かるび(@karub_imalive)です。
「沈黙-サイレンス-」を見てきました。巨匠マーティン・スコセッシ監督が、遠藤周作の原作「沈黙」に惚れ込んで、約30年越しで完成させた大作映画となります。早速初日に気合を入れてみてきましたので、以下感想を書いてみたいと思います。
※後半部分は、かなりのネタバレ部分を含みますので、何卒ご了承下さい。
- 1.映画の基本情報
- 2.主要登場人物とキャスト
- 3.結末・ラストまでの詳しいあらすじ(※ネタバレ注意)
- 4.感想や評価(※ネタバレ有注意)
- 5.伏線や設定などの解説(※ネタバレ有注意)
- 6.まとめ
- 7.映画をより楽しむためのおすすめ関連書籍など
1.映画の基本情報
<「沈黙サイレンス」公式動画を見る!>

【監督】マーティン・スコセッシ(「タクシー・ドライバー」「ヒューゴの不思議な発明」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」他)
【配給】KADOKAWA
【時間】162分
【原作】遠藤周作「沈黙」
上映時間は、本編と予告編を含めると、約3時間弱拘束されます。見始めたら画面に没入できるため、あっという間ではあるのですが、事前にトイレだけはしっかりと済ませておくことを強くオススメします!
なお、上記予告とは別に、公開直前にメイキングやスコセッシ監督、出演俳優へのインタビュー動画も入った日本限定の特別編予告が公開されました。時間のある方は、こちらもチェックしてみると良いと思います。
<「沈黙サイレンス」特別編予告を見る!>

2.主要登場人物とキャスト
今回の映画では、ハリウッドと日本の名優達が結集した豪華キャストとなっています。すでに、アカデミー賞の前哨戦「ロサンゼルス映画批評家協会賞」で、井上筑後守を演じたイッセー尾形が助演男優賞部門で次点になるなど、定評のある俳優が揃いました。
フェレイラ(リーアム・ニーソン)
徳川幕府の拷問、強制により、棄教を余儀なくされたポルトガル人の宣教師。布教をやめてから、和名を名乗っている。
ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)
棄教したフェレイラの消息・動向を追って、長崎へ密入国した若き宣教師。フェレイラ同様、捕らえられて入牢し、苦悶の日々が続く。
ガルペ(アダム・ドライバー)
ロドリゴと共に入国し、途中で離れ離れとなったポルトガル人宣教師。やせて精悍な顔つきは、キリストのイメージそのもの。キリスト教に厳格で実直な性格。日本人キリシタンと連座し、棄教を迫られた結果、殉教する。
キチジロー(窪塚洋介)
ロドリゴ、ガルベの案内役として、入国を助けた隠れキリシタン。その意志の弱さから宣教師たちを裏切り、ロドリゴ、ガルペに試練の日々をもたらした存在。物語のもう一人の主役でもある。
井上筑後守(イッセー尾形)
徳川幕府から命じられ、長崎にてキリシタン狩りを長年てがけてきた大名。心理的な駆け引きを駆使して、キリシタンをあぶり出し、棄教させるテクニックを持つが、本人は与えられた役割に飽き飽きしている。
通訳(浅野忠信)
ロドリゴ拘束後、彼の通訳としてロドリゴに同行する。ロドリゴに同情的な姿勢も垣間見せる。
モキチ(塚本晋也)
隠れキリシタン。村人達が見守る中、海辺で磔刑にされて死亡する。
モニカ(小松菜奈)
隠れキリシタン。簀巻にして海中に沈められて死亡する。
ジュアン(加瀬亮)
隠れキリシタン。役人にボロボロにされて死亡する。
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3.結末・ラストまでの詳しいあらすじ(※ネタバレ注意)
雲仙岳の山の奥深くで、神父フェレイラは、日本人の隠れキリシタンが役人に残酷に処刑されるシーンを見ていた。木にくくりつけられ、 温泉の煮えたぎる熱湯を体中にかけられる過酷な拷問だ。しかし、そんな彼らの中には、むしろ17世紀の今日、キリストと同じように迫害され、殉教することをむしろ「幸せ」であると感じている者もいるのだった。
1637年。ポルトガル人のイエズス会の宣教師、ロドリゴとガルペは、尊敬していたフェレイラが、日本で迫害を逃れて棄教し、現地で妻帯しているとの知らせを受け、困惑していた。信心深く、高潔なフェレイラがなぜー?
