されている名品が、時系列で一挙に紹介されるコレクション展です。

一番の特徴は、歴史的な流れが強く意識された展示となっていることです。フォーヴィスムが台頭し、モダン・アートが本格的にスタートした象徴でもある1906年から、同センターが開館した1977年までの72年間で、「1年、1作家、1作品」を紹介するという明快なコンセプトが打ち出されました。

これに合わせ、展示スペースも効果的に時系列でのフランスの現代アートの歴史をより直感的に俯瞰できるよう、工夫されています。一般的に、「ホワイト・キューブ」と言われる美術館の標準的な白い壁で仕切られた四角形型の展示スペースの部屋を順番に回る形ではなく、一度にたくさんの絵を一望・俯瞰できるように、動線も短く効率的になるように設計されていました。

特に、一番展示物のバラエティが広がる現代アートの展示が中心となった最上階の2Fは、部屋の中心で360度芸術作品をぐるっと時計回りに見渡せるような工夫がされており、飽きの来ないよい展示でした。前回の若冲展の「動植綵絵」を一望できたような感じです。

オフィシャルHPでも事前にダウンロードできますが、こんな感じです。

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(引用:作品リストより)

4.気に入った作品たち

見て回った中で、「おぉこれは!」と思った作品や、これだけはしっかり見ておきたい!という作品を幾つかピックアップしてみますね。*1

4-1.デュフィ『旗で飾られた通り』(1906)

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展示冒頭の1作品目でお出迎えしてくれる作品。印象派を乗り越え、より一層大胆になった筆使い・構図、自由な色使いが特徴のフォーヴィスム時代のスタートを予感させる一枚です。現代アートの幕開けを感じさせるとともに、画面を大きく占めるフランス国旗が目立つこの作品を1枚目の展示に持ってきたところに、ポンピドゥ・センターの意地とプライドを感じました。

4-2.デュシャン『自転車の車輪』(1913)

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まずモダン・アートを学び始めた時に、必ず出てくる巨匠の作品が早くも1913年にお目見えです。出来合いの男性用小便器にサインしただけのブツを「アート」として出展し、現代アートの神となったデュシャンですが、その前身的作品として制作された作品。

デュシャンは、身の回りのある出来合いの工業製品なども、充分アートとして成り立つんだ、と「レディ・メイド」というコンセプトを現代美術に持ち込み、「アート」の再定義を強力に提案しました。デザインうんぬんじゃなくて、近現代アートの歴史的な金字塔的作品として、間近で見れてよかった。

4-3.ブレッソン『サン=ラザール駅裏』(1932)

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20世紀では、リアルな表現分野では絵画に代わって完全に主役となった「写真」ですが、その写真がアートとして広く認識されるきっかけとなった、教科書的名作です。絵画のような緻密な構図で、決定的な一瞬を逃さず収めた写真は、まさに奇跡の一枚。プロ・アマを問わず、世界中の写真家に影響を衝撃を与えたといいます。実物は、意外と小さかったな~。

4-4.マティス『大きな赤い室内』(1948)

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画面真っ赤です(笑)マティスには良くある絵画なのですが、色使いが全く現実を反映していないという・・・。同世代のブラックやピカソなどが、流行に沿って大きく作風を変化させる中、晩年までそれなりに一貫性を持った画風で徹しました。(途中切り絵に走ったけど・・・)

マティスが何であんなに評価されているのか全く理解もできなかったのですが、実は先日息子の宿題を見てる時にこんなことがあって・・・

マティスは、画家としてのキャリアを積み重ね、画風を試行錯誤する中で、敢えて子供のような感性で常識にとらわれず自由な色彩で描くことで、その独特の魅力を獲得することに成功したんだろうなって。マティスの絵について、1/100くらい理解が進んだ気がしました。

4-5.ピカソ『ミューズ』(1935)

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ピカソは、比較的写実的な絵から、印象派的なタッチ、そして前衛的なキュビズムまで、ありとあらゆる作風を試し続け、常に流行の最先端で評価された人でした。この作品は、あの有名な「ゲルニカ」を描くちょっと前に描かれた作品です。

