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スキーはもうオワコンなの?衰退の原因と復活へのカギを考えてみた

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かるび(@karub_imalive)です。

スキーに行ってきました

少し更新が空きましたが、2泊3日でこの週末、裏磐梯スキー場にスキーに行ってきました。2年ぶりで体は動きませんでしたが、楽しかったです。

さて、そのスキー場で気づいたのが、とにかく人が極端に少ないこと。前から、不人気だって聞いてたし、ここ最近はリフトで行列したこともありませんでしたが、ここまでとは思いませんでした。

どんな状態だったかというと、こんな感じです。

2月12日(金)午前中の写真を見てみましょう。

客少なっ!!

f:id:hisatsugu79:20160214223001j:plain

f:id:hisatsugu79:20160214222939j:plain
遠くの方に写っているのも、地元の小学校「裏磐梯小学校」の体育の戸外授業でした。純粋なスキー客って、数十人といなかったんではないかと思います。

そして、午前中は全く滑れない嫁と、今回がスキー場デビューとなる6歳の息子を親子レッスンに送り込んだのですが、その親子レッスンも、参加者は我が家だけで、事実上のプライベートレッスン状態。お得でした\(^o^)/

いや、まぁいいんですが。

・・・

・・・経営、大丈夫?!

いや、きっと大丈夫じゃないでしょう。

恐らく、スキー場のリフト券代や飲食部門などでは利益が出ていないはず。実際、今回行った裏磐梯スキー場では、人が来ない平日の火曜日、水曜日、木曜日はハイシーズンでも閉鎖しています。

昔は間違いなく人気があったはず

昔はこんな不人気なスポーツじゃなかったのですが、、、
思い返すと、初めてスキーに連れて行ってもらったのは小学校4年生だった1986年でした。以後、スキー好きな父親に連れられて、毎年のようにスキーに行っていました。その当時は、超絶人気があったことを覚えています。
1987年に、更にそのブームを加速させたホイチョイ・プロダクションズのバブルトレンディドラマ映画3部作の第2弾、「私をスキーに連れてって」がその流れを決定づけました。

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51CJZ05UIRL.jpg

(引用元:Amazon.co.jpより/原田知世かわいい。)

先日、初めてBSの再放送で見たのですが、なんかダサくて懐かしい映画でした。スキー場に男女6人できゃっきゃうふふする姿は実に微笑ましい(笑)80年代バブル全盛期のリア充の生態がよくわかります。若者はスキーバスやマイカー(映画ではカローラレビン86だった)で週末はスキーに行っていました。スキー場は若者の恋愛・遊びの主戦場だったのです。

僕は、当時まだ小学生でしたので、そういった一番美味しいところ(?)は蚊帳の外でしたが、それでもスキー場に若い人が多く、活気があったことだけは覚えています。

当時は何をするのにも大渋滞しました。高速道路も、スキー場の駐車場も大渋滞でどこもいっぱいでした。ちなみに、スキー渋滞の最高記録は、2003年2月14日の関越道でのものです。練馬IC-赤城IC間で渋滞105kmというとてつもないものでした。

スキー場の中もリフト待ちで大渋滞でした。滑って降りてくるのはものの2~3分なのに、リフトに乗るのに60分待ちとか当たり前です。

そのくせ、メシは全部レトルトでバカ高い。お決まりのレトルト系カレーライスが、ゲレンデ内の山小屋では1杯1,200円とかですから。

ブームが終わって長期低迷期に。

バブルの時期はそんな異様な光景だったのですが、そこから約30年弱。冒頭の写真のように、スキーは完全にオワコンと化してしまったように見えます。


こちらの図を見てください。

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(引用元:観光庁:スノーリゾート地域の活性化に向けた検討会資料より)

1998年にピークを迎えたスキー/スノボ人口1800万人は、2013年時点でピーク時の約4割である、770万人へと減少しています。

また、実施率、すなわち1シーズンに1回でもスキー場に足を運んで楽しんだ人は、全国民の5.8%と1994年のピークの10.9%から半減していますね。

廃業するスキー場も多数。

ピーク時には、バブルの勢いでリゾート乱開発を進めた結果、全国にスキー場は1,000箇所以上あったとされます。さすがにユーザー数がこれだけ減ってしまった結果、赤字等で倒産・廃業するスキー場が多数出ました。

特に、知名度や雪量、広さ等で劣る町営等の小規模スキー場はかなり厳しく、たとえばこちらの魚沼市の「魚沼市営スキー場再編計画」なんかも、再編、と言いつつ、市営5スキー場のうち、4つを閉鎖しています。再編というか、縮小です。

また、こちらのサイトでは、そんな廃業したゲレンデを巡回して、丁寧に写真で記録して、興味深い取り組みをしています。廃墟マニア系に密かな人気があるサイトですね。

こちらを丹念に見ていくと、やはり小さくて、コースに魅力のなさそうな中小スキー場が廃業に追い込まれていることがわかります。

なぜこんなにスキーは廃れていったのか

ひとことで言うと、コスパが悪いからです。

まず、コスト面です。スキーはカネがとにかくかかるということ。交通費、ホテル代、ウェア代、スキー板代、リフト券代、など、準備段階から当日まで、お金が本当にかかるのです。実際、今回の旅行でも、ホテル他全部入れて親子3人で、2泊3日で150,000円位かかりましたから。

とはいえ、昔も今もお金はかかる金額は変わりませんし、今のほうが多分格安パックやリフト券割引サービス等、レンタル等の充実で、コストは確実に下がっています。

ではなぜ金が出せないのか?というと、バブル期のスキー場を支えた大学生などの若者層が、その支出に耐えられなくなっているから。

こちらを見てください。

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(引用元:私大新入生への毎月の仕送り額、過去最低額を更新:不動産トピックス 【不動産ジャパン】

バブル期には、大学生の可処分所得は73,800円ありましたが、現在は27,700円と、ほとんど親からの仕送りが期待できない状況となってきています。つまり、今、一番スキー場にとって来てもらいたい大学生にとっては、1回50,000円程度かかるスキーには手が出せない状況になっているんです。

次に、サービス面。こちらにも問題があります。ゲレンデ飯は昔からレトルト系メニューばかりで、しかも高い。スキー場に隣接するホテルは老朽化していて宿泊したいホテルがなかったり、スキー場の従業員のホスピタリティがなかったりと、全般的にサービス業としてのレベルが低いように感じられます。20年前からあまり変わっていないのではないでしょうか。

では、どうすればまたスキー場に人が来るんだろうか?

ここからは仮説になりますが、いくつか先行して事例があるので、それも含めて考えてみたいと思います。

大胆なフリーミアム施策①:雪マジ!19

これは、リクルート社が各スキー場に呼びかけ、進行形で全国規模で進んでいる施策ですが、「19歳は全員リフト券無料」という『雪マジ!19』という施策があります。

この雪マジ!19に賛同するスキー場では、シーズン中19歳である人は、リフト券がいつでも全部タダになります。リクルート社の分析資料によると、19歳という年齢は、一度小中学生の際にスキー/スノボに来たことがある若者が、一旦スキーから離れたところで、再度ハマるかどうかの分水嶺にある年齢なのだそうです。

だから、ここでスキー場に足を運んでもらって、潜在顧客層の掘り起こしをしよう!という意図があります。

たしかに、この施策はかなり有効かもしれません。ただし、あまり知名度が高いとは言えないので、そこがたまにキズではあります。ちなみに、福島県では20歳~22歳にもターゲットを広げて同様に無料化しています。

大胆なフリーミアム施策②:ガーラ湯沢のケース

同様に、新幹線自体を実質上無料送迎バス化し、タダにしてしまったJR東日本も、同社が経営する「ガーラ湯沢」の経営を盤石なものとしています。

ガーラ湯沢は、東京駅から新幹線で75分と近く、かつ改札を降りたらそのままスキー場のロッジで、流れ作業のようにレンタルを借りて、更衣室へ入っていけます。究極に楽ちんなのです。このガーラ湯沢ですが、新幹線東京発往復チケット、リフト券付きで平日8,500円という破格の値段で集客しています。正規価格なら、30,000円弱するのに(笑)

両方の策とも、リフト代や交通費をタダにして、スキー場内での飲食やおみやげ、レンタル等でお金を落としてもらうモデルです。

ガーラは一昨年、有給取って2回ほど行きましたが、若い人も多くてかなり盛り上がっています。雪質も上越地区では良く、こりゃ生き残るわな~。と思わされます。

経営主体の統廃合と垂直統合モデルでサービス向上を

パイが縮むなら、規模の効率性と役割分担を追求するしかなさそうです。スキー場からリフト券、ホテル、レンタル事業と、現状バラバラで非効率、かつ前時代的経営になりがちな状況を改善して、サービスの川上から川下まで専門業者に任せて一気通貫で提供するのが有力な解決策と考えます。

実際、北米地域では、「Ski Area Management」」と言って、スキーリゾート観光地経営は、一つの専門分野として、大学でも専門のコースができるくらいの経営分野としてみなされています。

アメリカやカナダでは、このビジネス上のフレームワークを元に、スキー場の専業マネジメント会社がスキーリゾートエリア全体の経営を行い、魅力的なサービスを効率的に創りだすことに成功しています。

日本でも、徐々に「日本スキー場開発」や「マックアース」といったスキーリゾート専業の運営会社が出てきました。両社とも、社長さんはまだ若い!

彼らのやり方は、概ねこんな感じ。まず、沢山のスキー場を保有したり・経営預託されることで、天候リスクを抑え、コストを圧縮して黒字化します。次に、あちこちで獲得した経営ノウハウを横展開して、スキー場自体を魅力あるものにしてさらにお客を呼び込む、そういうモデルで成功しています。

インバウンド需要を捉える(長期滞在需要と外国語対応)

現状は、ニセコ(北海道倶知安市)での成功事例があります。数年前から、特に南半球のニュージーランド人やオーストラリア人が、夏・冬問わず長期滞在を前提とした宿泊先としてニセコや白馬のコンドミニアムを選んだり、別荘を購入するケースが増えています。

現地では、外国人や、外国の旅行代理店、投資家の誘致活動から、地元スーパーやリゾート施設内での外国語対応までかなり対応が進んでいます。この成功例を他の地域にも並行展開し、外国人の潜在需要を掘り起こしたいところです。

ちょうど、都市部や一部の進んだ観光地でのインバウンド事業はかなり成功しつつあるため、スキー場でも先行事例を見ながら進めていけば、案外チャンスはあるのではないかと思います。

スノボに続く新スタイルへの対応

外国では、スキーやスノボ以外にも、クロスカントリースキーやフリースタイルスキー、冬山トレッキングなどのファンも増えており、各スキーリゾートで専用コースやトレーニングコースを開設して、ファンを取り込んでいます。

実際、アメリカの業界団体、Snowsports Insutries Americaのリサーチによると、フリースタイルスキーの人口が2009年の295万人から、2014年には446万人と激増しており、この波は必ず日本にも来るはずです。

実際、フリースタイルスキーは現在プロにより次々に大技が編み出されたり、日本人でも若年のトッププレーヤーが現れるなど、かなりの可能性がありそうです。ここにどう対応するかも鍵になると思います。

スノボが流行り始めた当初、対応が面倒なのか、危ないので単純に滑走禁止としたスキー場が多かったですが、同じ失敗をしないようにして欲しいですね。

まとめ

欧米やオーストラリアなどでは、スキーリゾートは基本的に日常空間からは遠いところにあり、長期滞在を前提としてお金をかけてゆっくり楽しむスポーツでした。例えば、アメリカ人は1回あたり平均7日間滞在するそうです。

これに対して、日本は国土が狭く、思い立てば車で2時間、3時間の近場のところに、日帰りでスキーを行ってきて楽しめる環境にあります。バブルの時のような熱狂はもう起こらないだろうけど、気軽に行って、気軽に帰って来れる。

実は、外国に比べて恵まれた環境にあるんですよね。こんな狭い国土に1,000箇所もスキー場があるってすごくないですか?

バブルの時期に獲得した年間1800万人の観光客は、恐らくもう戻っては来ないと思いますが、ポテンシャルは絶対あると思います。是非恵まれた観光資源を活かして、また盛り上げていってほしいなぁと思います。

それではまた。

かるび


なぜ大半の夫は家事育児をやろうとしないのか?男性目線で解決策を考える

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かるび(@karub_imalive)です。

先日、こんな家事育児の記事を目にしました。

家事育児を「やっているつもり」の旦那へ見せた執念の分担図 | ママスタセレクト
はてブが2,000弱ついていて、相当各種SNSなどで拡散したようです。仕事帰りに嫁のLINEから「面白い記事見たよ」とFacebook経由で教えてもらい、えー、どれどれと見てみると、こんな感じのマトリクス表が。

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(引用元:ママスタセレクト)
見てみると、夫があまりに家事育児をやらないので、「とにかく見える化」して目の前につきつければ意識も変わるだろう?という趣旨のエントリでした。

「おお、この象限分析は面白いね~。あとでうちもやってみようか」ということで、嫁と意気投合。少し間が空きましたが、昨日お互い仕事から帰宅した時、夕食前の30分程でこのマトリクス表を実際に作ってみました。

それがこれ。(※ちらしの裏を使ったから折れてて見難くすみません)

実は自分、結構家事育児については、密かにやっている自信がありました。会社とかでも18時に強制的に保育園降園付き添いで帰宅するときも多々あったりして、「フフフ、このマトリクス表でタスク並べてみて、夫の偉大さを改めて認識させてやろう」なんて思っていたのですが・・・。

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・・・。

まぁ、こうして並べてみると、やっぱり嫁の方が残念ながら家事育児の分担割合が高そうです。一通り、感想戦を30分程行いました。
嫁「大体6:4位でわたしのほうがやっぱりやってるね」
か「うーん、もっとやってると思ったんだけどな」
嫁「私のほうが多いでしょ。ちなみに、私のほうが稼ぎも多いんだけど(笑)」
か「・・・ぐぬぬ」
嫁「まぁ、まだやってくれてる方だとは思うけどね。まぁブログでの報告頑張って」
か「・・・。(下を向いている)」

ということで、こうして「見える化」したところで、わかったことは以下のとおり。

  • 僕自身は結構勤務時間が長い中でも家事育児をやっているほうかな?とは思っていたのは勘違いだった。実際は、僕40%、嫁60%位の負担率。
  • 家事は50/50位。でも子育てについては20/80位で圧倒的に嫁の負担率が高い。子供の世話は嫁に任せっきりになっちゃっている。

・・・うん、年収もぶっちゃけ嫁の半分くらいだし、家事がんばらんとな!と、ここで締めてもよかったのですが、ふと疑問に思ったことがあり、もう少しだけ今日は掘り下げていきたいと思います。その疑問っていうのは・・・。

男が家事育児をやらないのは本当なのか?また、やらないのはなぜなんだろうか?と言う疑問です。

早速、順番に見ていきたいと思います。

日本人は国際的に見ても家事をしていない

まず、「日本人男性は本当に家事育児をやってないのか?」という観点から、見つけてきたデータがこちら。平成27年度版男女共同参画白書に、主要先進国での男性の1日あたりの家事時間の国際比較表が上がっていました。

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これはすごい。育児時間はそれほど変わらないものの、家事は他国の1/3程度って、やらなすぎでしょ。。。明らかに日本人男性の家事育児にかける時間が少ないのが際立っています。どうやら日本人男子が家事育児をしないのは本当のようです。

では、なぜ日本人男性は家事育児をほとんどやらないんでしょうか?昭和の高度成長時代は、男性は仕事に打ち込み、女性は専業主婦として家庭を支える、というモデルが一般的でした。でもそれは昭和の話。今はまた、別の要因があるはずです。

・・・

すると、実際は、家事育児に参加したい、すべきだという気持ちはあるということがわかってきました。極端ですが、こんなデータもあるくらいですから。
若い男性の約3割は「専業主夫」指向だ | ブックス・レビュー | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

では、やる気があったとして、なぜできないのでしょうか?それには、幾つかのできない理由があることがわかってきました。

理由1:夫は子供が生まれた時から女性に育児を任せがち

これは僕のケースでもあります。家事についてはそれなりに参画できていたけど、育児は引き気味という。

子供が生まれると、女性はまず「授乳」という形で四六時中子供の世話をデフォルトで役回りとして自然にやることになります。嫌でも強制的にほぼ100%子育てにコミットさせられ、子育ての経験が積めるようになります。

それに対して、男性の場合、出産も経験していなければ、授乳の機会もなく、生まれてすぐの赤ちゃんは大体妻の腕の中にいるわけです。すると、どうしても子育てについては女性に対して一歩引いた立ち位置からの参画になるため、物理的にも育児にコミットできてない、そんな現状がありそうです。

理由2:男性は物理的に家事育児の時間が取りづらい

子供が、育児に手のかかる0歳時~小学校低学年の親となる男性は、概ね30代~40代となるかと思います。その年齢層は、現在企業社会にて中堅~リーダー格として仕事量が増えてくる時期に重なります。

平成27年度の男女共同参画白書によると、過重労働とみなされる分水嶺とされる週60時間以上残業をしている男性は、30代、40代が一番多くなっています。30代、40代ともに約17%と、男性の6人に1人のは家事育児どころじゃありません。

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 これでは、物理的に子供の面倒を見ることが難しい状況ですね。

理由3:男性は会社で子育てを優先しづらい雰囲気が強い

日本企業では、1985年に男女雇用機会均等法が施行されてから、牛歩の歩みではありますが、徐々に女性の企業におけるキャリア差別や賃金格差が解消する方向になってきています。参考記事:月額賃金 女性は過去最高に - BIGLOBEニュース
ですが、未だに男性は社会や企業の中では「仕事を最優先すべし」という有形無形のプレッシャーが根強く存在します。男性の育児休業が政府により強く奨励されるようになってきていますが、依然として、男性の育休取得率は1%台で低迷しています。

また、男性が家庭を優先し、保育園への送迎や子供の世話で会社を遅刻、早退するのも、人事考課や査定でマイナスに響きやすいのです。いわゆる「パタハラ」と言われる事案を受けやすいのですね。初めて聴く言葉ですが、いわゆる妊産婦に対する「マタハラ」と対をなす概念ということですね。

家庭を顧みず、出世した部長さんや課長さんは、そもそも育児に対して理解がないのでしょうか?いや~。これは今の会社では言われなかったので、その点では幸せな会社生活だったな。

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(日経新聞2016年1月26日朝刊より)

理由4:そもそも男性は家事育児のスキルが低い

これはネットを見ていると、特に女性の意見で多かったのですが、そもそも男性は、家事育児の経験不足から、スキルが低くて、使えないとの声が多数。家事育児は、職場の事務作業や単純作業と同じ構造となっていて、経験を積んで工夫しないと効率的にこなせないわけです。

僕も、いきなり明日までに妻から「子供の保育園用のジャンバーのボタンが取れたからつけといて」と言われても、やったことないし、( ゚д゚)ポカーンと言う感じになっちゃいます。家庭科の時間にやった覚えが・・・かすかにあるかな??

仕事でもついついデキる人は教える時間が面倒なので、全部自分でやっちゃう人っていますけど、育児でも同じ現象が起きているのではないでしょうか?、「どうせできないんなら私がやったほうがまし」となって、妻の側が全部やってしまい、夫がそれにフリーライドしている、という構造になっている家庭も多いと思います。

では、解決策はどうしたらいいのか?

とまぁ、数えると色々な事情があるようです。すぐには片付く問題ではないですが、これを一つ一つ片付けていかないと、女性は不公平な家事育児分担から抜け出すことは難しそうです。ちょっと解決策を一緒に考えてみましょう。

解決策1:とにかく見える化を行い、意識を変えさせる

上記のマトリクス表を改めてパワポにまとめましたので、再掲してみます。こうして、全部書きだしてみて、まず夫婦で話し合うのが良いと思います。物凄いはてブがついで共感を呼んだやり方なので、是非やってみてください。30分くらいしかかからないし、役割分担に偏りがある場合はすぐにわかります。

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でも、ここからが勝負なんですよね。そこで可視化が終わったら、家事育児分担のボードでさらにわかりやすくするのが良さそうです。

そこで、下記のうだひろえさんの実行した、ホワイトボードでのタスク実績管理がよいなぁと。なんか陣取りゲームというかオセロみたいで、ゲーム感覚でお互いの今日の家事育児分担実績が見えるようになるので、楽しく取り組めると思いました。我が家も取り入れる予定です。

わたし、想像以上に、しんどい。 これで伝わる!妻から夫への『大変さ』の伝え方 by うだひろえ - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

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解決策2:意識が変わったら、丁寧に教えこむ

そして、何よりこれが大事。意識だけじゃ仕事は効率的には進みません。

世の中の男性は、家事育児をやろう、と意識が高まっても、ノウハウやスキルがないため、限られた時間の中でテキパキと動けないものなんです。どうですか旦那さん。今この場で、「この子供のセーター、洗っといて。」って言われて正しく洗濯機を回せますでしょうか? え?僕ですか?・・・このエントリを書いた後に嫁に教えてもらおうかな(^_^;)

貴女が想像している以上に、男子は家事育児が出来ないと思ったほうが良さそうです。なので、教えるときは、新入社員に仕事を教えこむように丁寧にやってみてください。というか教わらないと多分できません(笑)一旦つかめればしっかりできるようにはなると思いますので、やる気の高まっているうちに一気に教え込んでもらえればと思います。この記事も少し古いですが、すごく参考になります。

解決策3:50/50でなくてもいい?まずは40/60を目指す

正直な所、いきなり50/50で家事分担をするのは難しいかもしれません。現実的な落とし所としては、今まで夫1割、妻9割といった極端な家事育児分担割合を、30%/70%~40%/60%あたりにして、男性側の家事分担率を高めることを目標にすべきです。

実は、アンケートでも、負荷を折半するよりも、ちょっと妻のほうが多い40/60位を望んでいるというデータもあります。

夫は高い自己評価、妻はまだ不満 育児分担の理想と現実 |WOMAN SMART|NIKKEI STYLE
この記事によると、女性側=妻の考える子育て分担率は、共働きであっても大体40%/60%くらいが良いとのデータが出ています。

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なんと、半々じゃないんですね。かなり意外でした。どこかで、育児は女性がやらなきゃっていう心理が働いているんでしょうか。よって、今全然家事育児をやっていない人であっても、これから少しずつ分担割合を高くしていけば、割と早く女性の要望する分担割合に到達できるということです。

解決策4:おまけ/家事育児を外注する

それでも旦那さんが家事をやらない場合。もし、お金があるのならベビーシッターや家事お手伝いさんを割りきって使ってみるのも一つの手です。もちろん、かなり高くつくので、お手伝いさんにアウトソースするお金よりも多くの時間をその分残業等で稼げる見込がなければ、なかなか使えないものではありますが。

家事代行については、下記の記事がよく整理されていて勉強になりました。

最近は代行業者も信頼できて安いところが出てきていて、2,500円/時間でやってくれるところもあるんだとか。時給3,000円以上あるのなら、十分試す価値はありそうですね。

まとめ

僕自身は、朝ごはん、夕ごはんは全部作っていたりと、タスクを可視化する前はかなりやってるんじゃないか?という自負がありました。でも、図にして明確化すると、家事はともかく、育児については全然できていないことが分かりました。

息子も今年の4月から小学校に入るし、僕は会社を辞めてしばらく主夫になるので、これを期に、育児にもう少し力を入れようかなと思っています。

それではまた。

かるび

【書評】佐渡島庸平「僕らの仮説が世界をつくる」はいいぞ

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は昔割と意識高い系だった時代があって(笑)、自己啓発本は随分読んだ時期がありました。今も書店に行った際は「ビジネス本」コーナーに無意識にフラフラ立ち寄ってしまいます。

最近は自己啓発熱も冷めてきたのですが、たまに「おぉこれは!」という本に当たると今でも買ってしまいます。この佐渡島庸平氏の処女作「僕らの仮説が世界をつくる」は、久々に買ってよかったな、と思う会心の力作でしたので、ここで紹介してみたいと思います。

佐渡島庸平氏とはどんな人なのか?