彼ら2人は、フェレイラの消息を探るため、日本へ派遣されることになった。日本では、キリスト教が弾圧されており、特に長崎近辺では厳格な取締で有名な長崎奉行、井上筑後守が目を光らせていた。
彼らはキチジローという頼りなさ気な日本人の案内役を立てて、日本への密入国を企てた。道中、ロドリゴはキチジローが祈りの言葉をつぶやいているのを聞いたが、キチジローは決して自分はキリシタンではないと言いはった。
やがて長崎のトモギという村へたどりつき、ロドリゴとガルペは村の外れの小屋へ潜伏することになった。噂をききつけた日本人のキリシタンたちは、2人の元にやってきて懺悔しに来るのだった。また、ロドリゴは藁で作った十字架や、ロザリオを村民に与えたが、キチジローは受け取ろうとしなかった。キチジローは、彼らの家族が踏み絵の際に信仰を貫いて殺されていく中、迫害を避けるため踏み絵を踏んで、信仰を捨てたのだった。
ロドリゴとガルペは、昼は小屋の中で潜伏し、夜間にミサなどの活動を行った。しかし、やがて小屋に隠れているのが絶えきれなくなったロドリゴとガルペは、小屋の外に出てあたりを探ってみた。はるばる五島列島から来たキリシタンたちと接触し、短期間だけロドリゴが布教に成功するなど、成果も挙げることができた。
しかし、五島からロドリゴが戻ると、役人たちによるトモギ村への隠れキリシタン狩りが行われるという情報をが伝えられた。結果、トモギ村を代表して3人の村民が長崎に出頭することになり、うち1名はキチジローが務めた。モキチは、ロドリゴに手作りのロザリオを持っていてくれるよう頼み、手渡した。出頭した先で、3人は踏み絵をさせられ、ついで絵に唾をかけるように役人に命じられた。
キチジローは素直に従ったが、モキチとイチゾウはどうしてもできず、海辺で磔にされる水磔の刑に処せられ、殉教した。モキチは、死ぬまで4日もかかった。一部始終を見ていたロドリゴは激しく動揺し、神に訴えかけたが、神は沈黙したままだった。
その後、ロドリゴとガルペは村を出て分かれて行動することにした。キチジローと船で新たな島へ渡る最中、キリシタン狩りで村ごと焼かれた跡地を見たり、宣教師の密告に銀300枚が懸賞金としてかけられていることを知った。
ロドリゴは、ふたたび五島へ上陸した。すると、つい先日訪問した五島の海沿いの村は、キリシタン狩りによって全滅していた。悲嘆にくれつつ、島を探索していると、偶然キチジローと再会した。キチジローにケガを手当してもらい、食事を済ませたあと、川沿いで水を飲もうとしていた時に役人に捕まった。キチジローが密告したのだ。
ロドリゴは、小屋へ軟禁された。そこへやってきた一人の役人。そこで、ロドリゴは役人とキリスト教布教活動について議論をしたが、議論は平行線に終わった。役人いわく、日本ではキリスト教は定着しないのだという。あとでわかったことだが、彼が話した役人こそが、有名な井上筑後守だったのだ。
ロドリゴは、別の牢屋へと移された。同居人は全てキリシタンで、彼らは定期的に踏み絵を迫られ、しばしば断ったが、特に拷問等の肉体的苦痛を加えられることはなかった。しかし、ある日一人の男が選ばれ、唐突に役人に皆が見ている前で惨殺された。ロドリゴ自身は、井上からたびたび呼び出されて論争をするなど、彼自身は丁重に扱われ続けた。
ある日、ロドリゴは海沿いに連れて行かれ、キリシタンの処刑シーンを遠くから見せられた。そこで、ロドリゴはガルペを見かけたが、ガルペに話しかけることは許されなかった。そして海の沖合ではつい先程まで一緒に牢屋に入っていた3人の貧しい農夫のキリシタンがわらで簀巻にされ、船で今にも海中に沈められるところだった。
役人は、ガルペに棄教を迫った。ガルペが棄教すれば、3人のキリシタンの殺害を中止するという。ロドリゴは、ガルペに「転ぶ」よう祈ったが、ガルペは「転ば」なかった。3人は海中に沈められて殺され、ガルペはそれを追って入水し、溺れ死んで殉教した。
そして、ロドリゴはある寺で、今は沢野中庵と和名を名乗り、棄教したフェレイラととうとう対面した。フェレイラは、あらゆる拷問の中でも最も過酷な肥溜めでの逆さ吊りを受け、「転んだ」のだった。フェレイラは、ロドリゴに「転ぶ」ことを推奨した。所詮日本での布教活動はキリスト教の本質は伝わらず、最終的には意味が無いことなのだと。その日、再度井上筑後守から棄教することを勧められたが、ロドリゴは断った。