どこからどう見ても「ピカソ」ってわかるのがもう素直に凄いと思うわけですが、この後に並んでいる抽象的な絵画や彫刻群に比べたら、まだピカソの絵が常識的で、かわいく見えてくるのが現代アートの恐ろしいところかと(笑)

4-6.ジャコメッティ「ヴェネツィアの女 Ⅴ」(1956)

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とにかく色々なところで無意識的に目にした経験が多いと思われるジャコメッティの彫刻ですが、その最大の特徴は、大きく縦に引き延ばされた作風の彫刻です。

ただ、当時アートシーンこそニューヨークの後塵を廃していたパリですが、現代思想分野では、サルトル、ストロース、レヴィナスなど、連綿とワールドクラスの人材を輩出し続けました。この彫刻は、美しさというより、時代の最先端の思潮にフィットしたため、そのコンセプトが高く評価されました。特に、本作品は「実存的な生き方を反映した」と巨匠サルトルに大絶賛されました。どう反映してるかって?うーん、それは・・・(汗)

4-7.アガム「ダブル・メタモルフォーゼⅢ」(1968)

色々な方向から見ると、絵柄が変化する面白い作品。前から、右から、左から見て、全部印象が変わります。錯視や動きを取り入れ、鑑賞者に積極的に作品へ向き合わせるキネティック・アートの力作として、コンセプト的にも見た目的にも面白い作品。

こういう、子供でも直感的に楽しめる現代アート作品はある意味ホッとします。コンセプトはよくわからなくても、最低限楽しめるので。

5.現代アートとの戦いには敗れたが、勝負はこれからだ!

上記の通り、数カ月前に挑んだ村上隆のコレクション展に行った際は、完敗を喫したのですが、あれから5か月。ちょこちょこ学習を重ねる中で、(というか感覚がマヒする中で)、ピカソ位ならもう普通じゃね?的な感じになってきました。ピカソの絵って、なんだかんだで描いている対象物が認識できますからね。

今回の展示会は、特に1945年以降の作品群はやっぱり事前知識なしで理解するのは難しかった。やはり戦後、具象絵画から抽象絵画、また写真、映像、インスタレーションと、アートの幅が急速に広がり、方向性が拡散していく中で、自分自身が知識を押さえきれてない感じ。そういう意味では今回も完敗でした。まだまだ勉強がたらんなーという感じです。

6.まとめ

現代アート界で、日本人で一番商業的に成功している村上隆は、ハッキリと「現代アートは文脈を理解してないと作れないし、楽しめない」その著作の中で繰り返し語っています。

現代アートを何の知識もなくいきなり見に行ったとしても、なかなか単純な「美しさ」は感じられないかもしれません。そもそも、もう「美術」という概念ではなく、「アート」という作家の純粋な自己表現なわけですよね。

それでも、良い作品からは、見たこともない目新しさや斬新さがびしびし感じられることもあります。その中で、気になった作品を作った作家の感性やコンセプトを少しでも共有できれば、現代アートの入り口に立った、ってことでいいんじゃないかなぁと思っています。

現代アートは敷居が高いのは確かです。でも、一番面白い分野でもあると思うんですよね。今回の、この「ポンピドゥー・センター傑作展」は、ちょうど西洋美術が、モダンアートへと一歩踏み出したスタート地点から、現代アートへと進化していくまでのめまぐるしい変化を、パリの美術シーンを通して俯瞰して学べるすごく良い展示会でした。おすすめ!

 おまけ:今回の展示会の予習/復習で役に立ったもの

今回のポンピドゥー・センター傑作展は、手ぶらで行ってももちろんいいのですが、できれば前後に背景知識を入れておけば、より楽しめると思います。いくつか、資料としてよかったものを紹介しますね。

この本は極限まで分かりやすく、絵画を中心とした20世紀のモダンアートについての解説をしてくれます。入門書としてイチオシ。

 

この6/15号で、ポンピドゥー・センター傑作展とタイアップした現代アートの解説特集が読めます。僕は、これを前日に2回読み込んで展示会へ出かけました。事前予習には最適なほどよくまとまっていました。

 