書店で表紙を見てほぼジャケ買いに近い形だったので、著者の佐渡島庸平氏については、全く知らない状態でした。書店でビジネス本あたりに何回か平積みになっているのを見かけて、なんだか面白そうなタイトルだな、ということでずっと心のどこかに引っ掛かっていました。

読み進めるうちに自然に明らかになってきますが、彼は書籍編集のプロであり、特に辣腕のマンガプロデューサーです。しかも業界でとびきり注目されている風雲児的な。

ググってみると、2年前にはNHKの「プロフェッショナル」にも出演するほど業界では名前が売れた、書籍界のスーパースター的存在であります。

3年ほど前に、講談社を退職し、自分自身で日本初となるマンガ家・作家のプロデューサー業を行う会社「コルク」社を立ち上げ、現在も「ドラゴン桜」の三田紀房氏、「宇宙兄弟」の小山宙哉氏などの一流作家のエージェント業を中心に、編集の世界で新しいタイプのワクワクするような仕事をしています。

概要

この本は、そんな佐渡島氏の名刺代わりとでもいうべき処女作です。

佐渡島氏が、編集者としてこれまで思考、仮説を重ねて成功実績を積み重ねて来た中で、まさに制作現場の最前線で彼が獲得してきた得た経験や知見、あるいはそのプロセスが、総花的に順不同でブチこまれた、いわば現場での実体験に基づいた半自伝本みたいな感じです。

決して体系立てて、教科書的に成功するための理論やTipsを整然と教えてくれるわけじゃなく、作者のこれまでの業界人としての業績の振り返りながら得てきた学びを、平易な言葉で語りかけられるような感じで一つ一つ確認していく、そんなイメージだと思ってください。

この本の骨太なところは、単に「明日から実行できる10個の何とか法」みたいな即席的メソッドを提供しているわけではなく、「物事の考え方」に焦点を当てていること。あるいは、物事を考える際のフレームワーク的なメタ思考法も提供されているところ。非常に深遠で本質的なテーマに切り込んでいます。

この本から感じた3つの印象的なポイント

この「僕らの仮説が世界をつくる」は、発売直後からかなり話題になり、売れているらしいですね。特に良かった点としては、3つあると思います。

1点目は、口語体で臨場感を持って話しかけられているような錯覚になる「わかりやすさ」です。流石にプロの編集者だけあって、自己啓発本を読む読者層を想定した雰囲気作りができています。内容は骨太ですが、さらさらっと読める。

2点目は、仕事に対する純粋な思いが伝わってくるストレートな「熱さ」。全編を通して、著者自身の「編集」という仕事への熱さが伝わってきました。あとがきにも、仕事を通して世の中をゆるく、でいいから変えていきたい、この本で熱狂を伝えていきたかった、と心情も吐露されています。

そして、3点目としては、マンガの制作現場で実践や熟考を通して得てきたラディカルで鋭い「洞察」。一つのテーマについて徹底的に物事の本質を捉えるために考え続ける姿勢は、感嘆に値します。この3つがからみ合って、読者には非常に高い読後の満足感をもたらしてくれると思います。

圧倒的な洞察力

特に僕が感銘を受けたのは、佐渡島氏が半生を通して身に付けてきた最大の武器である、深遠な本質をつかむための「洞察力」。主に自身の編集ビジネスへ打ち込む中から得てきた、物事を見抜く本質的な考え方は、ビジネスだけでなく、生きていく中で幅広く教養として役に立ちそう。そのいくつかを、ここで紹介してみます。

1,前例主義を打破する仮説検証サイクル

これは編集職に限らず、サラリーマンをやっていたら色々なジャンルの業種で共通して陥りがちなのですが、新しいことを企画しても、「それは前例がないからリスクが高くてやらない」となりがちです。佐渡島氏も、

前例主義というのは、「情報→仮説」という順番で物事を考えることで起きます。殆どの人は、真面目に案件に取り組むがあまり、情報を集めてから仮説を立てようとするのですが、そこに大きな罠が潜んでいます。

とした上で、まずは、自分の感性や価値観を総動員して仮説を立てた上で、仮説→情報→仮説の再構築→実行→検証、というサイクルで細かく検証していくことで、現状に停滞するのではなく、新しい世界を切り開いていけるのだ、としています。

ここで力説されているのが、あくまで「日常生活の中でなんとなく集まってくる情報」や「自分の価値観」を大事にしろ、という教え。感性や感覚を大事にしつつ、大胆に仮説を立てて検証する。仮説検証と言うと、なんか難しそうなイメージがありますが、練習すれば、誰でもできる思考サイクルであることを明らかにしています。

2,宇宙人視点で本質が見える

物事を本質的に深く考える際に欠かせないのが、物事を客観的に、大局的に俯瞰するメタ視点ですが、著者は、それを「宇宙人視点で考える」と独特な言葉を用いて表現されています。

ぼくは、ものごとの本質を考えるときに「自分が宇宙人だったら、どういうふうに考えるだろう」と思考しています。

著者は、多感な中学生時代を南アフリカ共和国という日本から遠く離れた文化も考え方も全く違うところで過ごして”宇宙スイッチ”が入りました。高校生になってから浦島太郎状態で日本に帰ってきた時に、否が応でも日本の習慣を客観的に考えることができるようになったそうです。

なぜ宇宙人か?というと、宇宙人から見た世界、日本というのは、全くレッテルやイメージといった固定観念がなく、すべてをまっさらな状態で見ることができるから。

著者からは、このまっさらな「宇宙人」として物事を捉える訓練をすることの大切さについて、と、かなりのページを割いて具体例を用いて解説されています。本質を捉える時の注意点として、「時間が変わっても変わるもの、変わらないもの」を見極める事、また、「社会がいかになんとなくのルールで回っていること」が大事だといいます。

ステマ問題や出版社/新聞社の仕組み、フジテレビの視聴率低下問題、明治維新の時の人々の考え方の変遷など、幾つかの例を元に、実際に著者がどういった思考の流れで本質にたどり着いたのかがわかりやすく解説されています。

3,観察力

では、このまっさらな状態から物事への本質へ迫るためには何が有効なのか。そのうちの重要なキーワードの一つとなるのが「観察力」だということです。

観察力が上がっていくと、同じものを見ていても、人とは違うものすごく濃密な時間が過ごせるようになっていく。風景にしても、世の中の出来事にしても、人の心にしても、目に見えない微妙な変化や面白さに気づくようになります。

では、どうやったら観察力を上げていくことができるのか?その示唆は非常にシンプルでした。

何かを見るときに「注目するポイントを変える」というわけではありません。ぼくらは普段、ちゃんと見ているように思っても、ほとんど何も見えていないのです。あとで、「さっき、何があった?」などと聞いてみても、漠然としか記憶していないでしょう。そのことを意識することから、観察が始まります。 

なるほど。なにも見えていないことを謙虚に意識することが、逆説的に観察力を上げ、物事を捉える力を増進させるということですね。ソクラテスの「無知の知」を思い起こさせました。

まとめ

上記で紹介したのはあくまで僕が勉強になったと思った点の抜粋です。その他にも、「努力することの大切さ」「仕事への向き合い方」「決断の仕方」など珠玉な金言が一杯散りばめられています。

芸術や音楽シーンなどでも当てはまることですが、自伝的ビジネス本の著者は、その処女作が最高傑作で読み応えのあるものが多いと思います。売れて2冊目、3冊目が出始めると、内容は必然的に希釈され、ファン向けの続編になってくるものが多い。

佐渡島氏も、しばしば自らがプロデュースし、編集にあたる著作について、売れ残り余ったものは、その著者の「名刺代わり」にガンガン配布する戦略を取っているといいます。その点では、この「僕らの仮説が世界をつくる」は間違いなく佐渡島氏の「名刺」として120%機能する良作だと思います。骨太で何度も読み返せるビジネス本を渇望する、すべての読者におすすめしたい本でした。

それと、もう1冊。対談本ですが、こちらも渡島氏の思考のエッセンスや今何を考えているのかわかりやすく捉えられる読み物でした。

それではまた。

かるび

【雑記】一期一会って言葉が身にしみる今日この頃

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かるび(@karub_imalive)です。

最近長いエントリが多かったので反省して1,000字以内でまとめます。

ここ最近色々なブログを読んでいると、「仲間のブロガーの更新が途絶えてしまった」「読者が来てくれなくなって寂しい」とか、目にします。

自分もブログを始めてから前回で100記事となりましたが、確かにブログをスタートした当初から更新を停止してしまったブログも結構あります。

ブログ更新って、お金にもならないし、その割には日常生活に負荷をかけることもありますから、移り変わりが激しいのはよく分かります。

先ほど自分のつけていた過去のはてブを振り返っていたんですが、こういう記事をはてなブログ界隈で見るたびに、ブコメで無意識に「一期一会ですからね。一つ一つの記事や読者との出会いをもっと大事にしたいです」的なコメントをつけてました。

でも、これって、ブログだけにとどまらず、ありとあらゆる出来事に当てはまるんじゃないかなと思います。

例えば、最近僕はよく美術館の展示会に積極的に行くんですが、そこで展示されている目玉作品が「◯◯年ぶりに日本上陸」とか「日本初展示!」とか銘打たれているわけです。つまり、今回見ておかないと、次にその作品とライブで相対できるのは数十年後とか、あるいはもう死ぬまで会えないこともあるわけです。まさしく一期一会の世界。

同じことは、読書とかブログとかにもあてはまりますよね。これだけ大量の情報が氾濫し、一生かかっても読み切れない程の点数が毎日毎日出版・発表される中、手にとって出会うことのできた書籍や、偶然目にすることができたブログのエントリって、ある意味奇跡的な出会いだと思うんですよね。その時見逃したら、もう後はないのです。

もっと言うと、生きていく上で、毎日のクソつまらない会社生活での上司とのやり取りや同僚との軽口などでさえも、基本的にはその時だけのものであって、全く同じシーンの再上映はないわけです。

ということで、この「一期一会」という言葉、40歳を過ぎて、いよいよ人生も折り返しとなってきたこの時期に、日に日にリアリティを帯び、強く意識するようになってきました。

かけがえのない毎日を、あらゆる物事との関わりにおいて、もっともっと意識的に、その出会いを大切に過ごしていくようにしたい。ブログ100記事を達成して、あらためてそう強く思いました。

それではまた。

かるび

’17新卒採用がスタート。Fラン大学生が一発逆転する方法を人事目線で考えてみた!

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かるび(@karub_imalive)です。

今年も2017年度新卒採用がいよいよ始まりますね。というか建前としては3月1日からスタートなのですが、すでにもう始まっている模様。ところで、3週間ほど前に、こんな記事を書きましたが、沢山の方に読んで頂けて光栄でした。

ここでの結論としては、結局、学歴偏重型の新卒一括採用システムっていうのはすぐにはなくならずに、ダラダラ続きそうだね、っていう話で終わりました。

現状何もしなければ、圧倒的に高学歴の学生にとって有利な仕組みであることは、今年も全く変わりません。先日の日経に、こんな記事が掲載されていました。

センセーショナルなタイトルですが、去年のダラダラ続いた就活から一転して、今年は短期決戦となる予定です。(3月解禁、6月内定出し)そんなわけで、今年の’17採用での経団連が取り決めた採用解禁日は3月1日ですが、経団連加入企業ですらほとんど無視。裏でコソコソ、あの手この手で有力大学の学生を「1dayインターンシップ」や「就職懇談会」といった名目で引き入れて、実質的な選考をスタートさせています。

勝負は始まる前からついている

そして、記事内にもありますが、こういったリクルーターや人事、特定業者から声がかかり、青田買いの現場に入ることができる学生は、東大や早慶上智といった難関校だけ、と決まっています。(実際、上記記事を読んでみてください。難関校のケースしか挙げられていませんから)もう、あからさますぎて笑ってしまいますね。

そう、勝負は、始まる前からついているのです。

早慶上智・東大クラスのいわゆる「特A」大学に属する学生は、青田買いにシークレットセミナー、面接フィルターと、何重ものバリアに守られ、最初から最後まで有利に就活を戦えるのです。

その反面、MARCHクラス以下の学生は、最初からハンデを負った状態で望まなければならない。

ここに対して、何か手立てはないのか?どうすれば、一発逆転が望めるのか?あるいはどうすれば幸せな就職活動を送ることができるのか?

そんな疑問を、毎年僕の会社に来てくれるインターンシップ生から繰り返し繰り返し聞かれます。これに対して、人事目線から見えているいろんな秘策を話しているのですが、本エントリではその内容を少し書いてみたいと思います。

注意:ここからは若干えげつない話になりますので、心象を悪くされる方もいるかと思います。予めご了承ください・・・

前提として、ゲーム的割り切りと大局観を身につける

新卒採用っていうのは、広義では「学生」が「社会人」になる際の一括採用機会のことを指します。チャンスは各自1回しかないように思われるけど、実は、留学したり、大学院へ進学したり、卒業してから受け直すなど、最大3回位まではチャレンジできるのです。

最近だと、リーマンショックの時期に、文科省が内定率を高めるため苦心してひねり出した定義変更「既卒3年目までの未就業者は新卒扱い」も、ある程度は浸透しているので、「新卒」でいられる時期は、確実に長くなっているのです。

この期間を使って、王道の就活も試しつつ、ゲリラ的にいろんな手段を使った総合戦で就活を勝ち抜こう、というのが下位大学の学生の取りうる最善の手段となります。

また、就活を進めていく中で、あからさまな学歴差別を感じたり、お祈りメールが多数届いたりで心が折れるようなイベントも多数あります。上位大学の学生ですら、心を病む学生は結構います。

このトラップを避けるためにも、就職活動はあくまで「ゲーム」であり、たとえ失敗したとしても、死ぬわけではない。思い切り最後まで楽しんで取り組む、というメンタリティが必要だと思います。

学歴フィルターの攻略法

就活で一番の山になるのが、学歴フィルターの存在です。大手都市銀行や総合商社、マスコミ、運輸等、応募者も多く、学生人気ランキングに載るような有名なBtoC系企業の場合、学歴フィルターがあからさまに存在します。

この時、受けたい会社の学歴フィルターに自分の所属する大学が引っかかっているか確認するには、単純に自学のキャリアセンターでOB名簿をめくれば一発でわかります。過去10年位を遡って、1人も採用実績がない場合は、残念ながらフィルタで弾かれているということ。正攻法でエントリーシートを出しても、まずお祈りメールが来ます。

では、そういう時の手立てはどうすればいいのか。取りうる対策としては、以下の7つが有力です。

1,諦めてフィルターのない優良企業を探す

これが一番です。東証へ上場している企業は現在1500社程ありますが、大半の企業は学生が聞いたこともない会社ばかりです。すなわち、第1には、自分自身が聞いたことのない会社から、いい会社を単純に探していくのがいいでしょう。そして、第2には、CMなどで見聞きしたことのないBtoBの会社を選ぶこと。

BtoBの会社では、例えばものづくりで言うと電子部品や化学系の上流企業や、素材系メーカー。このあたりは、学生が来てくれないけど経営は盤石な優良企業がひしめいています。会社四季報でこういう隠れた優良企業を片っ端から探して受けることを推奨しています。フィルターはあっても機能していないか、全くありませんから。不人気企業の採用担当はつらい、、、

2,大学院での仕切り直しはものすごく有効

例えば、現在、早慶上智・東大以外の学校に通っているけれど、大手都市銀行3行のいずれか(赤・緑・青)にどうしても入りたいとします。通常は、学閥・学歴フィルタによって高確率でお祈りメールが来ますので、大学卒業=学士での入社をあきらめて、大学院卒業=修士でチャレンジするという手が有効です。

東大や東工大、慶応や早稲田などの大学院を受けましょう。大学入試よりも遥かに難易度は下がります。例えば、これで首尾よく慶応大学院に行けたとしたら、最終学歴は、慶応大学修士となり、見事に2年後、修士枠として正面から選考機会を獲得することができる、という塩梅です。

実際に、学歴フィルタを設けている難関企業の何割かはこの方法で夢を追い求めて学歴をアップさせた人で占められています。これぞ学歴ロンダリングであります。

3,留学する

これは学歴ロンダリングと同じ理屈です。英語圏の大学で、1年間なり2年間なり行ってきて英語力とコミュニケーション能力を磨くと効果あり。その際に、ちゃんと英語を覚えてTOEICなりTOEFL、IELTSなりの点数を履歴書にかけるようにパワーアップしましょう。正面から挑んでもいいし、あるいは留学生枠を活用してもいいでしょう。海外現地や、日本人の帰国者向けに開催される日本人合同企業説明会などが多数開催されており、すなわちそれは早慶東大生とは「別枠」の留学生採用枠が用意されているということを意味します。

4,資格を取得する

これは留学や大学院よりは弱くなります。が、他学生との差別化は確実に図れますので、これら資格を持っていると、学歴フィルタを突破できる可能性が高まります。人事目線で見て、これは通しておきたい、という資格を記載しておきますね。

  • TOEIC900点以上/英検準1級以上
  • 日商簿記2級以上
  • 各種士業資格(社労士、宅建など)
  • 基本情報処理技術者

今も昔も、会計・IT・英語の3大スキルはレバレッジが利きやすいビジネススキルですが、就活でも有利に働きます。ただし、当たり前ですが、なぜこの資格を取得したのか、という質問には自然な形で受け答えができないといけません。上記は、第2新卒や中途でもかなり有効です。

5,飛び道具作戦(個性をアピール)

資格も学歴もなければ、あとは自分の意外性をアピールする一手です。上場企業の人材採用における共通課題の一つとして「人材の多様性の確保」があります。ダイバーシティ、とか言われますね。

優良企業であればあるほど、LGBT等も含め、多様な人材を揃えることと企業業績は正の相関があることに気づき始めています。

では、この多様性とは何か。

それは、ひとりひとりの個性の広がりです。個性というのは、突き詰めると他者との差異であり、そこに個性=価値の源泉があるわけです。

よって、ここをいやというほど詰めて、人事にアピールするのです。

具体的には、採用選考において、人がやらないことをやってみるということです。例えば、面接の場で、履歴書以外の書類を持参する学生は100人に1人以下です。エントリーシート以外に、自分が大学生活や課外活動で培ってきた技能をアピールできるドキュメントや画像、動画などをまとめて面接の場で提示できるようにしましょう。それだけで、確実に面接担当から覚えてもらえるようになり、次の面接へすすめる可能性が高まります。

その他、色々なアピール方法があると思いますが、是非いろいろ考えてみて、如何にリクルーターや面接担当の記憶に残るようにアピールするか、腐心してみてください。これも、新卒だけでなく中途でも相当使えます。

6,コネ入社

実はこれが最強。コネ入社が問題となるのは官公庁や自治体、公共性の高い一部の企業のみであり、大半の企業では、コネ入社なんて日常茶飯事です。というか、人事の本音では、コネでもなんでもいいから優秀な学生に来てほしい。頼むからいい人来て(笑)

僕が最初に入社した化学メーカーは、不人気すぎて女性事務職は全員取引先の社長の娘でした。顔入社ではないです(笑)そして、僕が今在籍している中堅Sierでも、社員紹介入社は新卒・中途を問わず、入社支度金を出すなど、非常に重視しています。

だから、何かのご縁で、親戚や両親から「お前、この◯◯という会社紹介できるけど、いってみるか」と紹介された会社が、行きたい会社なら、ためらわずにコネを使って入社しましょう。

コネ入社をすると、その事実は何故か色々なルートからもれてしまい、最初は同期の間で少し肩身の狭い思いをしますが、それは最初だけ。会社に入ってしまえば実力次第ですから、関係ありません。是非使えるコネがあるのであれば、それは大手を振って使えばいいでしょう。少なくとも人事や役員はコネで取ったことなんてすぐに忘れます。

7,中途選考で狙う方法

新卒でご縁がなければ、中途でリベンジする手も有力です。

一旦新卒では周辺の業種や、下位の下請けなどに入社して修行をしておいてから、実力をつけた後に満を持して転職する。僕の妻がそんな感じで、新卒の際は普通のA社に入り、中途で少しブランド力のあるB社に入ってから、超有力企業の現在のC社に入りました。おかげで年収は僕の2倍です(T_T) いわば、わらしべ長者的なキャリア構築に成功したのです。よって、新卒でダメだった場合は、中途で実力をつけてから門戸を叩くという方法が通用する業界は結構あります。

そして、就職せず夢を追う生き方もある

単純にあきらめたり、ニート、フリーターになれ、というわけではありません。就職する以外でも、必ず道はあります。思い切って、会社を起こしたり、夢にかけるのもいいと思います。

仮に、会社を起こして失敗したとします。でも、その時に身ひとつあれば、挽回が利く状況になってきているように感じられるのです。

これだけ少子高齢化が進行した現在、ある程度コネなしで普通に転職活動ができる年齢の限界点は、リーマン・ショック後は40代前半位まで上がってきています。自分もオッサンですが、ブースで話してるとオッサンばっかり来ます(笑)そして、普通に内定を取っていく。

20代、30代前半は夢を追って失敗しても、その凝縮した失敗経験を活かし、別の何かの業種で正社員になって安定的な立場でリセットして稼ぐ、という非常プランも戦略としてありえます。

また、有力アフィリエイターの付利意雷布亜さんがこんな優れたエントリを残してくれました。差別化を図り、ブログやソーシャルで戦略を立ててアピールすることで、いくらでも可能性は広がりうるということ。一括新卒採用で例え失敗したとしても、いくらでも敗者復活の道はあるんだ、ということが示唆されています。

まとめ

戦後、官民一体となって作り上げてきた日本的雇用慣行から派生した、新卒一括採用、及び学歴でのフィルタリングは、2017年度新卒採用も残念ながらまだまだしっかり機能しています。ただし、10年前や15年前と違う点は、女性・高齢者活用に代表される人材の多様化と少子高齢化進行のダブルパンチにより、その抜け穴が広がりつつあるということ。

必ずしも、新卒採用で難関企業に内定を取ることがゴール、というわけではありませんが、いくらでもやりようはあるんだよ、ということを、現役採用担当の目線から少し語ってみました。

それではまた。

かるび

 

1dayインターンシップの功罪について、現役採用担当が本音で考えてみた

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かるび(@karub_imalive)です。

’17新卒採用がいよいよ本格化しているので、連日人事・採用ネタになります。今日取り上げるのは、「1dayインターンシップ」についてです。我が社の企業ブログに載せられるわけもありませんので、場末の採用担当として、個人ブログで思いっきり書かせてもらいます(笑)

1dayインターンシップって何?