ロドリゴは、別の独房に移された。頑なな彼の態度から、いよいよ彼にも肉体的な拷問が始まる予感がしていた。その独房の壁には「Laudate Eum」(讃えよ、主を)と彫られていたが、それはかつてフェレイラが同様の苦しみの中で彫りつけたものだった。彼は、いよいよ自分の身にも拷問が差し迫っていると感じ、激しく動揺していた。キチジローがやってきて、懺悔をしにきた。しぶしぶロドリゴは彼のために許しの祈りを授けた。
ロドリゴは、その独房で夜な夜なおおきないびきのような音を聞いた。独房を再度訪れたフェレイラによると、それは、逆さ吊りの刑に処された日本人キリシタンの苦悶の声なのだという。ロドリゴが棄教すると言うまで、キリシタンたちの拷問は続くのだった。フェレイラは、もしキリストが同じ立場なら、彼らのために喜んで棄教するだろうとロドリゴを諭した。
そして、ロドリゴにも踏み絵が行われる時がきた。ロドリゴは、初めて内なる心の声で、キリストのメッセージを受け取ったような気がした。「踏み絵を踏め」と。ついに、ロドリゴも、フェレイラ同様踏み絵を踏み、「転んだ」のだった。
その後、ロドリゴは人々から「転びのポウロ」というあだ名で呼ばれるようになった。彼が持ち込んだキリスト教関連の所持品は全て押収された。その中には、彼が日本上陸後、村人達に分け与えたアイテムも含まれていた。対照的に、キチジローはなぜかロドリゴの持っていたエンブレムを身に着けていたが、どこで手に入れたのかはわからなかった。
ロドリゴは、ある男の資産を引き継ぎ、妻子も与えられて40年間日本で仏教徒として暮らした。亡くなった時、彼は仏教徒として火葬されたが、その手にはモキチから受け継いだ十字架がしっかりと握られていた。
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4.感想や評価(※ネタバレ有注意)
4-1.タイトル通り、冒頭からエンドロールまで非常に静かな映画だった
物語の冒頭部分、映画全般、そしてクライマックス、エンドロールに至るまで、徹底してタイトルである「沈黙」を体現するかのような静けさの中でストーリーが重ねられていくのが非常に印象的でした。
冒頭はいきなり無音状態でスタート。そして、序盤からほとんど劇伴音楽らしい音楽がなく、たんたんと静かに残酷なキリシタン弾圧シーンが心をえぐるように積み重なって描かれていきます。主人公ロドリゴ自身が踏み絵・棄教を迫られるクライマックスシーンでは、静寂の中、神の声を聞きます。
これで最後に感動的なメインテーマが流れて終わるのか?と思っていたら、エンドロールはロドリゴやガルペが長崎で潜伏の日々、昼夜問わず耳にしていたであろう「波の音」「虫の音」「風の音」で終わる演出が良かったです・・・。正直この演出にはやられました。余韻まできっちりと楽しませてくれました。
4-2.厳しい苦難を経て自分の中に神を見出したロドリゴ
キリスト教の教義に従い行動し、布教すればするほど弾圧され、苦難が増えるばかりか、周りの人をも苦しめていく現実。ギリギリの心理状態の中で、幻覚なのか恩寵なのかわかりませんが、神とつながり、心の奥底で聞いた神の言葉は、
「踏むがいい、私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ」
ちょっと文章にするのが難しいので上手く伝わるかわかりませんが、心の平安は自分の外側にあるのではなく、ロドリゴが踏み絵を迫られた時、心の奥底に潜り込んだ静寂の中にこそあるのかな、と感じました。
キリスト教であろうと、仏教であろうと、ロドリゴや長崎の百姓たちのように一心不乱に祈ることで「自分の外側に」恩寵や奇跡という明確な「形」で神を見出そうとすると、神は「沈黙」し、その神への思いは裏切られます。しかし、じっと心を澄ませて、「自分の中」を見ることで、神は見えない「沈黙」の中にこそ宿るのです。神が常に自らと共にあるんだ、と体感できれば、その実感こそが神の恩寵であり、奇跡になりえるのではないかと思いました。
精神的に追い詰められた極限状態の中で、ロドリゴが絵を踏むことができたのは、たとえ自分が神を冒涜する行為をしたとしても、神は常に共に自分の側に寄り添ってくれている、そんな安堵感を感じたからこそだと感じました。