マティスさんのキャリア後半の「切り絵」時代を中心に、ミッフィーがマティスさんのマスターピース達を解説します。・・・というか何の解説にもなってないんですが、肩肘張らずにアートを楽しんだらいいんじゃない?って思えるようになる、心あたたまる絵本です。子供向けの絵本は全くバカにできないのです。

それではまた。
かるび

*1:画像引用は一部を除いて全て東京都美術館のオフィシャルサイトからとなっています。

はてなブックマークは新聞の代用品になり得るのか?調べてみた結果・・・

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かるび(@karub_imalive)です。

最近、会社を辞めてから人付き合いが減りました。仕事を通じて色々な情報が入ってこなくなった分、自分で情報収集を強化しないといけないなと思って、8年ぶりに新聞の購読を再開しました。

時間もたっぷりあるし、ここは自己投資だ!ということで、毎日朝にコンビニに行って、読売・朝日・毎日・産経・東京の5紙のうち、その日の気分でランダムに3紙購入しています。3紙で400円弱と、バカにならない出費ですが、まぁタバコよりは安いからいいかと・・・。

全部精読すると3紙で1時間以上かかるんですが、そこは自主サバティカル中の身。時間はまぁまぁ自由なわけです。まるで一昔前の大企業の部長さんのように、朝からコーヒーをすすりながら目を通しております。(しかし言うまでもなくコーヒーを入れてくれる人はいない)

その一方で、僕ははてなブックマークも愛用しております。去年の9月から本格的に使い始めて、ブクマした記事が6000ちょっととなりました。使い方はともかくとして、それなりに使い込んでいる自覚はあります。

そこで気づいたのは、朝に新聞で読んだ記事が、はてブでもそのままホットエントリーや人気エントリに上がってきていること。新聞社各社のHPや、Yahooなどのポータルサイト経由でネット配信もされており、それがブクマされて上がってくる構図なのでしょう。

それが、結構な頻度なのです。

ふと思ったのが、「あれ?これ新聞とか読まなくても、もうはてブでよくね?」「はてブを定期巡回するだけで、新聞の代わりにならないのかな?」ってこと。そしたら新聞買わなくてもいいよね・・・

ということで、本当にはてブ生活だけでOKなのかどうか、ちょっと調べてみました。ちょっと長めですが、お付き合い頂ければ幸いです。

0.はてなブックマークの仕組みについてのおさらい

今回の記事を書くにあたって、まずははてなブックマークの仕組みについて再確認してみました。どこか、わかりやすい図表はないかな・・・とはてブ内検索(これ、使えますよね?!)をかけたところ、過去記事から非常にわかりやすい図を発見。はてブといえば、やっぱり『ゆとりずむ』様でしょう。早速、らくからちゃさん(id:lacucaracha)から転載許可を頂きましたので、援用させて頂きます。

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(引用:ホットエントリーの条件と効果についてまとめてみた - ゆとりずむ

はてなブックマークは、上記の図のように、時系列で、新着エントリー →→→ 人気エントリー(各カテゴリ) →→→ ホットエントリー(総合)と推移していきます。

はてな側から明確な数値は示されていませんが、おおよそ10ブックマーク以上つけば、最低限、各カテゴリーで人気エントリー入りする傾向にあるようです。その中から、さらに20~30ブックマーク以上が一定の時間内に集まれば、ホットエントリー(総合)へと載ってくるわけですね。

熱心なブックマーカーさんの中には、「新着エントリー」に上がってきた段階で、早々に記事をくまなくチェックして、ブクマする人もいることはいます。

ただ、大多数の一般的なはてブユーザーは、PC経由にせよ、スマホアプリ経由にせよ、目につきやすく、チェックしやすい「人気エントリー」以上のエントリを日々巡回することが多いかと思います。

 実際、上記の図にもある通り、「人気エントリー」入りすれば、忙しくてリアルタイムで見逃してチェックできなかったとしても、「日別ランキング」としてログが残ります。各カテゴリの「過去の人気エントリー」として、何年分もピンポイントで日別のログが追えるようになっています。

それを整理したのが下記の図です。はてなブックマークでは、下記のように直接URLを叩けば、あとからいつでも過去の人気エントリーを各カテゴリ別に参照できるようになっています。