1dayインターンシップとは、いわゆる新卒学生を中心とした未就業者が、実際に就職する前に、業界体験や就業経験を模擬的に積むことができる「インターンシップ」の時間短縮・変形ヴァージョンのことだと思ってください。文字通り、1日で完結するので、インターンシップ、というよりは、どちらかというと企業の採用活動と一体化した就業体験イベントのようになってきています。

インターンシップがいよいよ根付いてきた感あり

僕が就職活動をした1999年当時でも、非常にマイナーでしたが、いわゆる「青田買い」としてのクローズドな形のインターンシップはすでに存在していました。例えば、先輩OBの紹介経由や、どこからか入手した早慶東大の名簿などを元に、一部大手企業が大学限定等の青田買いとセットになったインターンシップを実施することが多かったように思います。

しかし、ここ10年ほどで、状況はかなり変わりました。一部の感度の高い学生や有力大学だけの狭いイベントだったインターンシップも、産官学を挙げたプロモーションが奏功して、ここ最近は幅広く認知され、いよいよ大学3年製の年間イベントとして根付いてきているように感じます。

マイナビのお手盛り統計ではありますが、学生の半数がすでに何らかの形でインターンシップに参加してきており、僕の学生の頃とは隔世の感があります。

通常のインターンシップは結構ハード

僕の会社はいわゆる中堅どころのSierですが、システム受託開発の部隊も幸いにして社内に恒常的に開発体制を持てているため、何とかインターンシップを実施できる環境があります。

東京・大阪・名古屋に事業所があるのですが、3事業所合わせて夏の間に70名~80名は受け入れます。全10営業日の就業体験プログラムを学生の夏休み中に3回転させる、それはそれは受け入れ側の採用担当にはタフでハードな「インターンシップ夏の陣」が展開されています。

もちろん、受けてもらう学生側もそれなりに大変です。参加する学生の大半はプログラミングなんかやったこともありませんが、それでも、その10日間の間に、有無をいわさずプログラム言語を習得してもらいます。

そして、グループ学習で簡単なWebシステムを構築してもらい、それを仮想客にプレゼンする、というところまでを1日8時間取り組んでもらっています。中には、自主的に居残りなんかもして取り組んでいく学生なども結構いて(決して残業を強要してないですよ!)かなり学生にもタフな内容なのではないかと思います。

割と本格的な分、システム開発のエッセンス位は余すことなく伝えることが出来たので、毎回学生さんの満足度は高いのが、やっていてよかったなと思う点です。

インターンシップを実施する際の企業側のメリット

ところで、企業側のインターンシップ実施の最大の意義ってなんだかご存知ですか?

それは、ずばり、翌年度の新卒採用につなげることです。3年生の夏の間にインターンシップに参加した学生が、まるで鮭が遡上するかのように、4年生の春に戻ってきてくれて、「御社が第一志望です」と相思相愛の形で採用が決まる。大体、何もしなくても、企業としてまじめにインターンシップをやっていれば、毎年3%~5%位は入社してくれます。インターンシップを社内調整して毎年大規模に実施すると、かなりの工数と費用がかかりますが、それでも十分モトが取れる投資なんです。

まぁ、マイルドな青田買いができるということなんですね。

中にはあからさまに採用直結であることを学生に隠さない企業なんかも結構あって、インターンシップ終了後に、優秀な学生さん向けに「内定パスポート」的な約束手形を切る会社もあるようですね。(国産ERPパッケージ会社のW社とか結構有名よね?)

もちろん、厚労省の外郭団体なんかから回ってきた企業向けアンケートには、「採用直結」とか「青田買い」のために役立ててますなんて書きません。新卒一括採用が念頭にあるため、現状ハッキリ「青田買いをやってます」なんて書いたら、頭の固い役所には引かれてしまい、まずいわけです。

それで、各企業は本音を隠して、「産官学連携での社会貢献のために役立った。」とか、「今年の学生のリアルな就業意識をつかむことができた」なんてそれらしい文言で当たり障りなく回答するのですけどね。

つまり、これまでは、企業側もやや遠慮がちにインターンシップを採用に役立てていたというわけです。

しかし最近潮目が変わり、あからさまになってきた

しかし、そんな遠慮がちなインターンシップ経由の採用活動も、昨年度あたりから各企業側の余裕がなくなり、あからさまにガツガツ展開されるようになってきたのです。

その一番の理由は、安倍政権下での採用スキームの変更です。昨年度、安倍総理の圧力?を受けて、経団連は企業の新卒採用内定出し解禁時期を、それまでの4月から8月に強引に変更しました。

結果、これは単なる改悪だったわけですが(●`ε´●)、企業は例年よりも後ろだおしで、かつ短期決戦での採用活動を強いられることになりました。

ただし、学生や学校側は心配なので、いつもどおり2月、3月頃から動いているだろうと予測されました。企業側は、その間、直接の採用活動はできませんが、何かやっておかないと学生の心をつなぎとめることができません。そこで、最有力な対策として浮上したのが短期決戦でのインターンシップ・・・という名の採用活動でした。

大学3年時みたいに、1週間とか10日間とか学生を拘束することは出来ないけれど、2,3日、あるいは1日なら学生も気楽に来てくれる。ならば、ということで台頭してきたのが、「1dayインターンシップ」に代表される短期型インターンシップです。

1dayインターンシップは事実上の選考活動

1dayインターンシップでは、文字通り1日間で終わってしまうので、当然何か凄いことができるわけではありません。

ものづくりの会社なら、午前中に会社説明を行って、午後から工場見学をやって、おみやげを渡して終了、とか、IT系の会社なら午前中に説明会、午後には営業提案のシミュレーションゲームや、グループディスカッションなどでお茶を濁して終了、とかそんな感じです。

ハッキリ言って、もうインターンシップでもなんでもなく、単なる会社説明会、いや、もっと言うと学生の名簿集めであります。

学生側は、こんな1日きりの付け焼刃的なイベントで就業体験ができるのかというと、全く無理なわけです。せいぜい「面白かった~」的な前向きな感想が残ればいいところ。

でも、企業側は、必死です。イベントであってもしっかり各参加者の名簿リストを収集し、かつグループ活動をやらせた際のパフォーマンスも細かくチェックしているのです。事実上の1次選考のような感じですね。ここでおめがねにかなった学生を、後日のフォーマルな採用選考会に呼ぶのです。

しかし学生側もそこはよくわかっていて、インターンシップは常に青田買いと表裏の関係にあることは百も承知です。キャリア体験としての文脈で得られるものは薄そうであっても、意中の会社であれば必ず参加しにいくわけですね。

いわば、本音と建前はお互いわかってやっている茶番となりつつあるんですよね。

かくして、インターンシップ本来の産学連携教育の高邁な思想・目的は骨抜きにされた、日本ならではの独自発展したガラパゴス的就業体験イベントの最終形としてできあがったのが、1dayインターンシップだったのです。

しかし1dayインターンが採用構造を変える起爆剤になるかも?

今まで見てきたように、この1day型インターンシップですが、すでに本来の目的・意味としては換骨奪胎されてはいて、中身はスカスカなのです。が、そこは腐っても「インターンシップ」という名称はあるわけで、これが学生側にも、企業側にも通常一括採用とは別途「インターンシップ」と言う形を制度として根付かせる燃料にはなっているんですよね。

例えば、この記事にある通り、今年のインターンシップ実施率は過去最高となっており、大手も1dayに代表される短期型のインターンシップをガンガンやっています。ということは、インターンシップ経由の青田買い採用も過去最高になるはずなんです。

それは、すなわち横並びでの新卒一括採用慣行から、欧米型の通年採用へのゆるやかな、でも不可逆的な移行が、この17新卒採用からようやく始まったんじゃないかな、という予感を少し抱かせます。

日本独自で発展してきた新卒一括採用は、新卒者の失業率を一時的に押し下げるメリットもありましたが、近年はデメリットのほうが目立つようになってきていました。

できる人材も画一的に20万前後の「新卒賃金」で実力以下に賃金がダンピングされがちだったり、一度失敗したら特定企業には「新卒枠」としての入社チャンスはもう二度と無いなど。こういった硬直した採用構造が、企業活動の活性化にマイナスになってるのでは?という議論ですね。

これが、1dayを始めとした変形型インターンシップも含め、インターンシップ型採用と一括採用がしばらく並び立つ形に変わってきた印象があります。特に、東大や京大、早慶といった有力大学が秋季入学、秋季卒業を本格化させつつあることも、企業側でのインターンシップ経由の採用強化を後押しする効果が高そうです。

結語

もちろん、すぐには新卒一括採用文化はなくならないと思います。あと20年、30年は重厚長大産業や経団連系の大企業を中心に、一定数は残るでしょう。ただ、その一方で、従来の新卒枠以外のところから、通年での新卒採用枠ができてくるのであれば、やや遅きに失した感はありますが、良い方向に向かうのではないかなと思います。

その最初のドミノを倒すのが、チート的な1dayインターンシップに代表されるお手軽インターンシップの普及になりそうだ、、、っていうのがいかにも日本的で、奥ゆかしいなと思う今日この頃です。新卒の皆さん、今年もタフな就活戦線が始まりますが、是非がんばって下さいね。

それではまた。

かるび

マラソンは終わってしまうのか?~暗黒時代だからこそ、オリンピック代表には若手抜擢を!~

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かるび(@karub_imalive)です。

いよいよ夏のオリンピックも半年前と近づいてきて、男女ともマラソンの代表選考が佳境に入ってきました。そんな中、男子選考レース第2弾であり最大の山場だった東京マラソンが終わりました。今日はその感想と今後の展望について少し書いてみたいと思います。

東京マラソン2016は厳しい結果となった

結果は、日本人選手にとっては惨憺たる有様でした。
ちょっと簡単にレースを振り返ってみましょう。

レースは、序盤からケニア人・エチオピア人による「ケニエチ]軍団が第1集団を作ると、5キロ過ぎから、代表選考を視野に入れた日本人選手は牽制しあって追随しません。唯一ついていったのは旭化成の村山謙太のみ。

そのまま、日本人の集団は20キロすぎにはすでに先頭と2分差程度離されてしまいます。結果として、村山を除いた日本人選手全員が、トップのアフリカ勢とは一度も競り合うこともなく、敗れ去ることとなりました。

日本人トップは、8位に入ったヤクルトの高宮祐樹。

陸連からは、これまでの実績から格下選手と見られていた選手です。実業団の本命ランナーたちが総崩れになる中、マイペースでスイスイ走っていたらいつの間にか自己ベストが出て、日本人1位になった、そんな印象です。本人的には120点の出来だったと思いますが、代表選考を行う成績としてはタイムは平凡な2時感10分57秒でした。

気温が高めで気候コンディションがベストではなかったにせよ、東京コースは屈指の高速コースです。序盤は下りから入るし、アップダウンは35キロ付近の隅田川にかかる佃大橋だけしかありません。実際、コンディションも絶好だった2014年には日本人も4名が2時間10分を切っています。

であるのに、今回のレースは日本陸連がリオ派遣標準タイムとして設定した2時間6分30秒に届く選手がいなかったばかりか、一流ランナーの証でもある「サブテン」、2時間10分を切れた選手さえ1人もいなかったという惨状でした。

日本男子のマラソン界を簡単に振り返る

さて、今の30代以上の方はリアルタイムでテレビにかじりついて応援した経験もおありかと思いますが、かつては、マラソンが日本のお家芸としてもてはやされた時代もありました。

まだアフリカ勢が台頭していなかったこともあって、80年代~90年代中盤頃までは、毎シーズン誰かしらの日本人選手が世界中のマラソン界の話題の中心に上がっていたものです。80年代の瀬古利彦・中山竹通をはじめ、宗兄弟、谷口浩美、森下広一、そして90年代にも、やや知名度は落ちますが藤田敦史や佐藤敦之など、世界一線級のランナーがいました。そして、2001年には高岡寿成が2時間6分16秒の日本記録を打ち立てます

しかしその後、日本の男子マラソン界は世界との差を広げられる一方となっていきました。箱根駅伝や実業団駅伝レースの盛り上がりなどから、長期間で緻密な体調管理が必要なマラソンよりも、10キロ~20キロ程度の中距離が主戦場となる駅伝に選手のプライオリティが移ってしまったことも遠因かもしれません。

そして、とうとう2009年~2010年には年間を通して日本人で内外のマラソン公式大会で2時間10分を切った選手が、延べ1名だけという非常事態に。暗黒時代が訪れることになりました。アマチュアの裾野は確実に広がり、市民マラソンブームが起きる一方で、トップ選手の成績が振るわない不思議な状況となりました。

2011年~2013年頃は、少し持ち直して川内優輝や中本健太郎などが、コンスタントに2時間10分を切ったり、高速コースである東京マラソンでは2014年にサブテンを達成した実業団選手が4名出るなど、マラソン復活の手応えを感じかけていました。

再び日本マラソン男子は暗黒時代に入ったのか

しかし2014年。再び日本男子チームは暗転し始めます。2013年あたりの成功で手応えを感じた日本陸連は、これからはオールジャパンで強化だ!ということで、2014年4月に鳴り物入りで「ナショナルチーム」を結成して、9名の強化選手を選抜しました。

ここで上げ潮ムードに入るのかと思ったのですが、ここからどうも雲行きが怪しくなりました。実業団チームを中心に、第1期ナショナルチームに選抜された選手が、揃いもそろって大コケしてしまいます。

まず、メンバーの半数が故障中で、2014-2015シーズンの世界大会選考対象レースに一切エントリできませんでした。また、レースに参加できた選手もそろって全員凡走してしまいます。夏の強化合宿は一体何だったんだ。

川内優輝も一度はこのナショナルチームメンバーに選ばれますが、フォロー体制やコミュニケーション不足に由来する不信感から、2015年夏にメンバー組み換えを行った第2期発足を前に、同じく打診のあった佐野広明とともにメンバー入りを辞退します。

2015-2016シーズンもここまで低調

そして今期。今期のマラソン界は、なんといってもオリンピックの選考レースが話題の中心です。リオ選考レース第1弾は、2015年12月の福岡国際。瀬古利彦が世界へ羽ばたくきっかけとなった老舗国際レースです。当日はほぼベストコンディションで、良い記録も期待されました。

しかしフタを開けてみたら優勝はおろか、ナショナルチームから外され、一般参加で選考レースに臨んでいた佐々木悟が2時間8分台56秒で3位入賞できたことぐらい。佐々木自身2度めのサブテン達成となり、これが同時に自己新記録にもなりました。

その反面、ナショナルチームメンバーやメンバーを外れた川内は、2時間10分を切れずに凡走してしまいました。

そして東京マラソンも前述のとおり。実業団ランナーから見るべき記録を残した選手はいませんでした。残り選考レースは、今週末3月6日に行われるびわ湖毎日マラソンのみとなります。

陸連の選考も迷走中

正直、派遣標準タイムの2時間6分30秒に対して、ここまで誰ひとりとして達成できないどころか、影も踏めない状態が続いています。一応、福岡・東京・びわ湖の各選考レース上位3名の中から選抜するというルールにはなっていますが、今の状態だと正直な所誰を選んだら良いのかわからない状態ではあります。

陸連も選考基準は設けているものの、その想定は、あくまで好記録が多数出た場合の選抜のための基準であり、低レベルの中から抜擢するために作った基準ではないため、中の人はかなり悩ましい状況にはあるかと思われます。

明るい兆しは、学生初マラソン勢が頑張ったこと

そんな中、明るい兆しも出てきました。

タイムこそ2時間11分台以降だったのですが、今回のレースで松村、宇賀地、今井ら有力実業団選手が総崩れになる中、学生の初マラソン勢が日本人2位、3位、4位を占めたことは、快挙でした。

下田裕太選手(青山学院大学/2年生)

まず、日本人2位となった下田裕太(P)は、とうとう箱根駅伝以来、全国区にその香ばしい趣味がみつかってしまいました(笑)箱根駅伝にも出場した後、40キロ走を2回流しただけで本番に臨み、自分のペースで走り切った上、ゴールした後もまだ少し余力が見えるなど、底知れない可能性を感じます。

一色恭志選手(青山学院大学/3年生)

同3位の一色恭志もゴール後「35キロ過ぎからは死ぬかと思いました」と話したとおり最後はバテましたが、駅伝で見せるクールな表情そのままに初マラソンを2時間11分台でまとめきりました。いつも上位で堅実にハイレベルな走りを見せる駅伝時の走りそのままの落ち着きは、初マラソンとは思えませんでした。あとは、競った時勝ちきる力がつけば鬼に金棒です。

服部勇馬選手(東洋大学/4年生)

同4位の服部勇馬は今年の東洋大学キャプテン。35キロを過ぎてからの5キロ15分を切る猛スパートには鳥肌モノでした。これを初マラソンの学生がやるか・・・とハラハラしながら見ていましたが、40キロすぎに仕掛けすぎた反動で足が止まりました。仕方ない。攻めた結果です。最後は上述の青学勢2名に抜かれていしまいましたが、ガッツあふれる非常に良い走りだったと思います。

また、その他報道こそされませんでしたが、青学勢の橋本峻選手や渡辺利典選手、城西大の菊地聡之ら、初挑戦で2時間15分前後で走り切り、学生の勢いを感じることができました。

タイムが出ないなら将来性での選考をしよう!

あくまで3月6日のびわ湖が終わらないとわかりませんが、きっとまた今回もマラソン代表選考は揉めると思います。過去は、ハイレベルな中で選びきれずに悩ましい結果になることが多かったですが、今回は「誰も選べなくて納得感のある選考ができない」という特殊な状況になりつつあります。

今回、びわ湖毎日マラソンには実業団の有力選手が大挙して登録しているので、誰かしらは納得の行くタイムで走ってくれるとは思います。いやそう思いたい。

でも、もしそれでも選考に悩むようなら、思い切ってリオは大舞台の経験の場と割り切り、東京日本人2位の下田裕太か、東京日本人3位の一色恭志を出しておくべきだと思います。

下田Pも、レース後翌日に、なんと寮の自室でインタビューされた時にしっかりとアピールしていました。なんだその後ろのシャツは・・・

曰く、「2枠にするくらいなら僕にください!」と。

こういう時に臆さずにアピールできる度胸は青学の原監督イズムが浸透しているなぁと思います。つまらない陸連のメンツで選手の出場枠を減らすのではなく、是非若手の将来性に1枠投資してあげてください。

まとめ

全ては週末のびわ湖毎日マラソンの結果次第だと思いますが、これもダメなら今期は3季ぶりに2時間10分を切った選手が佐々木悟1名となり、2009~2010年シーズン以来の厳しい暗黒時代の再来になるかと思います。

一方で目を転じてみると、アマチュアランナーによる市民マラソン参加者数はうなぎのぼりとなっており、勝負と関係ないところでは、健康ブームと合わせてかつてない盛り上がりを見せています。また、学生の中長距離ランナーの層も箱根駅伝のスピード化により、レベルアップ著しい状況です。周りの追い風は吹いているんですよね。

東京オリンピックまであと4年。今回の東京マラソンで好走した選手たちがちょうど油の乗り切る2020年には、ぜひともマラソンお家芸復活!となるところをまた観たいものですね。

それではまた。

かるび

 

現代アートド素人がガラクタの山に圧倒された!村上隆のスーパーフラット・コレクション(横浜美術館)

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かるび(@karub_imalive)です。

今日は、久々に現代アートの展示会に行ってきた感想を書いてみたいと思います。

僕は、現代アートには割と苦手意識があって、普段どうしても現代アートの展示会には関心が向きません。事前予備知識なしに見ても、大方意味不明ですし。

よって、今までも、僕と現代アートとの接点は偶然の出会いに限られてきました。観光・旅行先などで雨が降ったりして、アウトドアで活動できない時の時間つぶしなどで、たまたま現地にあった美術館に入った時に、なんとなく目に入ってくる。みたいな。箱根のポーラ美術館、彫刻の森美術館、裏磐梯の諸橋近代美術館とかは何度か行きました。雨宿り目的で。

で、展示会を見終わると、「もう、ダリとかマティスとかピカソとか意味わからん!」と毒づいて終わるという、そんな感じ。

でも、今年は1年間、美術展には行きまくる!と個人的に年次目標を立てたこともあり、何とか現代アートにも挑戦したいな、と思うようになりました。

ちょうど、横浜と六本木で村上隆の展示会が同時開催されているという状況で、村上自身が「日本で展示会をやるのはこれでしばらく打ち止めにする」と宣言しているし、日本で見られるうちに行こうかな~、でもどうせ行ってもイミフだしどうしよっかな~と逡巡する毎日でした。

そんな中、巡回していたブログでいい感じのエントリをみつけちゃいました。
一つは、最近美術展の感想を参考に拝読させていただいている、在華坊さんのこの記事です。

休日は、いくつもマイナー・メジャーを問わず美術展をさらっとハシゴして年パスも駆使する在華坊さんの記事は、いつもながら読み応えがありました。

そしてもう一つは、はてブでもバズってた、浅田彰の熱の入った10,000字ツンデレレビューです。長いって!自分も人のこと言えないけどな!

http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160129/

この2つの記事を見て、うん、まぁわかんなくても、これをきっかけに、今後こそ正面から現代アートに向き合ってみるか!と、気持ちを新たに家族3人で首都高を飛ばして行ってきたのです。(横浜美術館は地下駐車場が129台あるんです)

しかし、村上隆の展示会に6歳の子供を連れて行くという暴挙。子供は甘くなかったです(笑)
危惧していたことですが、「パパぁ~、はやくかえろうよぉ~」と何度もせかされ、落ち着いて見てられません。その上、目の前には意味のわからないガラクタが。半分頭をやられながら朦朧として回ったので、結論としては、全然理解できませんでした。

それでも、家に帰ってから必死にネットとかで復習して、何とか全体像が見え始めたので、以下、かなり無理やりですが現代アート歴3日のド素人が、短めに感想を書いてみたいと思います。

村上隆って誰?