4-3.結局最後まで「形」あるものにすがったキチジローの弱さ
踏み絵を乗り越え、自らの内側に神を信じられるようになったロドリゴには、神父という地位や形は、すでに必要ではなくなりました。対照的に、「転び」と信心戻しを繰り返し、踏み絵をしつつも懐中に信心の「形」としてのロザリオを捨てることができず、最後に捕らえられたキチジローの弱さが非常に印象的でした。
スコセッシ監督も、「キチジローの弱さは自分自身だ」と語っていましたが、彼の右往左往する弱さは不完全な人間そのものを象徴しているように感じました。
映画中、殉教もできず、かといって井上や通辞のように棄教もできず、最弱のダメ人間として描かれた窪塚洋介扮するキチジローが、試写会や映画感想レビューで共感を非常に呼んでいるのもわかる気がします。窪塚、名演でした・・・。
4-4.ほぼ原作を忠実に再現しつつ、映画単体でも楽しめる良作だった
「遠藤周作の著作は、全て読破した」と遠藤文学へ深い共感を寄せるスコセッシ監督がの原作へのリスペクトは半端なかったです。160分と大長編だったこともありますが、セリフ回しや展開、物語の精神性も含め、ほぼ忠実に原作を再現していました。「遠藤が生きていればもっと良い作品が作れたのに・・・」ともインタビューで言っていましたが、十分ハイレベルな佳作だったと思います。あとで紹介していますが、映画が気に入った人は、是非原作を手にとって見ることを強く推奨したいです。原作も素晴らしいので!
5.伏線や設定などの解説(※ネタバレ有注意)
5-1.なぜ井上筑後守は執拗にロドリゴを棄教・改宗のターゲットにしたのか
秀吉が出した伴天連追放令以来、キリスト教を仏教や日本文化破壊の象徴とみなして徹底的に弾圧を繰り返していました。映画で井上筑後守が言っていましたが、弾圧をすればするほど、キリシタンたちは団結して幕府に立ち向かうようになります。そのピークが天草四郎を旗印に、原城に数万人が籠城した島原の乱(1637)でした。
そこで井上が学んだのは、まず、キリスト教思想流入の根本を断つ=まずはポルトガル人宣教師の対策を重点的に行う重要性でした。遠藤周作の原作でも、井上のセリフにこうあります。
「わしらが転ばせたいのは、あのような小物たち(※注:農民のこと)ではないて。日本の島々にはまだひそかに切支丹を奉ずる百姓たちがあまたいる。それらを立ち戻らすためにもパードレたちがまず転ばねばならぬ」
ガルペが溺死し、ロドリゴが改宗したことで、日本におけるキリスト教宣教師は事実上いなくなり、鎖国が完成したことと合わせて、キリスト教定着の「根」は井上の狙い通り断ち切られたのでした。
5-2.冒頭でフェレイラが見た熱湯拷問は「雲仙地獄」
映画冒頭でフェレイラが見せられていたキリシタンの熱湯拷問は、雲仙岳の山麓にある「地獄谷」という場所で行われました。当時の領主だった松倉重政は、寛政4年~寛政8年にかけてキリシタンの指を切り、背中を断ち割ってその中に熱湯を入れたり、全身を熱湯につけるという過酷な拷問を行ったことで有名です。
雲仙地獄(今は観光地として有名)
極刑ともいうべき迫害により、かえって彼らの末期の信仰心を高め、殉教者を増やしたのは皮肉な結果ではありますね。
5-3.フェレイラとロドリゴが最初に対面したのは「西勝寺」
長崎に連行されたロドリゴは、とうとうかつての師フェレイラと、ある寺で対面しましたが、この時対面した寺は、西勝寺という、今も長崎市内に実在する浄土真宗のお寺です。映画内での、浄土真宗特有の歌うような「南無阿弥陀仏♪~」という読経もリアリティがありました。
妻帯し「沢野忠庵」という和名へと名を変えて、彼はここでキリシタンの転向を見定める役「キリシタン目明し」として活動したり、キリシタンを避難する書物の執筆にかかわったそうです。
(引用:http://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/146)
非公開ですが、西勝寺には、実際に「キリシタンころび証文」という、実際にフェレイラがキリシタンを見分し、サインをした文書が残されています。
5-4.ロドリゴのモデルとなった人物は?