★はてブ日別ランキングの各種URLf:id:hisatsugu79:20160620190528p:plain
YYYYMMDDには、取得したい日を代入。例:”20160522”

つまり、もしはてブを骨までしゃぶりつくしたい!というのであれば、これらを毎日手動でも自動でもいいので全部巡回しておけば、大半の人気エントリーを網羅して押さえることができるわけですね。

1.実際に新聞記事をカバーしているか確認してみた

では、はてなブックマークをチェックしているだけで、どのくらい新聞記事の内容をカバーできるのか、実際に確認してみたいと思います。

まず、新聞の全記事を確認するのはムリなので、ここでは、毎日の新聞記事のうち、特に昔から重要とされている、トップ記事である1面、1面の次の総合面(2面、3面)、それから、テレビ欄の裏にある社会面(左側ページ)、この4ページに絞って調査してみました。紙面で見ると、以下のとおりとなります。

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検証してみたのは、後追いでのブクマもほぼ落ち着いているであろう、ちょうど1か月前の2016年5月21日~5月24日までの4日間。読売・朝日・毎日の主要全国紙3紙をチェックしてみました。

これら3紙✕4日間✕重要4ページ分の、社説・連載もの以外の全記事を抜き出し、それら記事と同日のはてなブックマークの全カテゴリーの日別ランキング(=人気エントリー以上の記事)を比較し、どれくらいはてブが新聞記事に対応しているかどうか確認してみました。

2.思ったよりも高いカバー率

2-1:50%弱の新聞記事ははてブでキュレーションされている

ちょっと長くなりますが、調査結果を一覧表にしてみました。

各新聞の一面・総合面・社会面の4ページ分の全記事に対して、同日の人気エントリー以上の記事を比較し、はてブ側で対応していた場合はブクマ数と掲載カテゴリを記載しました。

 ★調査結果(5月21日~5月24日、全130記事)
※下記「対応」欄の見方
◎→新聞記事そのものがブクマされている
◯→同内容の記事(他社や通信社など)がブクマされている
△→多少内容が違うが、似たような記事がブクマされている
※黄色背景に「赤」字は、ホットエントリー(総合)掲載記事
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 長々と一覧表を貼ってしまいました。
一番下のまとめ欄にある通り、ホットエントリー(総合)だけを見ていては、世の中で起こった大事件以外、ほとんどの新聞系の記事は拾えないようです。(カバー率21.54%)しかし、人気エントリの記事まで手を広げてくまなく追っていくことで、重要な新聞記事は約半分(46.92%)までカバーできることがわかりました。

2-2:「政治と経済」「世の中」を押さえろ!

昨今、はてなブログのホットエントリー入りの割合が高まり、はてなブックマーク自体のニュース性が薄れているようにも感じていましたが、意外と新聞が取り扱うようなストレートニュースにもはてブは強いのです。適当なまとめサイトやバイラルメディア、2chをあっちこっち見ているよりは、余程効率的で役に立つと思われます。

また、新聞系の報道記事がキュレーションされるカテゴリは、圧倒的に「政治と経済」「世の中」に偏っているので、この二つのカテゴリの「人気エントリー」を見ておけば、ニュース系の記事はまずまず網羅できるといえます。もう少し「テクノロジー」「暮らし」にも分散されているかと予想していましたが、意外でした。

3.なぜはてなブックマークでは新聞購読の代わりにならないのか

とは言っても、やはりはてブだけだと、新聞の代わりにまではなれないわけです。50%以上の新聞記事は、はてブではキュレーションされません。それは概ね以下の3つの理由が挙げられると思います。

3-1.はてブと新聞の性質の違い

はてなブックマークは、ニュースサイトではなく、あくまでソーシャルブックマークサービスなわけです。はてブでキュレーションされる記事は、基本的にはユーザー一人ひとりの選択により、人力で民主的に選ばれ、後で見返して役立てられるための「アーカイブ」的な性格を強く持っています。したがって、リアルタイム性や細かい報道への対応、というところでは、趣旨がずれてくるわけです。