村上春樹は知ってるけど、村上隆って誰よ?って人結構いません?自分はちょっと前までそうでした。村上龍の誤植だと思ってた時もあります。

村上隆 - Wikipedia

村上隆は、世界でも評価を受けている日本で最も成功した現代アートの巨匠です。主に欧米の美術展を主戦場に、欧米的感覚の作風をベースとして日本的な「スーパーフラット」(超平面的)画風やポップカルチャーを取り込んだ、独自のセンスの作品群が欧米で大ヒット。

特に数年前、過激な「My lonesome cowboy」が1600万ドルで売れたり、ルイ・ヴィトンとのデザインコラボで商業的な成功を収めるなど、ニュースにもなったほどでした。

村上隆が成功した要因は、いわゆる芸術家として優れているだけでなく、コレクターや経営者、教育者として経営センス・営業センスにも優れていたこともあると言われています。

ネット記事で読みましたが、美術家の資産世界ランクでも、推定資産100億円とされ、裕福な芸術家ランキングで世界第6位に入るほど大成功していますね。メジャーリーガーも真っ青な稼ぎっぷりであります。

そして、村上氏の現在の風貌はこんな感じ。最近完全版が完成した「五百羅漢図」をバックに撮影された近影です。

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(引用元:www.roppongihills.com)

一時期よりさらにむさ苦しくなったような。うしろの五百羅漢に風貌が似てきたような気がします・・・

大成功して手に入った大金で、惜しげも無く芸術品を買い漁った

さて、芸術活動では大成功して大金を手にした村上ですが、そのお金を何に使ったかというと、なんと惜しげも無く美術・工芸品の購入費用にあてたのです。

村上にとっては、まず芸術とは何か?」という根源的な問いがありました。それに対して、美術家として、そして画商として、また時には経営者として、いろんなスタンス・角度から「芸術」に関わろうとする村上の姿勢は、彼自身の言葉を借りると「何でも体験、体感してみないと気がすまない頭の悪さ」なんだそうです。

愚直に何でもやってみることで貪欲に「芸術」を吸収しようとする姿勢が、ここ数年の村上の怒涛のコレクション形成につながりました。

芸術作品を自分で創りだすだけじゃなくて、他人や先人の作品を鑑賞して自分の中に取り込む。その最たる形として、単に展示会で見て回るのではなく、自分で「買い手」として作品と対峙することで、作品との真剣勝負ができるという思いがありました。

まぁ、僕達も学生でカネがない頃に、レコード屋でなけなしのお小遣いで、どれ買おうか真剣にレジに行く前に悩みましたよね。それと似たような感じかと。

そして、そのコレクションは、近年高騰する現代アートを買い集めるにはあまりに財源が乏しくなった公共・中小の美術館では到達できない膨大なものになっており、ここにおいて、「近年の村上の作品群は退屈で評価できない!」とした冒頭の浅田彰も、「村上隆個人のコレクションはいいぞ」と高評価なのであります。

そこで、村上隆個展じゃなくてコレクション展につながった

で、せっかく集めた貴重な作品なんだから、皆見てってよ!ってことで、村上隆の承認要求が大爆発した村上隆が懇意にしていた横浜美術館のキュレーターと企画したのが今回のコレクション展。

主に並んでいたのは、まずは現代アート群。村上隆が特に影響を受け、関わってきた現代アート作品群が時系列に機会的に並べられていました。これが、もうガラクタにしか見えないものが沢山┐(´д`)┌ヤレヤレ

こんな切り絵みたいな奴とか、、、

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どぎつい色の金属の塊とか・・・

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中でも一番ヘンで、一番カネがかかってそうなのは美術館に入場してすぐのところに置いてあったガラクタ廃戦闘機の残骸で作られたアンゼルム・キーファー作「メルカバ」でした。これ、運んだり保管するだけでもめちゃくちゃカネがかかるんでは・・・?

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その他ハイコンテキストな現代アート群も一見無秩序に置いてあり、正直どれを見ても事前に勉強しておかないと「一体これは何なのか?」不明なものばかり。

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来たからには、必死に作品と向き合い、理解しようと努めましたが、まったく意味がわかりませんでした。ですが、結構お客さんは理解してそうな人が多くて、これまた凹まされます。

そして、次のコーナーは村上隆の「頭の中」を表現したという部屋。

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土器や東洋的な置物群、よくわからない人形など、一種夢のなかでまどろんでいるかのような混沌とした空間がありました。遠くから見ると、ゴミ屋敷的な雰囲気もあり。ミニマリストの皆さんはこれを見てどう思うんだろうなぁと思って見てました。

あぁ、まぁでも人間の夢の中ってだいたいこんな猥雑でぐちゃぐちゃした感じだよね、って無理やり理解したことにして次に進みました。

そして、最後に見たのはもう少しわかりやすい現代アート以外の日本美術品のコーナー。正直この部屋に入って、少し落ち着きました(^^)

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北大路魯山人のお皿とかの食器類とか、縄文式土器や弥生式土器、それからツボとか江戸時代の白隠禅師の掛け軸とか。この辺はまぁ唯一安心して見てられたというか。著名な作り手のものばかりで、お金かかってるな~という印象でした。

まとめ

今回、現代アートに対しては何の予備知識もなく、村上隆のコレクション展に臨んでわかったのですが、いきなり行って何もわからなかったのって、ある意味当たり前だったのだなと。

現代アートって、目の前にある意味不明な物体そのものの中に「美しいもの」を見出すんじゃなくて、その作品が成立した社会的事情、西洋美術史の中での立ち位置、作者の思想など、そういった文脈や背景知識を頭に入れた上で、作品を通して「暗喩」されている作者の主張を読み取るという作業なんですよね。印象派や写実主義的な19世紀までの芸術作品に対する鑑賞の仕方である、「あなたの見たいように見てください!」とは決定的に違うようだ、ということに気付かされました。

という事に気づいてから、冒頭で紹介した浅田彰の長文レビューを再度読みこむと、まぁ10,000字の大半は確かに村上隆を取り巻く各種コンテキストを踏まえた批評になっていて納得。カウボーイの精子のほとばしる勢いが凄い、ちゃんと肛門がついててリアリティがあって凄いとか、そんなことは一切書いてない訳で。

ということで、個人的には今回のコレクション展で、どう現代アートに挑戦していけばいいのか少し見えたのでよしとしようかな、と思います。 
それではまた。
かるび

 


【美術展】カラヴァッジョ展(国立西洋美術館)は最高でした

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かるび(@karub_imalive)です。

3月1日より、この上半期で一番楽しみにしていた国立西洋美術館でのカラヴァッジョ展が開かれています。以前、このエントリでも「超期待!」と書いていたのですが、結論からいうと、やっぱり期待を裏切らない出来でした。

結論はシンプルです。とにかく「超おすすめなので見てね!」ということなんです。やばい。ほんと、これは見とかないと後悔します。

何が凄いかって、展示会の充実ぶりです。カラヴァッジョとそのフォロワーたちの作品で、あわせて50数点の佳作群に、ほとんど捨て作品はありません。捨て曲なしの「神盤」みたいなものです。どの絵も最高。中でも、カラヴァッジョ自身の作品11点はずば抜けて素晴らしかった。

今年は、日伊修好通商条約締結後150周年ということで、年始からボッティチェリ展ダ・ヴィンチ展など、イタリア絵画の大攻勢が続いています。個人的な印象では、その2つの先行する展示会よりも良かった。実際、現場で生の絵画に対面した時に受けた感銘・感動は大きかったです。美術展に特に興味がない人でもお薦め。日頃のストレス解消目的とか、デートとかのネタとかでも何でもいいので、是非見に行って欲しい、そんな最高の展示会でした。

・・・前置きが長くなりました。ここから、少し詳細な感想に入ります。

1,カラヴァッジョ展の混雑度について

僕が行ったのは、3月5日(金)の夜18時過ぎ。上手く仕事の段取りを組んで、客先から直帰にしてそのまま上野の国立西洋美術館へ。到着したら、あたりはだいぶ暗くなっていました。

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わざわざ親切に「今日は午後8時までやってるよ」という立て看板が。昔、ここで何年か前にフェルメール展をやった時は、平日金曜日夜に入場制限をかけたくらい混雑していたので、ある程度覚悟して臨んだのですが、なんかあっさりと入れました。

それでも会館の中は、それなりの混雑度。去年、モネ展の最終日に行った時ほどではなかったですが、著名な絵の前には人だかりがそれなりにできる、「中程度」の混雑でした。めちゃくちゃ快適に見れたわけではありませんが、いるだけで消耗する満員電車クラスの混雑ではありません。会期が6月上旬までと比較的長いこともあるのかもしれませんね。

ただし、平日夜でこれなので、土日の午後の時間帯はかなり混雑が予想されます。土日は思い切って早起きして、9時30分ジャストに入館するのがおすすめです。

2,音声ガイドは北村一輝でした

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僕は、音声ガイドがあれば、まず100%間違いなく借りるようにしています。ストーリーや時代背景と合わせて絵画を楽しむことで、理解に立体感や深みが増すからです。また、ブログで紹介しやすいネタも音声でだけ話してくれることもあるので、手放せない。スポーツ中継などの副音声、みたいなイメージでしょうか。

ガイド役は、俳優の北村一輝でした。調べたら、もう46歳なんですねぇ。落ち着いた渋い語り口が違和感なく、作品世界とよくマッチしていました。ぜひ借りてみてください。

3,カラヴァッジョとはどんな芸術家だったのか

カラヴァッジョの本名は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョといいます。1571年生まれ、1610年死去、と短命でした。16世紀末~17世紀初頭に活躍した、イタリアを代表する大美術家です。ちょうど、今東京都美術館で開催中のボッティチェリや、ダ・ヴィンチと言ったルネサンス期の美術家よりも50年~100年後位に出た人ですね。

カラヴァッジョは、日本ではそこまで有名ではないかもしれません。というか、明らかにマイナーだと思います。今回、実は妻にも一緒に行こうよ、ってことで声をかけていたんですが、「カラヴァッジョ?誰それ、私いいや~。ボッティチェリとフェルメールはいく~」ってことで、あっさり断られました。

そんなにマイナーなのか?と思って、試しにGoogleのキーワードプランナーで月間検索数を、他の有名な画家名と比較して調べてみると・・・

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はい、明らかに桁が違いますね。あからさまに市井ではマイナーキャラなわけです。

それもそのはず、実はカラヴァッジョは、没後17世紀~20世紀中盤までは、本国イタリアでさえも完全に忘れ去られた存在だったのです。潮目が変わったのは、1951年、ミラノ王宮の大規模展覧会で出品された時でした。ここで、およそ3世紀ぶりにその天才性が再発見され、そこから一気にイタリアのルネサンス~バロック時代にかけての最重要芸術家として位置づけられるようになっていきました。

以来、本国や欧米では人気沸騰したのですが、日本での人気は今ひとつなままでした。ただし、今回の大規模展示会で、日本での地位・評価もだいぶ変わってくるのではないかと思います。それほど、中身が素晴らしすぎました。

4,殺人を犯してイタリア中を逃亡した半生だった

展示会でも、カラヴァッジョの肖像画が紹介されてますが、まぁ割と悪そうな人相をしております。いかにも少し気難しく喧嘩っ早い感じかな。

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展示会でも、ローマ市内の古文書がいくつか残っていて、銃刀の不法所持記録だったり、酒飲んでケンカをして暴れた時の調書だったり、喧嘩した時の裁判だったりと3つくらいそんなアホな記録が展示されていました。(そんな古文書が普通に残ってるのが凄いですが・・・)恐らく、割と気が短く、粗暴な一面があったのだろうと思います。Wikipediaにもこうあります。

カラヴァッジョの暮らしは「二週間を絵画制作に費やすと、その後1か月か2か月のあいだ召使を引きつれて剣を腰に下げながら町を練り歩いた。舞踏会場や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかった。

やはり、面倒くさいやつだったらしい(笑)

そして、彼がローマで活動していた時、ある時に、いざこざからとうとう人を殺してしまい、指名手配されてしまいます。そしてローマを出て、以降流浪の旅に出ます。1710年に亡くなるまで、ナポリやシチリア、マルタ島などを転々としながら、その逃亡生活の間に、今日評価されている傑作群を生み出していくことになりました。天才っていうのは、皆どこかしらこういう狂気や闇を抱えているんでしょうね。

5,カラヴァッジョの作風の特徴

カラヴァッジョの生きた17世紀でも、芸術家は相変わらず貴族やパトロン達の庇護、タニマチ的な後見の下で多かれ少なかれ活動していました。彼も、多分タニマチがいたからこそ強気で喧嘩に明け暮れた私生活が送れたのでしょう。でなければ、あっという間にチンピラに絡まれてもっと早く消されていたかも。

それでも、ルネサンス期までの仰々しい宗教絵画だけでなく、果物などを描いた静物画や人々の日常風景をリアルに描いた風俗画など、この時期の画家の取り扱うジャンルは確実に広がっていきました。

今回のカラヴァッジョ展での出展だと、下記の「バッカス」や、

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果物籠を持つ少年

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これらは、本当に美しい静物画でした。
とにかく現場で見て欲しいです!

そして、カラヴァッジョの得意としたのは「光」の使い方です。従来の絵画よりも、よりリアルにスポットライトのような明確な方向性を持つ光を用いました。そして、光と影の対比により、絵画空間によりリアルな3次元空間を創りだします。背景は極力シンプルに暗く抑え、その分暗闇の中に浮かび上がる人物や静物の繊細な表情を引き出すその独特な作風は、当世随一の腕前であり、後世のレンブラントらに確実に影響を与えています。

下記は、そんな「光」を最大限巧妙に操って描かれた代表作「エマオの晩餐」。ある農家に宿泊した見知らぬ旅人が、実は磔にされ、その後復活したイエスであることに人々が驚きの表情を見せる場面を切り取って描いた絵画です。漆黒の闇の中、斜めから効果的に光を当てた構図は、まるで写真みたいですね。

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6,フォロワーさんたちもハイレベル!

さて、私生活はハチャメチャなカラヴァッジョでしたが、腕前は当代随一のスーパースターだったようです。そして、彼の存命中~没後数十年にわたり、「カラヴァジェスキ」と言われるフォロワー群を大量に生み出しました。

驚いたのは、その「カラヴァジェスキ」達のレベルも非常に高く、粒ぞろいであったことです。ルネサンス期などの有名な絵師たち、例えばダヴィンチ、ボッティチェリなどのフォロワーや弟子達は、一部を除きかなりレベルが落ちます。有り体に言うと、まぁ下手くそです(笑)今、ちょうど東京江戸博物館で開催されているダ・ヴィンチ展に行けば分かります(笑)

それが、カラヴァジェスキ達、例えば展示会で紹介されていたバルトロメオ・カヴァロッツィ、シモン・ヴーエ、スペインのジュゼペ・デ・リベーラ、オランダのヘリット・ファン・ホントホルスト、オラツィオ・ジェンティレスキなどは、カラヴァッジョにこそ少し劣るものの、50年~100年前のルネサンス期の画家達よりはるかに高い写実的技量を持っていました。まぁこれも行けば分かります!

中でも一押しで気に入ったのは、このオラツィオ・ジェンティレスキ「スピネットを弾く聖カエキリア」。カトリック教徒の間では有名な、古代ローマ時代に殉教した聖人だそうです。

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これも、ネット上のJpeg画像ではいまいち良さが伝わらないんですよね。何度も言いますが、是非展示会に足を運んで見てきて欲しいと思います!

7,世界初公開の「法悦のマグダラのマリア」

さて、最後に紹介するのは、2014年にカラヴァッジョの真作と認定され、今回が展示会世界初公開となる「法悦のマグダラのマリア」

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よく見ると白目を剥いてたりして、何か怪しい薬がガンギマリしてそうなそんな表情なのですが、なにせ「法悦」(Ecstasy)ですからね。ただ、この表情は、実際に描いて表現しようとするとものすごく繊細なタッチや技量が必要なんだろうな、というのは素人でもよくわかりました。色合いのトーンなどもアセ気味で、鬼気迫るものがありました。

実際、この絵は逃亡生活中、1610年に不慮の死を迎えたその時まで、カラヴァッジョが肌身離さずに置いていた2つの作品のうちの一つです。近年まで行方がわからなくなっていましたが、個人のコレクターが所持していたものを鑑定したところ、カラヴァッジョ本人の真筆として認定されたものです。

8,まとめ

色々長くなりました。でも言いたいのは冒頭でも書いたとおり、まずは是非会場に足を運んでぜひ見てきてほしい、ということです。東京でしかやってないので、遠方の方にはキツイと思います。でも遠征しても見るべき展示会だと思います。これだけの展示会がわずか1,500円だかそこそこで見れるのって本当に凄いことです。興味がある方は是非!