映画「沈黙サイレンス」では、井上筑後守とフェレイラ神父のみが実在の人物であり、ロドリゴやガルペは想像上の人物です。ただし、ロドリゴにはモデルとなった実在の人物がいました。「ジュゼッペ・キアラ」というイタリアのイエズス会宣教師で、日本に潜入して捕らえられ、拷問の末に棄教してからは、江戸に住み、岡本三右衛門と名乗りました。(映画では「岡田三右衛門」と微妙に違う)
(引用:http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1397455972192/index.html)
このジュゼッペ・キアラの墓は、調布のサレジオ神学院内に安置されており、2016年に調布市から有形文化財に指定されています。
6.まとめ
名手、スコセッシ監督が着想してから28年。製作に7年かけて完成した大作「沈黙-サイレンス-」は、鑑賞者に深く考えさせる深い精神性を持つ映画でした。いわゆるブロックバスター的なハリウッド娯楽大作とは正反対の、静かでアート的な作品ですが、自分とじっくり向き合える素晴らしい作品です。非常におすすめ。
それではまた。
かるび
7.映画をより楽しむためのおすすめ関連書籍など
今作は、ハリウッドの巨匠、マーティン・スコセッシ監督の集大成とも言うべき、深い精神性と味わいに溢れた名作でしたが、僕も、これを機にスコセッシ監督の過去作品を楽しんでみたいと思っています。そこで、手軽に楽しむには、動画配信サービスU-NEXTが良さそうです。
実は、僕はU-NEXT、Hulu、AmazonPrimeとオンデマンドサービスに3社加入しているのですが、スコセッシ監督作品はU-NEXTが一番品ぞろえが良く、オトクでした。
加入初月は無料。見放題以外の有料作品も、毎月付与される600ポイントを使えば、無料で見れるようになっています。
2017年1月21日現在、スコセッシ監督作品は、全部で11作品がラインナップされており、5作品が見放題。残りの6作品はポイントを使って無料で見れます。
特に最近の作品はどれも映画ファンからの評価が高い名作ぞろいのスコセッシ監督の作品。お金を節約して、U-NEXTで全部見てみるのもいいと思います。U-NEXTおすすめです。
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遠藤周作の原作「沈黙」
この原作は、本当に素晴らしいです!映画もハイレベルなら、原作小説の出来も鬼気迫る心情描写が圧巻!少し昔の純文学なので、難しいのかな?と思っていましたが、出版後40年以上経過しているにもかかわらず、極めて現代的な言葉遣いと緻密でスリリングな文体に、一気読みさせられました。ラストシーンは、映画以上に感動しました。文庫本で安いですし、未読であれば、絶対におすすめ!
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」
芸術新潮「2000年10月号」特集を元に、丁寧に再編集してムックへとまとめられた本です。小説の文章を引用しながら、写真満載で「沈黙」とそのテーマ「隠れキリシタン」にちなんだ長崎の名所を巡礼していく解説書で、「沈黙-サイレンス-」の世界観をより深く知るために最適。この本を読むと、長崎の地で根付く「隠れキリシタン文化」について非常に勉強になりますし、聖地巡礼した気分にもなれます。