はてなブックマーク - 人気エントリー - 2016年6月19日

実際、2016年6月19日のホットエントリー(総合)のリストを見てみると、ランクインしている全50エントリ中、ニュース性の高いストレート記事は下記6件と、全体の12%に過ぎません。

それ以外の44件は、ブログや雑誌などのオピニオン系の記事や生活や仕事に関連したまとめ系記事、または、Twitterや増田などのつぶやき・雑記等で占められています。

これに対して、新聞は、最近こそハッキリとした主張をするようにはなってきましたが、伝統的に中立な立場から事実ベースのニュース報道の配信が中心となります。少なくとも『保育園落ちた、日本死ね!』とは一面には書いていないわけで・・・。

そもそもメディアとして全く性格の違う媒体だってことですね。

3-2.はてブは事件の途中経過を追わない

まとめていて感じたことですが、世の中の大きな事件(特に新奇性の高いもの)については、はてなブックマークも新聞も、両者同様に「速報機能」を備えているように思います。

ただし、初回報道以降が、新聞とはてなブックマークでは動きが違うのですよね。新聞は、事件が発生してから、その事件が一通り解決するまで、中間の取材でわかった新事実を小出しに掲載していきます。

これは、新聞社の「特オチ」(情報を他社に抜かれること)を嫌う特有な性格が大きいと思います。基本的には、社会的にインパクトの大きい事件については、その中間段階も盛んに報道が積み重ねられて、こまめに報道される傾向にあります。f:id:hisatsugu79:20160620215327j:plain

これに対して、はてなブックマークの場合はわりと最初と最後だけブックマークが集まりやすく、事件の中間段階ではしつこくホットエントリーすることはありません。未確定な情報は、あとで見返す必要があまりないからなのでしょうね。

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はてブでキュレーションされる新聞記事のカバー率が50%程度にとどまるのは、大きなトピックや事件が起こった時、その中間段階の分析記事ははてブでは無視されがちだからと言えそうです。

3-3:想定ユーザ層の違い

よくよく見てみると、新聞とはてなブックマークでは、ユーザ層/読者層が全く違っています。これも100%はてブで新聞を代用できない要因かと思われます。

はてなメディアガイド2016年7月-9月版によると、はてなブックマークの典型的なユーザ層は、IT系企業に勤務している30代~40代で、男女比はほぼ2:1位で男性が多めとなっています。

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したがって、キュレーションされてくる記事も、IT系の記事やアニメ・ゲーム系の記事、労務系・経営系の記事が多めになってきます。

それに対して、新聞の購読者層は、50代以上が中心です。例えば、1日15分以上新聞を読む、とアンケートに回答した人たちの割合をグラフにした「新聞行為者率」を見ても、20代、30代の若い人はほとんど新聞を読んでいないことがわかります。

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(引用:新聞購読率減退中、2015年では高齢者すら減る(2016年)(最新) - ガベージニュース

実際、久々に新聞購読を再開して驚いたのは、老人向けの生活記事や消費財系広告、IT初心者向けの記事が非常に多かったこと。はてブでキュレーションされてくる記事とはやっぱり全体的に違いがあります。例えば、いまだに土日の特集ページだとタブレットやスマホ初心者向けの特集が組まれていますので。はてブユーザーには物足りない記事がかなり多め(笑)

このように、これだけユーザ層が顕著に違うと、そこで好まれ、取り上げられる記事の性質もおのずと違って来るわけですね。

4.まとめ

久々に新聞を購入してみて、「あれ、意外と記事内容がはてブとかぶっているぞ」とは思ったものの、やはりはてブで新聞の内容を全部カバーするのはムリがありました。

より詳しく見ていくと、やはりはてブにははてブの、新聞には新聞の特性、短所/長所が見えてきます。結論としては、どちらもバランス良く、その特性を踏まえた上で上手に活用していくのが上策のようです。

ただし、忙しくて新聞を読むヒマがなければ、はてブの人気エントリー「世の中」「政治と経済」の2カテゴリをなんとなく眺めておけば、それなりに情報収集は最低限出来てしまうのかなと。

結論:はてなブックマークは結構役に立つ。

新聞についてはいくつか別途書きたいことがありますが、長くなりましたので今日はこのへんで。それではまた。
かるび

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