それではまた。
かるび

PS 
そういえば、他にも今期こんな西洋美術展に行ってきました。まだ会期中の物を貼っておきますね。 

それと、近代西洋美術じゃないけど、日本の現代アートの巨匠「村上隆」の展示会も3月末までやっていますので、こちらもお薦め。

資格取得について考える~社会人生活17年間で最強の資格は日商簿記2級でした。

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かるび(@karub_imalive)です。

一部の読者さんにはお知りおき頂いているのですが、この春に一旦17年間続いた社会人生活を小休止させて、5月から1年間のお休みを自主的に取ることにしています。

そこで、今日は自分自身の社会人生活で、一番役に立った「資格」について考えてみたいと思います。

自分自身、マニアックで何にでものめり込みやすい性格なのか、「覚えこんで詰め込む」いわゆる受験勉強や資格勉強が苦にならないタイプです。これまで、割と資格試験には気軽に挑戦してきました。取得後にどう役立てるかよりも、とりあえず面白そうだし、ヒマだから取っておくか、っていう感じで。

結果としては、こんなに資格を受けなくてもよかったかな、と。もう少し学生時代に勉強しなかった哲学とか社会学、西洋思想みたいな人文科学系や社会科学系のリベラルアーツぽい勉強をじっくりやっときゃよかったな、とは思うものの、受け散らかした資格試験のうち、それなりに役に立った資格もありました。

よって、社会人生活に一旦区切リを付ける前に少しブログにまとめておいてどなたかの役に立てられればと思った次第です。

それでは、いってみましょう。

これまで受けてきた資格群について

17年間も仕事をしていれば、時には会社業務の要請で、時には自分自身の業務や趣味に関連して、色々と資格に挑戦する機会が発生します。

僕はこれまで、会社的には2社(製造業大手、Sier中堅)、職種的には4つ経験してきました(経理、SE、営業、採用)。この中で受験してきた資格は以下の通りです。

★17年間で受けてきた資格一覧

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こうやって見てみると、ちりも積もれば山というか、戦略もなくいろんな資格を受け散らかしてきたなぁという感じ。どれも全く役に立たないわけじゃなかったけど、いわゆる資格試験ビジネス、協会ビジネスにハマった感のある資格もありました。

あるいは、厚労省の「ジョブカード・キャリアコンサルタント」など、労務行政と利権ビジネスの中で誰もが不毛だと考えている中、仕方なく会社業務として受けさせられたりしたものもあります。

役に立つ資格とは何か

こうやって見てくると、役に立つ資格っていうのは、以下の3つの条件を満たすものなのかなと思います。

  • 就職・転職活動に役立つ
  • 取得したステータスや知識が仕事や生活で幅広く応用できる
  • 一度取得したら陳腐化せず、長期間使える

就職・転職活動に役立つのはもちろん、かつその後の仕事や生活でも幅広く汎用的に応用できる。そして陳腐化が遅くて、一度取得したら長期間使える、そんな条件を満たす資格が最強だと思います。

上記の観点から、これまで受けてきた資格の中から、いくつかは一生ものと思えるような資格もありましたので、個別にピックアップしてみたいと思います。

役に立った資格①:日商簿記2級

地味なんですが、実は簿記の知識は一番役に立ちましたし、一生ものだと思っています。まず、仕事での応用範囲がメチャ広い。

1社目の製造業で経理をやっていた時に、仕事の傍ら上司に薦められて受験しました。部署全員が日商簿記2級以上を持っていたためです。商業簿記部分は仕事内容がそのまま出題されましたが、体系的に学べたのが大きかった。取得後は、会計ソフトを使って子会社数社の経理全般を苦もなく回せるようになりました。

また、原価計算、工業簿記も、2社目のSierでシステム開発を行う際、案件見積で活用する機会が増えました。意外に棚卸の概念って、きちんと学ばないととっつきにくいんですよね。

そして、業務系システム開発で企業内の基幹業務系のプロジェクトなら、まず設計段階で会計知識が必須になりますが、意外に会計知識があるSEって少ないです。何度も別プロジェクトから呼ばれて、ひっぱりだこになりました。

2社目でSEを引退して、営業~経営側業務に回った際にも、月次決算、経営分析、予算作成などで遺憾なく使えました。それから、B/S、P/Lが苦もなく読めるので、キャリア後期で、中小企業のM&Aのお手伝いや、経理の人と連携してデューデリジェンス等をお手伝いする際でも2級レベルの知識があれば何とか足りました。

また、私生活などでも、もう今はやっていませんが、株を買ったりする際の企業分析などもやりやすくなりますね。

そして、何よりも一番嬉しいのはそのコスパの高さ。集中的に勉強すれば、2ヶ月間程度で簿記2級レベルには到達します。短期間で習得可能な割に、応用範囲は広く、しかも枯れた技術・知識なので陳腐化しないのです。僕が日商簿記2級を取得してからもう15年経ちますが、その間に簿記の基本的な概念は変わりませんでした。

自分がSEになる前に必死に覚えたVisual Basic 6.0やPerlといったプログラム言語がすでに現場で使わないものになってしまったことに比べると抜群の安定感です。

役に立った資格②:TOEIC

TOEICへチャレンジしたきっかけは、2社目のSierに未経験者として入った時、ゲタを履かされて「英語ができる」エンジニアとして大手電機メーカーの国際的なプロジェクトに派遣されたことでした。世界中のプロジェクトメンバーと英文メールでやり取りしたり、TV会議システムで英語で会話をしたりする必要性に迫られ、1年ほどビジネス英語を身につけるために割と必死に勉強しました。

結果、まぁまぁのスコアまで到達しましたが、どうも英語は、使わなくなると忘れていくので、コスパは悪いです。日本在住で、普段英語を話さなくなれば、だんだん忘れていきます。また、英語は中学生から膨大な時間をかけています。習得するのに膨大な時間が必要なんですよね。「聞き流すだけで3ヶ月でTOEIC900点」とかマジでありえない(笑)

でも、これがきっかけで、英語のブログとかも読むのが苦にはならなくなったので、仕事でも私生活でも自分の世界が一気に広がった感はありました。苦労した分、見返りはあります。

役に立った資格③:キャリアカウンセラー(CDA)

これは2社目で採用業務を行っていた際に挑戦しました。結局2次試験で落ちて、嫌気がさして2回目はチャレンジしなかったのですが、ここで得たコミュニケーションの技法は一生ものになりました。

人とのコミュニケーションにおいて、何よりも大切なのは相手の話を聞くこと。世の中には自分の話を聞いて欲しい人がたくさんいます。でもどうやったら相手の話を効果的に聴けるのか。

簡単なのですが、体系的に学ばないとなかなか気づかない「傾聴」技法を始め、カウンセラーとしての基本的なスキル演習ができたことで、その後営業職・採用職として大きくコミュニケーションの質を高めることができたのは一生ものの成果となりました。

これを取得してから、商談では雑談ばっかりになりましたし(笑)でも仕事は取れるという(笑)

また、日常生活においても応用範囲は無限にあります。何より敵を作らないのですよね。話を聞くだけでみんな味方だと思ってくれる(笑)

お金は30万程かかり、資格という形で結実しなかったけれど、無形の財産としてはまさに「プライスレス」な自分へのギフトになりました。

英語・会計・ITの3大スキルについて

よく自己啓発の書籍などでは、「英語・会計・ITの3大スキル」をまんべんなく伸ばして成功しよう、って言われますが、これはある程度真実だと思います。色んな統計がありますが、これら3つのスキルレベルは、ある程度年収や社会的地位とゆるい相関があります。

17年間の社会人経験では、目の前の必要性に迫られて一つ一つ取得していったにすぎないのですが、後から振り返ると、この3分野のうち、英語と会計については資格取得がスキルの効率的な獲得手段になっていたんだなと実感しました。TOEICと日商簿記で英語と会計が30歳までに得意分野になったのは本当に仕事に役立ちました。

資格取得で必要な知識やスキルセットは、いわゆる現場の様々な実務からエッセンスや考え方を体系的・最大公約数的に抽出した理論部分です。これらを、試験勉強という形で短期間に詰め込むことで、効率的に勉強し、習得できることはやはりスキル向上の近道になっている部分は大きいと思います。

ゲーム感覚で楽しくやろう

また、後で振り返ると、意外にSJC-P(Javaの民間試験、基礎的なJavaの知識を問われる)みたいな簡単な資格でも取得できなかったり、かと思えば膨大な勉強量が必要とされた社会保険労務士でも1発合格できたりと、色々ありました。この合格/不合格を分けた分水嶺は、「やってみて面白かった」かどうかだったのかな、と思います。

例えば、社労士の試験は、基本テキストでも1000ページ以上あるなど、1年がかりの試験勉強を必要とされ、大変でしたが、たまたまTACの通信講座の先生が面白かったりとか、楽しく最後まで取り組めたのがよかった。その反面、Javaの試験勉強はどうしても「生きた知識」に思えず、つまらなく感じました。今振り返ると簡単な資格でしたが、どうしても勉強する気が起きず、試験合格につながらなかったのです。

単純な結論ですが、資格試験はやっぱり取り組んでみて楽しかったかどうか、につきるんじゃないでしょうか。

まとめ

こうやって俯瞰してみてみると、自分の社会人前半戦では、自分自身のキャリア構築に結構役に立ってくれました。さすがに40歳になり、人生も折り返し点まできましたので、もう今後は資格試験は趣味で英語を受けるか位しかやらないと思いますが、節目ということで、少しまとめてブログに書き残してみました。皆さんも是非楽しく、役に立つ資格に挑戦して頂ければと思います。

それではまた。
かるび

 

4000記事ほどブックマークして達した結論→「もっと本読まなきゃな。」

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かるび(@karub_imalive)です。

短めのエントリです。

去年の9月末に、「はてなブログ」でブログ開設してから、それと同時に「はてなブックマーク」を本格的に使い始めて半年が経ちました。

もともとネット記事やブログを読むのが好きだったこと(まぁ要するにネットジャンキーに近い)、ブログシステムと深く連携して自然に使わされる仕組みになっていたことも手伝い、それから約5ヶ月半、170日間ほぼ毎日欠かさずこの「はてなブックマーク」を活用して、いろいろな記事をブックマークしてきました。今、ちょうど4300記事くらい。ヒマでしょ?(笑)

そこでだんだんと感じてきたのが、ブログやネット記事の表現手段やコミュニケーション手段としての特性、というか限界性です。

ひとことで言うと、ブログをはじめとするネット記事は、一つ一つの作りがどうしても内容的に「浅く」なってしまうのですよね。勉強にならないわけじゃないんです。ただ、何かを学習するための媒体としては効率が悪いかな、と思います。「ブログの記事なんて暇つぶしに読むものだよ」なんてよく言われますが、まぁある程度はそうなんだなと。

NAVERまとめ的なキュレーション記事やライフハック系によくある「何とかを何とかするためのたった10の方法」等々も、情報を取り出したり、まっさらな状態から情報を得るための入り口としては有用なんだけど、それ以上の深い分析や知識を得ようと思うとやはり無理があります。

また、網羅的、体系的なディープな分析記事に出会えることも少ないように感じます。ある分野の知識やスキルを学ぼうと思うと、大量の記事をGoogle検索やSNS上で検索して、それを自分の頭のなかで繋ぎあわせて立体化していく作業が不可欠なわけです。これは結構時間食うし、しんどい。

ただで情報を得て、更に学びや気づきを得ようとするならば、ネット巡回位は時間をかけなさいよ、っていうことなんでしょうね。

じゃあなんでブロクを始めとするネット記事には限界があるのか?これは、ざっくり2つ理由があると思うんです。

1つは、ブログは基本無償提供されるものであり、日記や雑記の延長線上にあるものだから。例えば専業のライターさんだったり、文筆家、論壇で活躍する先生方であったりしても、モノ書きとしてのちゃんとした作品はブログではなく、有料の紙媒体や学会の論文等で別途しっかり残しているのですよね。

で、ブログには、そのための下書きというか、断片的な着想レベルや、本人の思いつきを公式に形にする前の初動反応を見るための観測記事をアップすることが多いのかな、という気がします。

例えば、文体が好きで、最近良く読ませてもらっている内田樹さんなんかも、紙媒体として表現された著作は自身の著作権は放棄しないけど、ブログに発表された文面は、いくらでもパクって活用してもらってもいいって言ってますし。何なら全文コピペで自分の文章として発表してもOKだとも。

もう一つは、ブログと言うメディアの特性に由来する可読性の悪さです。検索かなんかで着地したその記事だけが読まれてしまい、前後の記事までは読者は確認してくれない。前後のエントリと連続して読めば、どうということもない記事も、たまたま着地したその記事が強めの文体だと、意味もなく燃えたりとかする事案もあります。故に、一つの記事に凝縮して要点や背景を詰め込む必要があるため、どうしても本題が薄くなる。

また、長いと読者が読んでくれない。昼休みとか通勤の途中でパッとスマホを開いて暇つぶしに読まれることが多いメディアなので、短くないと途中で飽きられて最後まで読んでくれないわけです。

僕も、どうしても専門記事的な傾向の書き方が好きなので、1記事4,000字とか5,000字になっちゃうことがすごく多いのですが、そうするともう読んでくれないわけです。よくて、長いから「あとで読む」とされ、そのまま読まれずに忘れられてしまう(笑)

つまり、ブログの記事って、どちらかというと雑誌や新聞記事のようにザザッと目を通して、その日に起こった事件や物事を「点」として切り取った「話題性」や「速報性」を提供するのに向いていて、じっくりと腰を落ち着けてある分野の体系的な知見や主張を読むには不向きなんだなと。

じゃあ、どうやってそれを補っていくかっていうと、やっぱり「本を読む」ことしかないのかな。という結論になりました。単純に一冊何かしらの本を読めば、ブログ記事数十本~数百本の分量がありますし、体系的に知識を身に着けたいなら、今も昔もやっぱり第一の情報源は「本」となるのかな、と思い至りました。

要するに、ブログ記事から得たいもの、読書から得たいものを切り分けて考えていければいいのではないかと。では、肝心の読書の効用やそのあたりはどうなのか?というと、長くなってきましたので、それはまたまとまった時にじっくり長文でブログに書かせてもらいたいと思います。

とりとめもなくなりましたが、今日はこの辺で。
かるび

やりたい仕事が見つからない?なら適当にどこかに就職してから始めたらいいと思うんです

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かるび(@karub_imalive)です。

毎年春先になると、学生の新規購読者層を狙い「就活」記事が激増する日経新聞ですが、今年は特に多い印象です。発行部数そんなに減ってるのかな、と勘ぐりつつ、今年は特にブログを書き始めたということもあり、おかげさまで毎日のように楽しくチェックしております。

さて、そんな中、一昨日の日経新聞電子版で、こんな記事がありました。

就職・転職業界では有名な曽和利光さんのオーソドックスな正攻法的アドバイス。曰く、「現場で働いている人のナマの声を中心に色々話を聞いてみよう」とのことです。

せやな。いや、本当にそのとおりだとは思うんです。僕も「うんうん、地味に良記事だな」とこれブクマしたのですが、違和感がちょっとあり、まてよ、と思い直しました。

その違和感とは何かというと・・・。

話を聞いてもやりたい仕事が見つかるとは限らない

やりたい仕事とか行きたい会社って、人に聞いたからってやっぱり簡単に見つからないよな、、、と。それは、僕自身の遠い昔の就活のことを思い出したからです。

ちょっと昔話になります。

僕の大学時代は、割と根を詰めて取り組んだ受験勉強の反動で、方向性を見失った5年間だったんですよね。(4年間+1年の留年期間)ここにポエムを詳述してますので、もしお時間があれば見てください(^^)

大学受験終了後は、モラトリアム時期というより、完全に「何がやりたいのか」「どんな仕事がしたいのか」さっぱりわかりませんでした。大学1年生の後期から、それなりに楽しめたサークル活動(英語系)はともかくとして、学業は全く興味がわかず。経済学部だったのに、ミクロ経済と統計学がまるっきりわからない。もちろん、ゼミにも入りませんでした。

自分は何がしたいのか、何ができるのか全く見当もつかない。こんな悩みを漠然と抱えながらも、あっという間に留年1年を挟み、5年目の春がやってきて、就活の時期になりました。この就活の時期には「自分は何がしたいのか」探るため、OB訪問とか、すでに就職内定済の友人の話なども必死に聞いてはみました。けど、それでもわからなかったんですね。曽和さん、重症患者がここにいたんですよ。誰かに話を聞いたくらいじゃダメだったんです。

そして、本当に何をしたいのか、何でこれから就活とかするのか、全くつかめないままタイムオーバーとなり、惰性でとりあえず就職活動へと流れこみました。親を心配させたくなかったから、フリーターになることはあんまり念頭になかったのです。

面接では、やりたくもないのに文系の定番とも言える自己アピール「御社で企画提案型営業をやりたいです」なんてやってました。今思い出しても恥ずかしい。でも、当時は必死でした。こんな歯の浮くようなセリフでも言わなけりゃ、自己アピールをひねり出すこともできなかったからです。

選考を受けた殆どの会社では、そんな志の低さというか偽物の志望動機を見破られて手痛く面接で落とされていましたが、内定をもらった会社は、最終が集団面接だったことと、人事部長が僕と同じ大学出身だったことだったからなのか、何とか内定をゲットしました。最後は学閥かよ、、、しょうもないです、ほんとに。

以上振り返ると、自分にとって、やりたい仕事なんて簡単には見つからないものでした。

やりたいことがどうしても見つからない時の突破口って?

じゃあ、やりたい仕事が見つからない場合はどうしたらいいのか?それは、人生をかけた長期戦として、与えられた仕事をこなしながら見つける努力を続けるしかない、と思います。言い換えると、やりたいことを自分独力で見つけようとするのではなく、他人や環境の手に委ね、偶然との出会いの中でセレンディピティを見出す作戦で行こうというわけですね。

まずは適当でもなんでもいいので、ある仕事に就いてみる。そして、その与えられた仕事を実際に経験し、こなしていく中で、自分自身の手応えや、素養を確認していけば、時間はかかるけど、徐々に方向性が見えてくるものだと思うんです。

再び自分語りになりますが、僕はこれまで社会人として17年間働いてくる中で、大きく4つ、細かくは8つの職種を経験してきました。最初は新卒で内定した会社で経理職。次に転職した会社でシステムエンジニア、そのあと営業職、営業事務職そして最後に採用や教育といった人材開発職。それからついでに、意識は低かったですが会社経営にもタッチしました。

さすがにこれだけやれば、自分のやりたい方向性や、向いている仕事はハッキリ出てきます。僕の場合は、こんな感じでした。

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簡単に振り返って自己分析してみると、就職して17年間、まぁいろんなことをやらされってきたんだなぁと。基本的には、2社目で業界未経験からSEへの転職を決めた時以外は、ほとんど会社の言うママに仕事をしてきた結果です。

でも、これだけやれば、それなりに傾向は見えてくるものです。適性はあるけど、やりたくない職種、逆に、適性はないけど、やりたい職種。そして、適性も自分の方向性も合致している職種。さまざまあります。

上図だと、自分の場合はプロジェクト管理や経営などは割と得意。でも興味が向かないんです。少なくとも今は。逆に、SEの開発職なんかは、才能はないことはわかっているんだけど、やっている分には楽しい。成果は出ないだろうけど、また復帰してもいいかななんて思えたりもします。

そんな中、僕にとって人材開発職は、天職みたいなものになりました。特に採用業務などでは、不思議とプランニング段階ではやるべきことは自然に見えてきますし、仕事をやっている時も楽しいし、成果も上がる。ちょうど自分の進みたい方向性と適性がガッチリ噛み合った理想的な仕事です。

納得行く仕事にたどり着くまでに10年かかった

僕の場合は、1999年4月に就職して、2006年春に、ようやく会社から「採用」業務をやるように指示を受け3年位やってみたところで、「ああこれが天職っぽい仕事かなぁ」と思えるようになりました。仕事をしていて、初めて楽しくやれて、かつ人からも評価されるようになった手応えがありました。

このように、たとえ与えられた仕事を受動的にやっていたとしても、その仕事に対して合う/合わないを丁寧に見ていけば、必ず少しずつ方向性を修正していくうちに、他人にも評価され、かつ自分でもしっくりくる仕事は見つかるはずです。時間はかかるけど、必ず何らかの答えや、方向性は見えてくるはずです。

やりたいかどうかより、得意かどうか、評価されているかどうか

また、自分自身がどんな仕事をやりたいんだろうか?と自分目線で考えることを一旦放棄してみるのも有効です。逆に、他人から見て、自分の必要とされる分野はなんなのだろうか?という他人目線の観点で考えてみると、意外とやるべきことが見えてきます。

例えば、僕の場合は、キーワードとしては「パソコンスキル」と「採用スキル」でした。このスキル2つは、人と比べて特段努力しなくても、気がついたら他の人達よりも上達が速いみたいなのです。

特に、Web上での活動や他人との柔らかいコミュニケーションに関しては、割と努力っぽい努力をしなくても、それなりに何故か形になってしまうという。

特段ガツガツ頑張らなくても、割とこの分野では、自分には素養があるようだ。そんな手応えこそが、他人視点から見た、自分自身の価値、存在意義の源泉になるのです。少なくともこの観点で自分の仕事を寄せていけば、評価も上がりやすく、承認欲求はびんびん満たせるはず。

やりたいことがないのであれば、こうしたアプローチも有効だと思います。

ケンタッキーフライドチキンのおじいさんは65年間こじらせた

自分の場合は約10年間で「天職」的なものに出会えましたが、有名人で特に長く迷い続けた人はいるのかな?と思って、ちょっとネットで調べてみたら、ちょうどいいサンプルがありました。彼です。

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そう、カーネル・サンダース。割と有名な逸話になりますが、彼は65歳でやっと「ケンタッキー・フライドチキン」を立ち上げて、人生の最後の土壇場でビジネスに大成功しました。でも、それまでの彼の人生は、転職と起業を何十回と繰り返しては失敗してきた人生でした。

もう、色々こじらせまくり。何をやってもまぁまぁなところまで行っては、最終的に失敗する、その連続で気づいたら65歳になっていたのです。65歳にして、一文無し。そこからのフライドチキン屋さんでの大逆転劇でした。

ほんと、よーやるなぁと思いますが、兎にも角にも彼の仕事を通じた自分探しは、65年間かかったわけですよね。それまで色んな試行錯誤をして重ねてきた経験が、人生最終盤で一気に結実したわけです。

そう、自分探しには時間をかけてもいいんだよ。ってことですね。

まとめ

40歳にしてやりたいことができた、って以前のエントリにも書いたのですが、そう、40歳にしてやっと明確に、自主的に仕事の方向性も含め、「これがやりたい」っていうのができてきたんです。

やりたい仕事だって、見つからなければとりあえずやってみれば、そのうち見えてくるんだな、っていうのが今この年齢にして腑に落ちた。その気づきをおすそ分けしたくて、このエントリを書いてみました。

人生は長いのです。あせらずいきましょうよ。ね。

それではまた。
かるび

人生変えるならやっぱ旅行しかないと思うんです。

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かるび(@karub_imalive)です。

深夜もう寝ようと思ったけど、これをみて思い浮かんだことを書かねばと思い、短めにアップします。

いわゆるタイトルにあざとさがあり(笑)、このあたりははあちゅう氏のお家芸ではありますが、中身についてはよーく読むと、言わんとしたいことはわかりました。でもちょっとマイルドな反論をしますよ(^^)

エントリを読むと、かなり昔、はあちゅう氏が昔なんかの企画でスポンサーを募って世界一周旅行にでかけた時、それほど思ったより感動もしなくて、人生が変わるほどのインパクトは感じなかったよ、という話です。その個人的な体験から、旅行を大げさに語る奴は大したことないし、信用できん!という結論ですね。

それは何となく分かる気がします。

世界一周旅行って結構ダレると思う

だって、世界一周旅行って絶対ダレると思うんですよね。何十日もバスや電車でゆられてたら、車窓の外の風景も、まぁそのうち見飽きてきますよね。旅行っていうのは、基本的には非日常に属する出来事だけど、世界一周旅行でずーっと非日常空間に居続けたら、それが「日常的な風景」に変わっちゃいますから。むしろ海外旅行中に「Miso soup」を飲むことが一番の楽しみになってたりするでしょうし。

そりゃ、エアーズロックに行ってもウユニ塩湖に行っても、「あぁ、またか」みたいになっちゃうんじゃないかな。

また、その世界一周旅行はスポンサーを集めて、いわば人様の財布で、タダで行くっていう、いわゆる「仕事」的な性格も持ち合わせていたわけで、それでは100%旅行の「非日常性」のもたらす効用を味わい尽くすことは難しかったんじゃないだろうかって推測します。

旅行の効用について

一般論ですが、旅行が、なぜ時に「人生を変える」ほどのインパクトを持ちえるのかっていうと、旅行という「非日常空間」で見聞きした風景や体験が、自分の心の内面に大きくプラスに作用するからですよね。旅行の持つ「非日常感」が、旅行者の心の表面にあった雑念を一掃させ、心の奥底に潜在的に抑圧していた願望や気づきを揺り動かしてくれるからだと思うんです。

僕も旅行は大好きですが、なぜ好きか?って言うと、毎回行くたびに、多かれ少なかれ心がリセットされ、自分の中に眠っていた気づきを得ることができるから。何度もその気付きに救われました。

初めて行く風光明媚な場所やダイナミックな風景を目にすると、その雄大さや神聖さに心が真っ白になって、非常に心洗われますよね。すると、そのたびに、決して劇的に即座に自分の中に変化が現れるわけではないのですが、時間差を置いてふと緩んだ時に、気付きやアイデアがポップアップしてくるというか。その時に自分が抱えていた問題解決へのアプローチだったり、以後のキャリアの方向性だったりと、重要な洞察を得られることが多いのです。

僕の場合は、「海」や「湖」、あるいは「温泉」など、「水」のある風景と相性が良いです。数年前だったか、国内旅行に行った時です。北海道の小樽から少し車で足を伸ばしたところにある積丹半島の神威岬というところがあるのですが、この岬の先端の風景は凄かった。その場に立つと、ほぼ270度位に眼前に広がる大海原。陽光にキラキラ反射する水面を目の当たりにして本当に感動しました。

コメントにも頂いたのですが、この風景の素晴らしさは写真では表現することはできない壮大さでした。日本にもこんなところあったんだなって。自分にとっては、ものすごい非日常空間がそこにありました。

で、そこで大いに感動するわけです。

その非日常空間に、ほんの短い時間でもいいから、身を浸してみると、普段の仕事や生活で荒れた心が一瞬でリセットされて、自分の心に覆いかぶさっていた余計な思考や観念が晴れていく感覚になりませんか。

そうすると、この爽快感とともに、雑念まみれの日常生活では潜在意識下に埋もれてしまっていた、自分自身の本音や気付き、洞察などが水面下から次々と浮上してくる。

その時、これを逃さずに顕在意識上で整理したり、メモに残すことができれば、きっと人生を変えうるインパクトを持つひらめきを得られることだってあり得ると思うんです。

これこそが、旅行の持つ実用的・実質的な効用ってところなんじゃないでしょうか。

「旅行はいいぞ。オレも旅行で人生変わったもん」って男性が若い女性に語る時、シチュエーションによっては若干の誇張やオラオラ感が増している感じはあるかもしれません。

でも「旅で人生が変わった人は中身がゼロだ」っていうのは性急に一般化し過ぎなのかなという気がします。たまたま変な男につかまり過ぎたんじゃないかな、、、

ということで、「旅行はいいぞ。」っていうのが言いたかっただけであります。はー。会社辞めたらまずどこ行こうかな。迷う~。

それではまた。
かるび

 

「俺たちの国芳 わたしの国貞展」の感想→浮世絵って面白い!

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かるび(@karub_imalive)です。

先週3月19日から渋谷Bunkamuraにて始まった、幕末浮世絵師の巨匠、歌川国芳と歌川国貞をフィーチャーした浮世絵展「俺たちの国芳 わたしの国貞展」に行ってきました。

じつは、恥ずかしながら浮世絵を始めとする日本画の美術展はほとんど行ったことがないので、どんなもんなのかな、と思っていたのですが、これが予想以上に良かったのです。

僕は、浮世絵については、子供の頃からふとしたきっかけから、日常生活の中で親しんできました。母親が永谷園のお茶漬けが好きだったこともあり、そのお茶漬けのモトのおまけについていた「東西名画選カード」の中に、葛飾北斎や東洲斎写楽などの浮世絵が結構あったんですよね。

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(出典:http://w2222.nsk.ne.jp/~kita1ym/random2.html

とはいえ、僕の中の浮世絵のイメージといえば、かなり残念な感じ。ステレオタイプな風景画か美人画位のもので、まぁお茶漬けのカードに描いてあったとおりだろう、、、と思っていたのですが、今回の展示会では、いい意味で大きく期待を裏切られることになりました。いや、すごかったです。それでは順番に少し紹介してみたいと思います。

混雑状況について

検索で来てくれる人は、まずこの「混雑状況」がやっぱり気になるかと思いますので、先に書いておきますね。僕の行ったのは、初日3月19日の午前11時頃。雨の中行ってきました。

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入り口の写真などを見るとわかりますが、それほど人は入っていません。ただし、このBunkamuraの展示スペースは中が狭いので、少し人が入っただけですぐに息苦しくなります。

入場者数はそれほど多くなかったですが、1点1点の絵の周りにはがっつり人がいて、やや混雑しているように感じました。特に、西洋絵画と違い、浮世絵1点1点は非常に小さいので、人だかりができたらもう見ることができません。良い絵の周りには人が一杯で、ちょっとしんどかったです。がっつり行くなら午前中か平日推奨です!

初日朝にグッズが売り切れる怪(笑)

で、入り口にこんな注意書き看板があったのですが、特に歌川国芳がネコ好きだったエピソードから臨時発売されたフィギュアショップ「小夏屋」の「大王ネゴラ 歌川国芳ヴァージョンは売り切れました」と。

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いやいやおかしいでしょ。いかに雨降ってたとしても、カルトな人気があったとしてもそれはちょっと変だよな、と思って、帰ってからヤフオクを見たら案の定、出品されまくりで引いた。

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せどり屋さんも土曜日雨降りの中、朝から展示会には興味ないのにご苦労さんなことです。フィギュア買い占めるなら、お前らせめて展示会は見ていけよな!!最高だったから!!

音声ガイドは歌舞伎役者

音声ガイドは、中村七之助でした。

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出典:グッズ・音声ガイド|ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞|日本テレビ

中村勘三郎の息子ですね。やっぱり浮世絵の展示会だけに、歌舞伎や能などの伝統芸能の芸能人か、関連する文化人が起用されてるのかなと思ったら、思った通りでした。それほど手慣れた感じはしませんでしたが、一生懸命解説で声を張ってくれてました。

ところで、国芳と国貞って誰なの

この展示会で取り上げられている二人の浮世絵師は、歌川国芳、歌川国貞です。兄弟じゃないですよ、もちろん。歌舞伎や落語みたいな日本の伝統芸能でよくある、代々襲名されていく芸名であります。彼らはいわゆる同門の兄弟弟子であり、ライバルでした。共に師匠は初代歌川豊国。

主に、徳川家斉の治世下で花開いた「化政文化」から、水野忠邦による「天保の改革」を経て、幕末を迎え、幕府の威信が大きく揺らいでいく激動の時期に生きた絵師でした。

歌川国貞(1786-1864)は人気役者が演じる好漢達を描いた役者絵や伝統的な美人画で当時絶大な人気がありました。人気歌舞伎俳優の表情やしぐさの特徴を的確に捉え、当時の女性ファンの心を掴んだといいます。

『あつまのわか手五人男』

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(出典:http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc172578.jpg

まだ写真がなかった頃だから、各歌舞伎興行に合わせて、5枚一組などでこうした一線級の浮世絵師の書く「ブロマイド」代わりの浮世絵が飛ぶように売れたそうですね。

一方の歌川国芳(1797-1861)は最後は大浮世絵師として歴史に名を残しましたが、当時ブレイクしたのは30歳を過ぎてから。江戸中に「水滸伝」ブームを巻き起こした豪傑の絵が大当たり。ここから、江戸時代のいわゆる「ヤンキー」を描いた「武者絵」という新ジャンルを確立して、人気浮世絵師になっていきます。

『通俗水滸伝豪傑百八之一人浪裡白跳張順』

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(出典:http://www.geocities.jp/shinzogeka/SuikodenKuniyoshi.htm#56

当時は二人はライバルであり、国貞が結局3代目「歌川豊国」として歌川派のトップに立つことになりますが、後世の評価は圧倒的に歌川国芳に軍配が上がるようです。

特に、歌川国芳は「武者絵」で新分野を切り開くと、圧倒的な世界観や大胆な構図の妖怪画、合戦モノなど従来の浮世絵の概念を大きく超える自由な作風で江戸中を熱狂させました。そして、天保の改革で歌舞伎興行が中止になり、浮世絵や黄色本(当時のエロ本みたいなもの)の出版物規制がかかる中、マンガ風の滑稽画、戯画など新ジャンルを次々と開拓し、浮世絵の多様性をさらに切り開いていきます。まさに浮世絵界の革命児的な存在でした。

今回の絵はほぼ全部ボストン美術館からやってきた

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今回の展示会の副タイトルは、「ボストン美術館展」なんです。1860年代にパリから火がついた「ジャポニズム」はアメリカにも飛び火していました。廃仏毀釈運動等、旧来の日本文化の保全には全く関心がなかった明治政府の無策もあり、当時、世界中の美術収集家が欲しいままに日本の美術品を買い漁っていきました。

その最大級の流出先がボストン美術館で、なんと日本美術品だけで10万点以上、日本の版画コレクションがその半数を占める52,360点あります。うち、国貞が10,304点、国芳が3,794点、主に閉架式で同美術館内にて収蔵されています。つーか流出しすぎやろ・・・。今回展示された珠玉の作品群も、ほとんど全部ボストンから来ていると思うとなんとなく情けない。。。

よくもまぁこんなに流出させたものだと展示物を見ながらやや憤りましたが、展示されていた絵はどれも非常に保存状態がよく、発色も豊かでした。いい美術館に拾われたようですね。

特に良かった絵画を少しご紹介

今回展示されている作品は、大判作品を中心に、全170点。どれも見応え抜群で、しっかり見たら2時間、3時間はかかりますが、中でも印象的だったものを幾つか紹介しておきますね。

『相馬の古内裏』

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山東京伝の読本『善知安方忠義伝』のワンシーンなのですが、この骸骨の半身像が凄いインパクト。骸骨の骨格がリアルで、解剖図とか参考にして描いたんでしょうが、ほんとに浮世絵かこれ?と思うほど大胆で自由な構図だと思います。

『讃岐院眷属をして為朝をすくう図』(歌川国芳)f:id:hisatsugu79:20160326063023j:plain
(出典:讃岐院眷属をして為朝をすくう図(1組) 文化遺産オンライン

3枚の浮世絵を横につなげた大判画。みてくださいこの大きな魚。圧倒的にマンガ的であり、見ているだけでワクワクしてきます。国芳が現代のクリエイターに大きな影響を与えているとされるのも理解できるような気がします。

『東都両国橋 川開繁栄図』

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最後はこの1枚。深川地区に住む自分としては外せません。200年前も今も変わらず隅田川は人々の憩いの場だったんだなぁとしみじみ見入ってしまいました。今も隅田川大花火大会は健在ですし、屋形船は年中運行してますから。

まとめ

これまでも数年に一度、歌川国芳については何度も大きな展示会がありましたが、今回も全170点、すごく楽しめる展示会に仕上がっています。浮世絵って、なんか変な顔の美人画とか銭湯の富士山みたいな絵のことなんでしょ?っていう先入観がある人こそ、是非足を運んで欲しい展示会です。きっと、これを見たら「あれ、結構日本画すごくない?」ってハマるきっかけになるかもしれませんね。

そういえば4月は東京都美術館で「生誕300年記念伊藤若冲展」が開催されますね。今年は日本画がブレイクするような気がします。これも行かないとな~。

それではまた。
かるび 

 

クラシックで心を豊かに!超初心者向けオーケストラ曲10選!

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かるび(@karub_imalive)です。

僕は仕事柄なのか性格なのか、結構多趣味な方です。

中にはおとなになってから増やした趣味もあるのですが、そのうちの一つが「クラシック音楽」。2009年からハマりました。

従来、音楽については中学生の頃からたまに洋楽全般やJ-POP、アイドル(笑)に寄り道しながらも、ヘヴィ・メタル一本だったのですが、結婚してから妻の影響で徐々に聴くようになっていったのでした。

クラシックにハマったきっかけ

きっかけは、仕事の不振でした(笑)

リーマン・ショックでIT業界(Sier)にも半年遅れで不況の波が押し寄せ、急にストレスフルな仕事が増えた時期でした。あの時は本当にひどかった。人、余り過ぎに辞めすぎで阿鼻叫喚でした。

採用担当をやっていたのに、採用の仕事は開店休業。採用しようにも既存社員にも割り当てるプロジェクトがないわけです。代わりに、ちょっとでも営業を強化するんだ!ってことで、気の進まない営業に回され、でも採用担当として半リストラに近い退職処理(というか退職勧奨に近いのもあった)にあたっていたので心も荒んでおりました。

その時に妻が聴いていたモーツァルトのピアノ協奏曲(27番だったかな)をたまたまじっくり一緒に聴く機会があり、「おおこれは心が落ち着く!」ということで30歳を過ぎていましたが、クラシック音楽に目覚めました。

クラシックも、ハマりようによっては、オーディオにカネをかけ出したり、古い音源漁りをしだすと「沼」の様相を呈してきますが、それほどお金がかかるわけじゃなくて、入りやすい趣味だと思います。

どこから入ったらいいのかわかりづらいよね

ただし、クラシック音楽って、最初は何から入ったらいいのかちょっと分かりづらいところがあると思うんですよね。自分の場合は、たまたま幼い時からピアノをやっててクラシックに詳しい妻がいたので助かりました。

入っていく際に「これはどうなの」「あれは上手なの」とか根掘り葉掘り聞けたわけですが、もしいきなり何のとっかかりもなければハマれなかったと思います。

じゃあどこから入ったらいいのか、ということなんですが、ずばりお薦めは「オーケストラ」でキャッチーで聴きやすい曲から入ることです。あ、これテレビのCMとかどこかで聴いたことがある!という曲が馴染みやすくていいと思います。

オーケストラ曲と言っても色々ありますが、聴きやすいのは18世紀後半のモーツァルト以後、19世紀一杯のドヴォルザークあたりまでが入門としては良いでしょう。

クラシック音楽も西洋絵画と同じであり、いきなり現代音楽を聴いても、サッパリわけがわからないです。絵画が19世紀終盤の「印象派」以降ワケがわからなくなって難解になっていくのと同様、クラシック音楽も概ね1920年以降は不協和音いっぱいの「現代音楽」であります。僕も徐々に挑戦していますが、まぁなかなか理解が追いつかない(笑)

ということで、前置きが1,000文字を超えてしまいましたが、このエントリでは、僕がリーマン・ショック後のつらい時期に聴いて心が満たされた、聴きやすくてわかりやすいオーケストラの初心者向け作品を幾つか紹介してみたいと思います。

初心者向けオーケストラ曲10選

1,ブラームス「交響曲第1番」

名前は知っているけど、定番って何があるの?って聞くと、なかなかパッと出てこない作曲家です。1800年代後半に活躍した寡作の大作曲家ですが、ベートーヴェン没後、30年程画期的な曲が生み出されず停滞していたクラシック界に、とうとう風穴を開けた金字塔的作品。本人もそのプレッシャーに悩みぬき、約20年かけて制作されたといいます。計算され尽くした譜面は圧巻。壮大な第4楽章の盛り上がりがとにかく好きで、本当に聞きまくりました。子供の胎教にも使いましたが、息子は当然「知らない」だそうです(笑)

2,ドヴォルザーク「交響曲第9番」"新世界"

この第9番は、チェコの大作曲家ドヴォルザークの最晩年の作品です。第2楽章は小学校の「下校時間」のアナウンスで昔良く使われていました。この第2楽章とともに、「下校時間になりました。気をつけて帰りましょう~」とよく学校で聞かされたものです。第4楽章の怒涛の盛り上がりも最高ですね。この副題”新世界”は、ドヴォルザークがニューヨークに数年間滞在した際に見聞きした「新世界」での情景を音楽にしたものだと言われています。また、日本では年末の「第九」に対して、新年明けた正月公演は「新世界」で始まるところが多いです。

3,ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」

全盲の天才ピアニスト、辻井伸行が幼少の時からオーケストラとの共演時に18番としていたロシアの天才作曲家のピアノ協奏曲です。聞き所は、第1楽章~第3楽章まで全部!ピアノの演奏者によって曲調がガラリと変わるのが特徴で、お薦めは、曲調から全面的に滲み出る優しさが心地よい辻井伸行の演奏です。とにかく癒される。浅田真央の2013年度の演技曲でもありましたね。

4,モーツァルト「交響曲第41番」"Jupitar"

ソロからオーケストラまであらゆる形態のクラシック曲をアホみたいに量産した天才音楽家モーツァルトの晩年の大傑作です。音量を下げ気味にして朝食と一緒に是非頂いてくださいませ。気分は高級ホテルでの優雅な食事をしている気分(?)にひたれるかもしれません。ちなみに、僕も気合を入れてモーツァルト大全集を買いましたが、なんと200枚組でした。その200枚の中でもやっぱり一番のお気に入りです。

5,マーラー「交響曲第1番」"巨人"

マーラーは、後の方の交響曲は複雑・壮大で通好みの難解で長時間なものが増えていくのですが(それはそれでスルメ盤的な良さがじわじわわかってくる)、初心者には壁が厚い。でも、クラシック聴いてるからには「このあいだマーラーがさぁ。。。」とか語ってみたいじゃないですか。そんな人にお薦めなのがこのマーラーの1番。若い時に作曲されたドイツ直系の正統派的でキャッチーなメロディラインはマーラーのオーケストラ曲全10曲の中でダントツの聞きやすさ。

6,シューマン「ピアノ協奏曲」

ベートーヴェンとブラームスのまさに谷間世代の作曲家。最後は発狂して自殺しちゃうんだけど、このピアノ協奏曲は発狂するすこし前、シューマン全盛期の時の作品。第3楽章などはうっとりするロマンチックかつ美しい旋律が怒涛の音密度で流れていきます。シューマンのピアノ協奏曲はこれ1曲だけど、彼が作った他の4つのフルオーケストラ曲よりもこっちのほうが完成度が高いような気がするな。

7,ショパン「ピアノ協奏曲第1番」

ピアノ協奏曲ばっかりですみません。好きなんで。で、これも本当に日本のオーケストラでは定番中の定番として演奏される曲です。ショパンといえばピアノ・ソナタ(ピアノソロ)が有名ですが、この第1番と、もう一つオーケストラ曲としてピアノ協奏曲を残しています。非常にキャッチーで、どこをどう聴いてもショパンらしいわかりやすい曲ですね。ただしピアノパートがとんでもなく超絶技巧なのは、ソロもコンチェルトも変わらないようです。

8,チャイコフスキー「交響曲第5番」

シューマン同様最後は非業の死を遂げてしまうチャイコフスキーですが、有名な曲が一杯ある中で、個人的にはこの第5番が一番好きです。どれを聴いてもわかりやすく、とにかくメロディーラインがしっかりしている親しみやすいチャイコフスキーですが、オーケストラ曲だと第4番~第6番が傑作との評価を受けています。特にこの第5番は起承転結がハッキリした名作で、第4楽章の最後の盛り上がりは生で聴くと鳥肌モノです。

9,ベートーヴェン「交響曲第5番」"運命"

ベートーヴェンは交響曲9曲とピアノ協奏曲5曲、どれも全てわかりやすく初心者にピッタリなのですが、お薦めはこの第5番と、第7番にしておきたいと思います。いわゆる「第9」は初心者にはちと長尺すぎて、第4楽章以降の盛り上がりまでにきっと寝てしまうでしょう・・・。第5番は最初から最後まで小学校の音楽の授業で耳にしたことがあると思います。「ジャジャジャジャーン」というやつですね。

10,ベートーヴェン「交響曲第7番」

 最後はおなじくベートーヴェンの第7番。少し前になりますが、クラシックを題材にしたヒット漫画「のだめカンタービレ!」のアニメ化された際のオープニングテーマにこの第一楽章が使われて、CDが結構売れてクラシックファンの裾野が広がったことがありました。こちらも「静」と「動」のメリハリがついた聴きやすい名作です。

まとめ

僕も、クラシックにハマる30代までは、クラシックなんぞ上流階級の聴くものだ、と思っていましたが、まぁ全然そんなことはありません。確かに上流階級のすました方々も多いし、コンサートの休憩時間にはワインとか出てきて優雅な感じはあります。

だけど、国や自治体の補助金などもありチケットはそんなに高くない(海外の有名オーケストラ公演を除く)ですし、コンサートでちらっと席を見ると何割かのお客さんはボケーっと寝てますから(笑)多分休憩時間中のアルコールのせいです(+_+)

最近は、上記に貼ったようにYoutubeで色々音源も試し聞きできますし、TVやDVD、それから有名ドコロだと映画館でのパブリック・ビューイングもあります。さらに、なんといってもCDが安い!新品でもベートーヴェンやマーラー等の大全集は、3,000円位でささっと買えますし、ブックオフなどの中古はさらに安いです。10,000円あれば、中古で頑張れば20枚は買えるんじゃないでしょうか。

そんなわけで、春はクラシック入門にはピッタリの季節。実は、今日3月31日は、「オーケストラの日」。それにちなんで、いつかは書きたいなーと思っていたクラシック音楽についての記事を書いてみました。また、GWには東京・金沢・びわ湖で毎年恒例の日本最大級のクラシックイベント「ラ・フォル・ジュルネ2016」もあります。いい機会なので、是非皆さん聴いてみてくださいね!


それではまた。
かるび


近代洋画の巨匠、黒田清輝展(国立博物館)に行った感想→裸婦像多めでした(笑)

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かるび(@karub_imalive)です。

今年は特に美術展に見どころが多くて、年明けからずーっと上野に通いっぱなしです。そして今日は金曜日。美術館・博物館の開館延長日です。サラリーマンでも業務終了後にダッシュすれば何とかスーツのまま見て回れる日ですね。

折しも桜が満開で、出先で業務を済ませてそのまま18時過ぎに上野駅に直行すると、もういきなり酒臭いわけですが、桜もお花見の乱痴気騒ぎも何のその、脇目もふらず到着したのは国立博物館平成館。いやー、遠いわここ。そう、今日のお目当ては日本近代洋画の父と言われた黒田清輝の特別回顧展「生誕150年 黒田清輝―日本近代絵画の巨匠」でした。

早速ですが、その感想を簡単に書いてみたいと思います。

混雑度と鑑賞時間について

さて、まずは展示会の混雑度です。3月23日から開催されていますが、さすがにカラヴァッジョやボッティチェリに比べると知名度は低いと思われ、全然混んでいませんでした。

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もともと、ハコ自体が「国立博物館平成館」というゆったりとした展示室なので、人が一杯入ってもそれほど息苦しくはないと思います。前回行ったBunkamuraの国芳国貞展の狭い展示室に比べると広々としています。

ただし、今回の展示は絵画の数が非常に多いのです。黒田清輝の生い立ちから亡くなるまで、時系列でその絵画や書簡、メモ、デッサン、写真、映像資料、アトリエ復元など約200点程の大量展示でした。よって、じっくり見るなら2時間は欲しいです。

実際、僕も金曜日は18時過ぎに入場しましたが、閉館時間ギリギリまで粘ってようやく全部見終わったくらいです。なので、しっかり見たい人はある程度時間を確保して来場するのがいいと思います。

音声ガイドは綾小路きみまろ!

マイナーな展示会だから音声はないかもな?と思っていましたが、行ってみたらちゃんと綾小路きみまろの音声ガイドがついていました。うーん、なんかフィットするのかな?と思いましたが、そこはさすが漫談で鍛えた語り口。違和感なく耳に入ってきて大いに理解の助けになりましたよ。

#1を再生すると、黒田と同じ薩摩(鹿児島)出身で、今年65歳になるそうです。もうそんな年なんですね。彼の決め台詞「あれから30年・・・」的な語りが結構あった(笑)

ただ、なんか借りてる人ちょっといつもより少なめでした。

最初は法曹家を目指してパリへ留学した

黒田清輝(1866-1924)は、よく「日本近代洋画の父」と呼ばれます。その名の通り、明治~昭和初期にかけて、日本の西洋画画壇に多大な影響を残した重要人物でした。

ちなみに、明治の元勲で総理にもなった黒田清隆とは1文字違いです。同郷薩摩藩出身ながら、近縁ではなかったようですね。遠い親戚って感じです。

黒田清輝が面白いのは、彼のキャリアのスタートが画家志望ではなく、法律家志望だったことです。当初18歳の時、法律の勉強のためにパリに留学しました。しかしパリにいて、趣味で絵を描いているうちに、後に洋画家になる山本芳翠などの勧めもあり、20歳の時に画家へ転身します。

転身を決意した前夜、両親に宛てた書簡も展示されていました。
「今般天性ノ好ム処ニ基キ断然画学修行ト決心仕候」(超訳:やりたくてしょうがないので画家として頑張るぜ!)と決意が示されたその書簡を丁寧に読むと、近年再評価が進んでいる「五姓田義松」の名前なども書簡中に入っていて、そういえば同時期にパリにいたので交流もあったのだろうな、としみじみしました。

リア充な修行時代(彼女もサロン入賞もゲット!)

それ以来、フランスに約7年間滞在する間に、外光派の大物ラファエル・コランに師事します。そして、現地のパリ近郊農村で絵を描きに遠征したついでにちゃっかりとフランス人の彼女、マリア・ビヨーと出会います。こ、このリア充め!。そのマリア・ビヨーの親戚の家に転がり込んでをアトリエとして、マリアをモデルにした名作を多数描きました。特に印象深かったのは、入り口1枚目に展示されていたこれ。

黒田清輝『婦人像(厨房)』

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そして、同じく彼女をモデルとした「読書」が見事サロン・ド・パリに入選することで、一躍有名画家としてデビューすることになりました。

黒田清輝『読書』

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そう、この人の作品で彼女を描いた作品はいいのが多かったのです。

今回パンフレットやホームページ等で掲載された一番の代表作「湖畔」(重要文化財)も、日本に帰国してから後に結婚する奥さんをモデルにしたものと言われていますしね。フランスの彼女はどうしたんだお前

黒田清輝『湖畔』

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この絵画は、避暑として芦ノ湖畔に彼女(後の奥さん)と一緒にでかけた際に、急遽湖畔に座らせて絵筆を取ることになった作品だそうです。夏の涼し気な雰囲気がよく伝わってくる佳作だと思います。

黒田が影響を受けた画家たち

黒田自体、モネなどの印象派と同世代ではありますが、印象派の影響をある程度受けつつも、一歩引いたところから印象派の絵画については捉えていたと見られます。

彼がフランスにいる間に特に影響を受けたのは、田舎での農民たちの素朴な日常風景を描いた、通称「バルビゾン派」のミレーや、明るい戸外の写実的描写が特徴な自然主義のバスティアン・ルパージュ、そして外光派の主要画家だった師匠のラファエル・コラン達でした。そんな彼らの代表的な絵画も今回の展示会に持ち込まれており、黒田の絵画と合わせて非常に楽しめます。特に、オルセーからきているミレー「羊飼いの少女」は必見です!

ミレー『羊飼いの少女』

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バスティアン・ルパージュ『干し草』

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留学から帰国後、日本画壇で大活躍した

帰国してからは、それまでどちらかと言うと暗めで褐色系の色彩を帯びた西洋画が主流だった日本洋画界に、新風を持ち込みます。フランスで学んだ「外光派」絵画手法そして、印象派的な手法を取り入れた明るい色調の洋画を発表し、日本の洋画界に大きな転換点をもたらしました。

やがて、その勢いで1896年に美術の新団体「白馬会」を立ち上げたり、東京美術学校の西洋画科教授に就任します。さらに流派や作風を問わない文部省美術展(通称文展)を立ち上げたり、自ら絵筆を取るだけでなく、積極的に業界を盛り上げていきます。

元々は薩摩藩の有名氏族出身だったこともあり、この勢いで子爵家を継ぎ、貴族院議員になってしまうなど、晩年まで体制派、主流派のドンとして、日本における西洋画のレベルアップや画家の地位向上などに奔走しました。

今も昔も美術の中心地はパリやニューヨークであり、その西洋絵画に如何に追いつき、国際的な日本美術の地位を高めるかに腐心したあたり、時代は違いますが現代アートで奮闘する村上隆に通じるものがあると思いました。

裸婦にこだわりがあった

彼がフランスから帰国して西洋美術を広める際に、人体のありのままを描く「裸婦像」は西洋美術の基本形である、として、「裸婦像」作品を積極的に内国博覧会や文展等に出品していきます。しかし、なかなか当時はそれが理解されませんでした。たびたび彼が描く裸婦像は「わいせつなもの」として批判を浴び、規制がかかります。

そのたびに、毅然として圧力に負けず、「裸婦像」を出品し続けた熱い反骨精神は見事でした。パトロンが三井財閥の重鎮だったり、後の宰相、西園寺公望だったりと、体制側にがっちりパイプや後ろ盾があるにはありました。ですが、それでも今よりも言論統制が行き届いていた明治・大正期にそこまで自分の信念を貫くのは波大抵の決意ではなかったと思います。代表作を貼っていきますね。

黒田清輝『野火』

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黒田清輝の裸婦像では、代表作です。構図に師匠のラファエル・コランの影響が大きいとされています。

黒田清輝『裸体婦人像』

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1901年に制作され、文展に出品されましたが、審査員から糾弾され、なんと展覧会では下半身に絵画の上から腰巻きの布を被せられたという逸話が残っています。(上半身は良かったんだろうか・・・)

黒田清輝『花野』(未完成と言われている)

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そして、極めつけはこれ。

黒田清輝『智・感・情』

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パリの博覧会に持込み、銀賞を獲得して以来、ずっと死ぬまで公開せず自宅で確保していたというこの3枚の大判の連作です。日本人の理想的な身体像を表現したと言われるこの作品、意味深な謎のポーズが考えさせられます。3枚とも、顔つきがまさしく日本人らしいなと感じました。

黒田がなぜ「裸婦」にこだわったか、明確には展示会で示されてはいませんでしたが、明らかにこれはフランス留学時代の師、ラファエル・コランの影響と思われます。展示会ではコランの代表作品が展示されていましたが、コランはやたら裸婦ばかり描いています。

コランは「外光派アカデミズム」という流派に属し、写実主義と印象派を折衷した、明るく温和な画風が特徴です。黒田の画風にも多大な影響を与えたという文脈で、先に出したミレーなどと同様に、いくつか代表作が展示されていました。これがまた迫力のある特徴ある絵画で見応えがありました。

代表作の「フロレアル(花月)」は、印象派的な色彩の背景に、細部までリアルに描かれた3D画像のように画面真ん中に描かれた裸婦がものすごくリアルです。

ラファエル・コラン『フロレアル(花月)』

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どうでしょうか?画面真ん中に配置された裸婦が立体的に浮いて見えませんか?

まとめ

日本における西洋美術史を眺めてみると、画家として、また美術教育、行政にも深く関わった権威として、必ず名前が出てくる黒田清輝。 その強力な政治力をバックに、非主流派の画家たちに冷や飯を食わせるなど、後に日本西洋画壇の流れを印象派偏重に歪めてしまったと断罪されることもあります。

しかし、亡くなる直前までとにかく描きまくった大量の絵画を時系列で見ているとやはり政治家や教育・啓蒙家である前に、一人の画家として生涯キャリアを追求した熱い人物だったんだなと実感させられます。その意味では間違いなく本物のプロのアーティストでした。

黒田清輝という一人の人物そのものや、彼の人生を通して見えてくる近代日本洋画の歴史、また同時期の西洋画の状況など、いろいろなことが見えてくる濃い展示会でした。本当に行ってよかった。同時開催のカラヴァッジョ展等と比較すると地味かもしれませんが、非常に見応えがある骨太な展示会です。おすすめです!

それではまた。
かるび

PS 同時開催で、上野近辺ではこんなのもやってますので興味があれば、どうぞ~。

★4月3日まで「ボッティチェリ展」@東京都美術館

★6月12日まで「カラヴァッジョ展」@国立西洋美術館

読書は2周目からが面白い!40歳にしてやっと精読の価値に気づきました

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かるび(@karub_imalive)です。

読書、好きですか?

僕は、昔から読書が大好きです。物心ついた頃から本の虫で、小学生の頃は運動は苦手だったので、学校の図書室に入り浸っていました。それから40歳の今に至るまで、ずーっと本を読み続けています。ちゃんと読書記録をつけてるわけじゃないので何ともいえないですが、定期的にみかん箱単位で本を断捨離しているので、年間で50冊~100冊程度はコンスタントに読んでいると思います。

読書スタイルが少しずつ変わってきた

そこで、自分の読書遍歴を少し回想してみたのですが、子供の頃から、読書の質が少しずつ変わってきていることに気づきました。

小学校~中学校の頃は、絵本や小説など、物語を「味わい、楽しむ」ための読書がメインでした。小学校だと、機関車トーマスとか、ずっこけ探偵団とか、少年向けにカスタマイズされた江戸川乱歩シリーズとか、ファーブル昆虫記とかですかね。中学に入ってからは、三国志とか水滸伝などの歴史もの、それから赤川次郎や西村京太郎などの推理小説ものもよく読んでいました。

これが、大学に入ってからは少し変わってきます。大学時代は英語サークルで英語ディベートを行っていたこともあり、「学び、調べるための」読書に変わります。さらに、大学卒業~社会人生活では、「仕事に役立てるための自己啓発」としての読書がそこに加わりました。・・・ん、なんだかだんだん読書への向き合い方がつまらなくなっているような気がしないわけでもないな・・・。実際、自己啓発本はほとんど実践で役立ててないような気がするし

そして、アウトプットのための読書に

そして半年前位からブログを書くようになってからは、「アウトプットを前提としたネタ探し」のための読書が加わりました。

この雑記ブログ、「あいむあらいぶ」も、4月4日現在で、やっとエントリが100を少々超えた程度ですが、それでもブログを始めた当初よりもだんだんとストックしてあったネタがなくなってきています。

40年生きてきた蓄積ってわずか100エントリでなくなっちゃうくらいだったのか?と愕然としますが、まぁそんなものでしょう。

でも、それでもブログは今後も続けていきたいのです。と、すると、ストックが減ってきたなら、新たにインプットしたもので書いていくしかありません。

また、ブログ上に文章として何かを表現する時に、自分の中で知識や知見が十分体系化されていなかったり、ライティングの技量が足りていなかったりするため、文章になかなか深みを出すことができずにいることも悩みの一つであります。

ということで、この春、インプット不足解消と文章内容に深みを持たせる狙いで、これまでの自分の読書スタイルを量的にも質的にも少し変えてみることにしました。

読書の仕方を少し変えてみた

1)量的な変化(読書量を増やす取り組み)

単純に、これまで気が向いた時にダラダラっと読むことで、大体月5冊位のペースで読んできました。これを、まずは当面3倍の月15冊ペースにしています。また、近日中に会社を退職するので、退職後しばらく自由な時間が取れる時は、月30冊ペースに引き上げようと思っています。(1日1冊ですね)

最近、いろんな読書論の本を読みましたが、割とその中で共通しているのが、アウトプットを多くしたければ、インプットである読書量を単純に増やすしかない、という話です。

このあたりは、この本から学びました。1日10冊~20冊読む有名な書評家、小飼弾氏の読書論です。

意味ある読書に必要な冊数は、1000冊。プロの物書きは300冊の本を読んだら1冊本がかけるといいますが、これはアウトプットがすでに習慣になっている人の話。そうでない人は、その3倍くらいは読まないと、意味のあるアウトプットになりません。

1000冊か・・・。いや、きついわ。と思ったのですが、実際、ノンフィクション系のデキの良い新書1冊を読むと、その著作の中で参照・引用されている書籍って、少なくても20~30冊程度、多ければ100冊、200冊と引用されているんですよね。

小飼氏の言うとおりであります。一つのクオリティの高いアウトプットを出すには、圧倒的にインプットしていくしかないのかな、と思わされます。

2)質的な変化(理解度を上げる取り組み)

今までは、単に1度ザァーッと読んでみて、面白ければそれで満足しておしまい、ということが多かったです。性格的に移り気で飽きっぽく、新しもの好きなので、読み終わったそばから、次から次へと新しい本に手を出してしまうのですね。

でも、これではちょっと知識や知見が効率的に残って行かないのですよね。読んだ直後は、「面白かった~」と満足なのですが、あとでそこで得た知識や学びを整理していないため、最終的にはほとんどの内容を忘れていってしまうんです。

有名な話ですが、「エビングハウスの忘却曲線」って聞いたことありませんか?

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(引用元:日経新聞電子版)

我々は、何かを見たり聞いたりして学習した内容は、脳の構造上、1日後には早くもそのうちの実に74%の内容を忘れてしまうのですね。これじゃ、ガンガン新しい本に手を出し続け、単に読書量を増やすだけでもほとんど頭に残らず、読書の効用を最大限に享受できてないのではないか、と考えました。

そこで、この春から、

  • 「どんなにつまらなかった本でも、最低2回は読む」
  • 「2回目以降は、Evernoteにメモを取りながら読む」

という精読のためのマイルールを自分に課しました。

1度目はどんなに乱読・速読してもいいから、とにかく1回読み終わったら、少し時間を置いて再読する。そして、気になった項目をEvernoteに好きなようにメモとして残していく。まぁダメだったらまた別のやり方でもいいや、と気軽に始めてみました。

そして、これが割と自分の読書体験を何十年ぶりに変えてくれそうな感じなのです。

読み返すことで、大事な項目が頭に入るようになった

これが非常に大きかったです。
僕は結構本を読むのは速い方で、平易な文章で書かれたビジネス書や小説などは、1時間で100ページ以上は進みます。大抵のハードカバーや新書は300ページ以下なので、大体まとまった時間が2時間強あれば、これまでは1冊読み終わっていました。

でも、今回2周目に入った時に気づいたこととして、そもそも速読気味に読んだ本は、無意識のうちに読み飛ばしている箇所があったり、内容をほとんど覚えていないセクションがあるんですよね。

だから、2周目に読んだ時に、「あれっ?こここんなこと書いてあったっけ」みたいにとばしてしまっていた未読箇所を拾い読みできることがかなりありました。

また、1周目に読んだ時は、完全に理解せず、あいまいな解釈のまま飛ばしてしまっていた箇所も、2回目に読み返すことによって、理解が格段に進んでいることがありました。

このように、2回目からは「本を味わい尽くす」そんな感覚で学びを深めていけることが非常に新鮮で自分にとっては収穫だったのです。

マンガや小説も2度目からが味わい深い

2回目の読み返しが有効なのは、人文系のノンフィクションだけではありません。伏線が幾重にも張られた小説やマンガなどのエンタテイメント系も、2周目を読む時は味わい深いです。
たとえば、僕のお気に入りのマンガに、非常に巧妙にストーリーが練られ、伏線が張られている「東京喰種(トーキョーグール)」という大ヒット作があります。

現在もその続編の「東京喰種Re:」と合わせて20巻刊行されていますが、幾重にも練りこまれた伏線やプロット、複雑な人間関係や心理描写が秀逸で、非常に良い作品だと思います。Kindleで全巻揃えました。

ただし、その分ストーリーも複雑なので、僕はこの漫画を1回や2回読み返したくらいでは(アホなので)全体像が完全に理解できていませんでした。最近、4周目を終えたのですが、4度目の読み返しにして、ようやくストーリーの伏線や登場人物の関係像などがクリアになりました。

これって、マンガだけでなく、推理小説やSF、名作文学などにも当てはまると思うんですよね。名作には何度読み返しても新しい発見や驚きがあるのだと思います。

2回目以降は、メモを取りながら読む

これも、今回初めての取り組みになったのですが、Evernoteに読書録をつけることにしました。メモの取り方・書き方は、特に決めず、その時の気分次第で自由にメモを取っていきます。

文体が好きな箇所はそのまま写経したり、文章から連想して考えたことを書いたり、内容を要約したり、とにかく自由にEvernote上にメモをアウトプットしながら書くようにしていきます。こんな感じです。

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そして、この、「メモを取りながら読み返すメリット」って結構大きかったんです。主に2つありました。

メモを取りながら読み返すメリット

1)内容理解が進む

一つは、要点を書き出すことにより、さらに内容が頭にも入りやすくなったこと。書いてまとめることによって、頭が活性化され、知識として定着している感覚があります。エビングハウスの忘却曲線により、一旦忘れかけた内容を、ぐぐっと脳に引き戻す、そんなイメージでしょうか。

2)家がきれいになる

そして、もう一つは、家がきれいになること。メモを残せば、あとは本を参照しなくよいので、思い切って読み終わった本をどんどん手放すことにしました。

例外として手元においておく本は、これは3回以上読み返す価値があるな、と思ったものだけです。あとは、ブックオフに持っていくなり、友人にあげるなり、図書館に寄贈するなりできるようになりました。

なんせ、東京都心のうさぎ小屋に住んでいますので、単純に本を貯蔵するスペースがないわけです・・・。

ということで、長くなりましたが、現時点での自分の読書に対するスタンスや思いを書いてみました。読書は、2回目の読み返し、精読からが本番なんだなと思います。本の読み方なんて自由でいいじゃん、と思っていたのですが、方法論を決めて取り組んでみると、やはり違うものですね。

多分、これって人によって合う合わないがあると思いますので、最終的には自分なりの読書のあり方は人それぞれということになるんだと思います。ただ、たまにはこうして定期的に読書に対する取り組み方を考えてみるのは非常に有益だと感じました。

また、別のエントリでは「読書論」系の本のレビューもしてみたいですし、これを機会に読書がはかどるとっておきの文房具も買いましたので、近い将来そのあたりの話も書いてみたいと思います。それではまた。
かるび

小学校入学式に参加した感想→最近の小学生って、すごく恵まれてるよね?

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かるび(@karub_imalive)です。

一昨日、息子の小学校の入学式が無事に終わりました。

一生に一度のまたとない機会なので、仕事をお休みして夫婦で入学式に出席しました。入学式の後、初日ということで保護者も子どもと一緒に教室で担任の先生からのオリエンテーションを受け、記念写真撮影を行う中、校舎の中に入って色々と観察する機会がありました。

そこでまず感じた感想としては、なんだかんだで、今の小学生の学習環境や教育環境は、20年~30年前に比べてかなり改善してきているんではないかということです。今の子供は、中学受験に向けての受験勉強の早期化や学力低下など問題はまだ山積ではあるかと思います。それでも、僕が小学生だった約30年前に比べると、格段にその学習・教育環境において進歩改善が見られるのではないかなと思った次第です。

そこで、今日のエントリでは、ざーっと小学校1日目に観察してみて、どのあたりが良くなったのかな?というところを、僕が小学生だった約30年前と比較して、簡単に書いてみたいと思います。

30年前に比べて良くなったところ

1,校舎がきれいになっている

単純ですが、校舎の清潔さや設備の充実ぶりにおいて、30年前とは比較にならない位良くなっていると感じました。まず、2011年以降耐震補強工事がしっかりなされている上に、教室の床や廊下が綺麗なのです。(校舎は築40年くらいだったのですが・・・)

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僕が30年前に通っていた小学校は、床が常にワックスがけされていて、茶色くなっていました。よって立膝をついたりしたら、油で膝がベトベト汚れたりしました(それでも気にせず床でメンコとかやってましたが)。また、校舎の壁や外壁などもペンキが剥がれて汚くなっていましたね。

これは、たとえば「3年B組金八先生」の初期作品などを見てもわかるのですが、80年代の学校校舎って、壁は塗装が剥げていたりして、結構ぼろぼろなんですよね。今にして思うと、よくこの汚い校舎でドラマとか撮影したよな、っていう汚さです。

一度機会があったら是非チェックしてみてください。写真はロケ地となった、今は閉校された旧足立第二中学校(現:東京未来大学校舎へと改築済み)ですが、古さの否めない60年代~70年代に建てられた雰囲気の校舎であります。

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(引用元:http://homepage3.nifty.com/aru-kn/kinpachi.html

それが、息子の入学した学校は外観こそ年代を感じさせますが、内装はリフォームされているのか、非常に床も綺麗で、立膝をついても全然汚れませんでした。非常に清潔感あふれる館内に非常に感銘を受けた次第です。

2,少人数学級になっている

僕の息子の学校は都心なのにわずか2クラス。いや、都心だからこそ過疎化したのかもしれませんが、1クラス27名✕2クラスで、1学級30名を切るゆったりした環境となっています。30年前に僕が埼玉の郊外ベッドタウンの小学校に通っていた時は、常時1クラス50名以上いましたから・・・。子供も大変でしたが、運営側の先生も大変だったと思います。

ちょっと統計データを見てみると、小学校における1学級あたり平均収容人数は、どんどん少人数化が進んでいますね。少人数化によりきめ細かい指導を行う方針の下、文科省、教育委員会の取り組みが成果を上げてきていることがよく分かります。

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上記グラフは、統計データのまとめが非常に有用なガベージニュース様から引用させていただきました。いつも勉強になります。

3,副担任がいる!

30年前は、1クラス50名に、担任1名で全教科を回していました。当時は特にそれでも違和感はありませんでしたが、やっぱり1クラス50名は多いですよね。担任の目が行き届く人数ではありません。

それが、僕の息子の学校は特に1年生の1学期は常時副担任が授業の補佐にあたってくれるそうです。ただでさえ1クラス27名と少ないのに、担当教師は2名体制とは、本当に贅沢な話です。

実際、財務省のデータでも、教師1名あたりの生徒数も劇的に少なくなってきており、児童生徒あたりの教員定数は、平成元年以降、ここ25年ほどで1.4倍まで増員されてきています。これに危機感を覚えた財務省が、逆に昨年度、文科省に対して「無駄使いしすぎじゃね?」とツッコミが入れたほどであります。

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僕の息子の行く学校は、ここ何年も荒れることなく、たまに雑誌や新聞の取材が入ったりする割と優秀な公立のモデル校になっているようなのですが、これだけ目が行き届いていれば確かにそうだよな、と納得させられます。

4,算数での少人数クラス分け

さらに、小学校3年生から、算数の授業のみ日頃の理解度に応じて習熟度別のクラス分けを行うようです。東京都教育委員会では、10年以上前から小学校の算数、中学校の数学において、モデル校での先行事例→効果測定を繰り返してきており、2014年度よりほぼ東京都の小中学校全校で習熟度別クラスの実施を決めたようです。

算数・数学で 来年度にも全校で習熟度別授業 都教委 | 月刊私塾界|
東京都教育委員会 児童・生徒の「確かな学力」の向上~「確かな学力」を育成するための授業改善の一層の推進~:文部科学省

我が家では特に英才教育など施していないので、これは非常に安心です。公立なのにそこまできめ細かくやってくれるのかと素直に感嘆いたしました。

5,配布物がしっかりしている

昔、学校でもらうプリント等の配布物は、質の悪いわら半紙とインクで印刷されていました。消しゴムで消すと印字されていた文字や絵柄まで合わせて消えちゃう、、みたいなそんな感じ。。

しかも、先生が手書きで書いた適当なプリントなので記載事項に抜けも色々合ったような気がします。

それが、今はプリンタも紙質も向上し、1年分の学校行事がすでに印刷された卓上カレンダーに加え、細かい持ち物リスト、生活ガイドなどいろいろ行き届いた配布物を頂きました。きっとモンスターペアレント対策から、抜け漏れがなくなったのだと推測。おかげで親としても迷いなく心の準備ができます。

6,学校に学童が併設されている

僕の小学校時代はもちろんそんなものはありませんでした。みんな小学校低学年から、「カギっ子」と呼ばれ、家に帰ったら自分でカギを開けておやつをたべながらファミコンをやる、みたいな家庭が多々ありました。当時は社会問題にもなっていたような記憶があります。(※今も絶対数は減少しているけど、かなりの児童がカギっ子状態の様子)

が、今は学校に学童が併設される時代なんですね。学校が終わったら、校内に併設する学童へそのままスライドして両親の帰りを待つ。少なくとも小学校低学年のうちは、学童が至近距離に用意されていると非常に安心です。

7,体罰がなくなってきた

昔は、担任の教師に木の棒で担任におしりを叩かれる「ケツバット」を食らったり、教師の機嫌の悪い時に頭をよく叩かれたりしました。また、廊下で足が限界になるまで長時間立たされたりとか、今思うと「体罰」と言われて問題になるような行為も平気で行われていたように思います。

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(引用元:http://himalab.com/p/_0001410

今もまだまだ全国レベルで見るとかなりの体罰件数が発生しているようではありますが、少なくとも僕の子供が行く小学校に関しては、ここ数年表立って事件や問題になった体罰もなく、非常に安心しています。

8,校庭が芝生だった

東京都では、平成25年度から都内の公立小中学校について、「校庭の芝生化」を推進してきています。

一時期こそ震災とその後の放射能汚染問題により、一端は芝生を全部泣く泣く外して表土の入換えをせざるを得なかったのですが、昨年より再度芝生化が試みられていました。こんな感じ。

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それまではコンクリートの上に陸上やサッカーコートなどの枠線がプリントされていて、「これはこけたら痛いだろうな」と思っていたので、学校の英断に感謝であります。芝生だと、運動時に足腰にかかる負担も格段に緩和されるので、目の保養にもフィジカル的にも良いことづくめです。

9,無料で防犯ブザーがついてきた

僕の居住区江東区では、すでに10年前から始めていたようなのですが、不審者に対抗するための防犯ブザーが1人1個ずつ無料支給されています。

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試しに自宅でブザーをならしてみたところ、想像を絶するボリュームでピーピー鳴りましたので、これは使えそう。物騒な事件が続発していることを受けての措置ではありますが、是非30年前から導入しておいて欲しかった。30年前でも、下校時に下半身まるだしで何も履いていないような変質者が通学路に出現したり、普通に痴漢騒ぎなどもあり、危険度は今とそれほど変わらなかったように思います。

なんだかんだで教育環境は進歩してきている

これは最近読了した古市憲寿の「絶望の国の幸福な若者たち」にも書かれていてハッとしたことですが、現代は、例えば1980年代などと比べると、生活水準・教育・労働環境・娯楽、どれをとってもレベルが向上し、選択肢も広がっているという事実は案外見落としがちだということです。

我々はつい過去の体験をノスタルジックに美化して「昔の学校は素朴で良かった」「今の学校教育はたくましさが足らん!」なんて語ったりします。ですが、冷静に調べて振り返ってみると、実際に20年、30年前の社会の効率性・利便性や生活水準は、今よりも数段劣っていたのです。学校教育も、間違いなく今の2016年時点のほうが格段に優れていると思えます。

上記にも書きましたが、30年前は校舎は汚く、体罰は(軽いものも含めて)日常風景でした。収容人数の限界までつめこまれた教室では、個性より集団統制に力点が置かれた、より旧式的、画一的な教育手法しか取り得なかったように思います。

まるでサラリーマン予備養成所みたいな我々団塊ジュニア世代の小学校生活に比べると、質的にも量的にも恵まれた教育環境が実現されてきているのだな、改めて実感。ここまで社会や地元PTAの先輩諸氏が残してくれたよい教育環境に感謝せねばな、と思うのでありました。

そして、今日からは早速集団登校が始まっています。つい10日前まで、ママチャリの後部座席に乗せて保育園の送迎を行っていたとは思えない環境の変化に、嬉しくもあり少し寂しさも感じる今日このごろであります。

それではまた。
かるび

 

 

 

 

 

ロマン溢れる歴史画が集結!安田靫彦展の感想(東京国立近代美術館)

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かるび(@karub_imalive)です。
当初どうしよっかなと思っていたのですが、友人が「これは行くべき!」と強く勧めるのと、この土日は両日とも外出予定がなかったので、ちょうどいいや、ってことで、急遽参戦してきました。結論としては非常に良かったので、感想を書いてみたいと思います。

1,混雑度と所要時間について

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写真を見て頂いたとおり、ガラガラです。土曜日なので少し混雑しているかな?と思いましたが、まだ朝10時台だったこともあり、全く混雑していませんでした。順路も広めに取ってあるので、ゆったり見れる展示会だと思います。いつもよりきちんとした身なりの人が多かったイメージでした。(土曜日なのにスーツのおじいさんとか)

作品数が100点以上なので、メモを取ったり、音声ガイドを活用してじっくり見ようと思ったら、2時間程度は必要かな?とは思います。僕も10時過ぎに入って、出てきたのは12時30分頃でした。

2,音声ガイドのメインナビゲーターは高橋英樹

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声も渋くてなかなかの好キャストだと思いました。日本画だと、やっぱりこういう時代劇系や歌舞伎系の俳優がやってくれると世界観を壊すことなく、スッと絵画には向き合えるのでいいですね。

また、中身についても、安田靫彦本人の生前の講演会やインタビュー等での実際の肉声をところどころで聞けるようにオプショントラックが用意されており、粋なはからいだと思いました。

これはお金に余裕があれば、借りる価値は大きいと思います。

3,安田靫彦の作風について

デビューは15歳と早熟だった

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安田靫彦(やすだゆきひこ、1884-1978)は、明治時代から昭和の戦後高度成長時代までを生き抜いた、いわゆる近代~現代の日本画における代表的な画家の一人です。明治期の少し先輩格である横山大観や菱田春草、下村観山らの作風にインスパイアされ、日本画を志します。若干15歳で日本画壇にデビューした天才肌の画家でした。

画風は優雅で気品漂う大人の日本画

画風は、伝統的な日本画の描き方を基本としています。ムダの無い構図、美しい線に加え、植物や風景、衣装などの細密で写実的な描写が特徴です。誰もが感じる「日本画らしい」特徴を備えた王道の画風でした。ロマンと気品溢れる柔和なタッチは、同時代のライバルにして盟友、速水御舟にして、気品が”匂い立つ”と評されています。

安田さんの芸術については事新しく述べるまでもないが、一言にして尽すと、安田さんの芸術の特色はあの馥郁(ふくいく)たる匂ひにあると思ふ。梅の花か何の花か非常にいい匂ひが漂ってくる。それはどこに咲いているのか、ハッキリ所在はわからないが実に馥郁としている。安田さんの人格にもさういふ感じがあるが、作品には特にその感が深い。[・・・]ああいう芳香を放つ芸術は現代はもとより古人のうちにも極めて稀れであらう。*1

いやほんとその通り。下にもいくつか絵を貼りましたが、各絵画からは、独特のやわらかで上品なオーラを放っています。現場で是非その「匂い立つ」絵画群を見てきてほしいです。

歴史画にこだわりがあった

また、デビューしてから亡くなるまで一貫して、日本や中国の歴史や古典に題材を得て着想した歴史画を多く手がけました。靫彦曰く、

えらい前人の仕事には、芸術の生命を支配する法則が示されている。*2

現実には見られぬ美しい世界を組み立ててみたい。高い完成された美を求めて今の我々の解釈で表現してみたい。*3

とのことで、自然と同じくらい古典芸術に学び、現代の感覚で捉え直した、品格あふれる普遍的な造形を作ろうとしたといいます。

4,今回の展示会の位置づけについて

そんな安田靫彦ですが、生前は最晩年に同じく東京国立近代美術館で1976年に大回顧展を行っています。今回は、それ以来40年ぶりとなる2度目の回顧展となりました。日本中の博物館・美術館から作品が集結し、15歳でデビューするところから、亡くなる直前の絶筆まで100点以上の作品が展示されています。絵画だけでなく、絵巻物や屏風絵なども展示されており、ものすごいボリューム感ですよ。

見どころは、昭和戦前期のナショナリズムが高揚した時期~戦後高度成長時代で価値観が激変する中、この歴史の大きな流れの中で、何をどう描いてきたのか、作風はどう変化してきたのかということです。これら作風・画風の変遷がわかりやすいように、各作品が時系列で追って行けるような展示になっています。

5,感想

まず、入場して最初に驚くのが、安田靫彦が少年時代に描いた作品群です。入口付近に展示されていますが、若干15歳、16歳の時から、目の覚めるような写実的な歴史画を描いており、天才ぶりにいきなり度肝を抜かれます。

『守屋大連』

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靫彦24歳の時の作品。飛鳥時代、聖徳太子と蘇我氏と激しく対立し、仏教の国教化に反対した物部守屋を描いています。守屋の不穏な表情が、もうすぐ一触即発な事件の前触れを暗示しているようです。聖徳太子じゃなくて物部氏にスポットライトを当てて描かれた題材の絵画はあまり見たことがなかったので新鮮でした。(※聖徳太子の絵もそれ以上に沢山描いています)

『五合庵の春』

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靫彦は、体が弱く、キャリアの途中で何度か大病にかかりますが、そのたびに作風を変化させていきました。作風が落ち着いたのは、30代も半ばを過ぎてから。初期の写実的な描き方から、背景等を大胆にデフォルメした柔軟な描き方も取り入れ、繊細で柔和な色使いで独特の作風を確立します。

これは、初期の写実主義的な絵画から、少し作風をチェンジした中年期に差し掛かる際の代表作品。良寛が長年住んだと言われる国上寺の五合庵という離れを描き出したものです。霧深く神秘的な雰囲気の山中の庵にて悠々自適にくつろぐ良寛がいい味を出していました。

『黄瀬川陣』(重要文化財)

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これは、平氏打倒の挙兵を行った際、弟義経が初めて兄頼朝の陣中に馳せ参じて数年ぶりの対面を果たした際の有名なシーンです。源頼朝の顔が歴史の教科書等に載っていそうな顔つきですね。兄頼朝の余裕のある表情に比べ、弟義経の緊張感と、どこかしら悲壮感の漂う顔つきが、将来の兄弟の運命を暗示しているようでした。

『伏見の茶亭』

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もう、解説も何もなくてもすぐにわかりますね。豊臣秀吉です。歴史の教科書で見た通りの顔つきで、歴史資料に忠実に描いた安田靫彦ならではのわかりやすさ。この展示会でも若い時から老年期まで、たびたび秀吉をモチーフとした作品を好んで描いています。この派手な衣装とバブリーな金色の茶室は、伏見城内での茶会の一コマだと言われます。

『出陣の舞』

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(引用元:http://atelierrusses.jugem.jp/?eid=369

これもまぁ見た瞬間にわかりますね。桶狭間に出陣する直前に「敦盛」を舞っている場面の信長です。ド派手な着物に西洋風の燭台など、時代考証と歴史資料に基づいた細かい描き込みが見事でした。

そして、靫彦晩年の作品では、こちら。

『卑弥呼』(九州バージョン)

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(引用元:http://d.hatena.ne.jp/shiga-kinbi/20100925/1285371002

派手に噴火している阿蘇山をバックに、堂々たる統治者としての厳しい表情を浮かべた卑弥呼を描いています。日本古代の独特の奇抜な?高貴なファッション(帽子のようなもの)と、体から滲み出るオーラが印象深かったです。なお、展示会には出展されていませんでしたが、バックが近畿地方版の卑弥呼像も残しています。未だ邪馬台国がどこにあったのか、決着がついていないですしね。

まとめ

これまで、僕は日本画といえば江戸時代末期までしか知りませんでした。明治以降で名前だけでも知っていた日本画家は、せいぜい、昔永谷園のお茶漬けカードに入っていた横山大観や竹久夢二ぐらいのものでした。

この安田靫彦のことも、恥ずかしながら友人が「絶対行っとけ」というのでチェックしてみて初めて知ったレベルです。そんな素人ですが、最初の数枚の展示を見ただけで、その実力は素人目にも本物であることはすぐにわかりました。

構図、色彩、人物、テーマ設定、どれを取っても高い技術・品格を持って丁寧に作りこまれており、間違いなくこのあとも後世に語り継がれていく芸術家であると思います。本当に充実した回顧展でした。最後は単純な感想ですが、行ってよかった。こういうのがあるから美術展回りは癖になるんだよな~。ほんとおすすめです。開催は、5月15日まで。

それではまた。
かるび

PS 同じ日本画では、浮世絵の大家「歌川国芳・歌川国貞」をフィーチャーした展示会も6月まで開催されています。これも良かったですよ!

blog.imalive7799.com

 

*1:速水御舟「安田靫彦論」『美術評論 四巻一号 1935年1月』

*2:「古画雑感-日本画とは何か-」『美術評論 1939年9月』

*3:『読売新聞 1941年10月11日』

東京の商談時間って短くない?ゆったり仕事をしたいとたまには思う

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かるび(@karub_imalive)です。

とりとめもない雑談です。
ふと思いついたのですが、東京の商談時間って本当に短くないですか?

僕は、現在中小Sierの営業兼採用担当として働いていますが、会社の支店が東京・大阪・名古屋にあります。もう今の会社で13年位働いていますが、何年もいると東阪名各地で多数商談の機会があります。

そこで、振り返ってみると、商談一つとっても、東京・名古屋・大阪、あるいはそれ以外の地方都市各地で、地域性や地域差があるように思うんですよね。

東京の場合

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例えば東京です。東京(を中心とする首都圏)での商談の特徴は、仕事や案件の流れるスピードが速くて、圧倒的にドライだってことです。

いわゆる情報システム開発の案件というのは、歴史的な経緯もあり、現状は仕事が東京に一極集中している状況であります。東京・横浜で全国の仕事の70%以上が集中している。だから、競争相手も多いのですが、商談機会も多く、案件が常に同時並行でめまぐるしく動き、あっという間に展開していきます。

例えば、ある開発プロジェクトに人員をアサインしていくとして、案件がバッティングしていようがなんだろうがお構いなしです。で、早い者勝ちで決まった案件に入り、商談中だった他の案件をお断りしても、さしたるお咎めもありません。トラブルになりそうになったら、契約書や法律を盾にとって、正当性を主張しあう。みんなドライなものです。

当然、一度の商談時間も非常に短いですね。新規で営業訪問した際も、あまり話さなければ30分位で終わってしまうこともザラであります。要件が済んだら帰ってね?みたいな。最近は下記エントリでも入れたのですが、雑談をがつがつ振っていくようになり、商談時間がムダに伸びてきましたが(笑) 

単に年取って話がねちっこくなってきただけかもしれませんが、最近だとようやく平均45分位にはなってきました。それでも東京で商談をした際に、1時間はお互いにとって長いかな?と思うレベルです。

大阪・名古屋の場合

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これに対して、大阪、名古屋では基本的には商談は1時間は下回らない事が多いです。あくまで自分の感覚値で、統計データはありません(笑)

単に大阪の人がサービス精神旺盛だったりして、話し好きの方が多いだけなのかもしれません。あるいは、名古屋は「大きな村社会」と昔から言われるように、ウェットな関係が出来上がるので長くなってしまうのかもしれません。一通り商談が終わったら、なんか延々とゴルフの話をしてたり、雑談三昧です。

大阪・名古屋で逆に30分で帰ろうとすると、「やる気あるの?」的なオーラを相手から感じることもありますね。

そんな大阪・名古屋で仕事の話を進める時に大切になるのは、既存のお客さんとの関係性や仁義だったりします。

お客さんと「あ、うん」の関係で進んでいくことも多いので、発注書が来月から来てなかったので、契約終了かと思い、要員をプロジェクトから一斉に引き上げたりすると、「何で勝手に動いてんねん」みたいなトラブルになりがちです。いやいや御社の注文書が来ないから、うちとしても要員を空かせるわけにはいかないし、仕方なかったんですよねみたいな話をしても、まぁ通じない(笑)

逆にそれが良い面もあり、東京みたいにスパッと案件がなくなったりせず、一度気に入られたお客さんには長く贔屓にしてもらえるという良い点も多々あるんですけどね。何かと、人間関係や地縁、過去商談経緯のコンテキストを深く考慮して動いていかなければいけないのが、僕が学んだ大阪・名古屋の仕事の進め方であります。

地方都市はビジネスのスピードがゆるい気がする

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あるいは、東京・大阪・名古屋以外の地方都市だと、もっと時間感覚がゆったりしてくるような気がしています。前の会社の話です。前職は、メーカー勤務で一時期情報システム部にてパソコンやネットワークの調整をしていたのですが、仕事柄、地方の営業所や出張所、工場を沢山回ります。

そこでまず感じたのは、基本、地方都市の営業所では勤怠がまずゆるい(笑)

「あのー、かるびと申します。本日10時からそちらの事務所でパソコン設置にお伺いするのですが、所長さん、いらっしゃいますか?」
「えー、所長?・・・今日は多分二日酔いで朝は来ないよ(笑)。しゃあないから来たらしばらくゆっくりしてなよ。あ、そうだメシ行こう。せっかく来たんだから海鮮丼の美味しい店連れてってやるよ」
「あざーす!(やった、ラッキ~)」

真面目に出張で事務所に行ってみると、相手方の責任者は寝坊して出勤してないとか、こんな感じのやり取りは本当に良くありました。また、いざ事務所を訪問した際も、基本的には定時前になったら帰りの支度をいそいそと始める社員の姿がよく目についたものです。で、終わったら必ず飲みに行くという・・・。

また、事務関係のやり取りでもゆるさを感じることが多いです。
地方の会社と請求書や見積書のやり取りをする際は、全ての会社がそうだ、ってわけじゃないのですが、送ってくるのが遅かったり、宛名の会社名が間違っていたりすることがしばしばあります。その地域の有力企業であっても、そんな感じなのですよね。で、電話して指摘すると、「あ、ごめんごめん~。直して明日までには送るわ~」みたいな。いや今欲しいんだよ今!

でも、そういうシーンに出くわすたびに、確かに少しいらっとすることはあるのですが、同時に、「ゆるい感じで働けていていいな~」なんて思ってしまいます。

まとめ

そういえば今の会社で働き始めてから、割と毎日時間単位でマルチタスクの波に飲まれながら、あくせくと働いてきたな~と思い出して、急遽思い立って書いてみました。

もちろん、こういうのって千差万別だと思いますし、地方企業でもキッチリしっかり働いていたり、商談がドライで短い会社や職種も多数あるかと思います。ただ、全体的には、20年前、30年前と比べると、日本全国どこでも、ビジネスのスピード感は上がってきているとは思います。

そんな中、たまに地方出張などをした際に、いい意味で今の会社がなくしてしまった精神的・時間的余裕を持った「昭和的な」雰囲気の職場をみつけると、しみじみいいな~と思ってしまうわけです。せめて、短い時間の中でもいいから、ビジネスの中で出会ったお客さんとも、楽しい交流を心がけたいなと思う今日このごろです。

それではまた。
かるび

 

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